青い春の音

作者/ 歌



第6音  (5)



今日から6月に入り、衣替えになる。

赤道に近い沖縄は5月半ばからすでに20度を
超えていて、少しずつ暑くなってきた。

沖縄の梅雨は2週間もしないで
明けてしまうし、今年はかなり空梅雨
だったみたい。

だから今日の天気も、快晴。


誰よりも早く学校に入って、教室で
寝たい私は朝市のバスに乗っている。

6時半には学校に着いて、朝練に
向かう生徒とすれ違うくらいで
他は誰一人いない廊下を静かに歩いた。


教室に入り、窓際の席に座る。

カバンの中からローマ字がずらっと
書かれている原稿を取り出して、
小さく声に出した。

インタラクティブフォーラムの
地区大会は7月にあるから、それの練習。

学校の代表になった以上、
やるだけのことはやりたいし、
英語は好きだから苦ではない。


私しかいない教室に私の小さな音の粒が
落ちていくのを呆然と眺めた。



「……おはよ」


と、いつも私の次に来る大人しい女の子の
声ではないことに気付いて顔をあげると。

目の前に見慣れた黒いリュック。


「……おはよう。珍しいことも
 あるもんだね。何かあるの?」


いつも遅刻間際に来る大高がこんな早くに
来るなんて、昨日の空雅といい、
本当に何か降ってきそうだわ。


「いや、別に。神崎は?何それ?」

「インタラクティブの原稿」

「あぁ……大変だな」

「そうでもないけどね」


やっぱり、あれ以来大高の態度が
静かというか、突っかかってくることが
一切なくなった。

普通の、会話。

全然面白くもなんともない、
普通の会話。


しばらく大高は私の手元にある原稿を
見つめたまま、動かなくなった。

ぼーっとしていて、心ここに非ずって感じ。


「大高?どうしたの?何かあった?」

「…………」


最近の大高はいつもぼーっとしてたし、
元気がないように見えてちょっと心配だった。

私の声が耳に入っているのかいないのか、
反応は示さない。



「……あの、さ」


「ん?」


やっと口を開いた大高になるべく
優しい声で返事をしながら首を傾げた。



「今日の放課後、話がある」



話?


大高の表情と、声のトーンと、
緊張した雰囲気と、その瞳。

ざわざわと心の中が揺れ始める。

今ならまだ断れるけど、いつか必ず
来るって分かっていたから、ここで
逃げるのは。


自分から逃げるということ。



「……分かった。どこにいればいい?」


「この教室で、いい。たぶん誰も
 いなくなるから」


「うん。じゃあ放課後ね。あ、昨日大高が
 言ってたおいしいお寿司屋の出前、
 とって食べたよー」


「おお、マジか!」



話を変えて、この雰囲気をなくしたかった。

そしたら大高もそれに乗ってくれて、
何とか普通に話すことができている。


もし。

今のを断らなければ、愛花を裏切ることに
なるのかもしれない。

愛花を傷つけることになるかもしれない。

それでも、大高の気持ちを早く消して
次に進んでほしいから、今回は
逃げずに向き合おうと思う。


今まで、そういう雰囲気を異性と
作らないようにここまで来たから、
少なくすんだけど。

大高との関係も崩したくはないから、
なるべく早く、元に戻りたい。




1、2限目の授業を終えて3限目の授業は
担任の公民。

がやがやとうるさい教室にガラッと
勢いよく担任が入ってくると、
一気に静まり返る。


「今日は授業の前にこの前のテスト結果を
 配るぞー。番号順に名前呼ぶから前に来い」


担任の一言で再び言葉が飛び交う。


テストとか、そんなんいつやったっけ?


「うわー最悪!絶対数学赤点だもん!」


テストをやった記憶が薄れていたため、
必死で思い出そうとしていたところに
斜め前の席に座っている愛花が叫んだ。

そして、勢いよく振り返って
何故か睨まれる。


「悠が数学教えてくれれば!忙しいとか
 言って逃げたよねー。どうせ悠の
 結果なんて誰もが分かってるんだよ」

「あのー……何のことですか」

「出た!悠のテスト忘れ!本当に
 どんな頭してるんだよ」


どんな頭ってわたあめみたいな頭?


「悠の脳みそ半分よこせー」

「……引きちぎってあげようか」

「真面目な顔で言わないで。恐ろしい」


恐ろしいって、ひどいなこいつ!


そんなやり取りをしていたら番号の
早い愛花が呼ばれた。

担任に真剣な表情で何かを言われて
かなり沈んでいる愛花に、心の中で
応援歌を歌ってあげる。


「本当に不思議なんだけど、神崎って
 いつ勉強してるわけ?」

「え、勉強ってするものなの?」

「………喧嘩売ってるだろ?」

「いやいや、買わなくていいからね!」


心の中で歌っていると、前に座っていた
大高が振り返って口を開いたから、
それに真面目に答えたんだけど。

殺気が見えて慌てて首を振った。


愛花が帰ってくるのが見えたから、
すぐに大高を前に向かせて何を
一番に言おうか、考える。


「………どうしよ」


先に口を開いたのは絶望的な色を
身にまとった、愛花の弱々しい声。

今にも泣きそうな顔で、結果が
書かれているであろう紙を虚ろな目で
見下ろしていた。


「ど、どうした?」


結局出てきたのはこんな言葉で、
恐る恐る聞いてみると。


「下から9、番で……このままだと
 確実に行きたい音大に、行けないって」


そんなこと言われたら、こいつの
性格だとかなりへこむだろうな。

隣の大高も心配そうに見ている。

それに気付いていないみたいで、自分の
世界に行ってしまっている愛花。

何を言ってあげればいいのか
分からないけど、でもこーゆーときは。


「愛花、今日部活終わったら
 うちんち泊まりにおいで」


一応女子です会、を開こう。

私の言葉に愛花は一瞬、戸惑いを見せたけど
すぐに唇をかんで嬉しそうに頷いた。


明日は土曜日だし、部活はないって
聞いたから大丈夫だろう。

愛花のお母さんも私にすごく
よくしてくれるから、何の問題もない。


ちょっと元気が出た愛花は自分の
席に座って、もう一度紙を読み始めた。


大高もそんな愛花を見てから自分の
名前が呼ばれたことに気付いて、
席を立った。

大高の次は私。

前に呼ばれてた人は呻き声や
叫び声で溢れていて、みんなテストに
操られたかのようだ。

その光景を黙って見ていると、
自分の名前が呼ばれて、大高とすれ違った。


担任はいつも通りの表情で、


「今回もトップだ。お前、テスト
 できるからって授業寝たりさぼったり
 すんなよ。ってか大学には
 行かないのか?」

「絶対に行きません」

「学年主任や生徒指導の先生方にも
 これからいろいろ言われると思うぞ。
 お前の頭ならどこの大学でも行ける」

「行けるからって行かなければ
 いけない理由なんてないですよね?
 大学とかどーでもいーんで」


そう言って紙を担任の手から抜き出して
席に戻った。


戻るときに、クラスメイトの視線が
ついてきたけど、無視。