青い春の音

作者/ 歌



第3音 (2)



「別にそこまでじゃ、…ない。
 会えればいいなって思ってただけだ」

「へぇー。思ってたんだぁ。思ってたんだぁ。
 思ってたんだぁ!」


大事なところだから3回言ったよ、うん。


「なっ!年上を馬鹿にするな。
 いくら才能があるからって、目上の人間に
 ため口とは生意気だ」

「それそっくりそのままお返し致します」


未だにぶつぶつ文句を言ってる橘は、
かなり頭がよさそうだが、馬鹿のようだ。


「ってかさー、だったら何でそこまで
 私に嫌悪感剥き出しだったわけ?」

「あーそれは照れ隠しだよ、照れ隠し!
 築茂が自分から名前を名乗ったのも
 君が初めてだし、よっぽど会えたのが
 嬉しかったんだね」


にやにやしながら橘にも聞こえるように
春日井先生が私の耳元でそう言うと。

さらに顔を赤くさせて、怒っているのか、
焦っているのか、一生懸命弁解をし始めた。


あー、なんだろ。
めちゃめちゃおもしろいじゃん、こいつ。


「ぷは!めっちゃウケるんだけど。
 橘ってそんな顔もできるんだねー。
 あ、勝手に橘とか読んでるけど
 別にいいよね?」

「……苗字じゃなくて築茂でもいい。
 お前の才能を認めたからな」

「あら、じゃあお言葉に甘えて。
 私も別に悠でも何でも好きに呼んで」


あぁ、と短く頷きながら微かに、
眼鏡の奥の瞳が温かいものになって
細められたことが、すごく、嬉しかった。


「えぇー!築茂だけずるいずるい!
 俺も春日井先生なんて堅いのやめてよ。
 煌って呼んで!ただのトレーナーだし
 敬語も必要ないからさ」


子供のように口を少し尖らせて、
悪戯っぽく微笑んだ……煌。

まぁ私も年上とか外では気にしないし
こっちのが楽だからいっか。


「あーはいはい。じゃあ煌ね。
 でも学校にいるときは敬語でいくから」

「了解!あ、そろそろできるころかな」


煌が私の後ろに軽く手をあげるのにつられて、
私も後ろ振り返ると。

特別高級感のある食器ではなく、
白いカップにいい匂いを漂わせた
コーヒーが3つ、運ばれてきた。


「わぁ……すごくいい匂い」


思わずそう呟くと、マスターと目があって
にこりと微笑んでくれた。

年齢は50代くらいだろうか。

白髪交じりの茶髪に目じりにある皺、
綺麗な白ひげが何とも、穏やかな
雰囲気を醸し出していて、このカフェ
そのものって感じだ。


「ぜひ最初はそのまま飲んでみて。
 俺、ブラックはダメなんだけど、
 ここのはブラックで飲むのが一番
 おいしいんだ」


そう得意気に話す煌に頷いて見せて、
カップを鼻の目の前まで持ってきて、
もう一度、匂いを嗅ぐ。

うん、本当にいい匂い。



一口、こく、と喉をならしてみると。

程よい苦さと上品な甘さ、
穏やかな香りが口の中いっぱいに広がって。


新しい音が、浮かんだ。


あまりの嬉しさにふっと笑みが零れて、
もう一度、コーヒーを口に含んだ。


「……とても、おいしい」


ようやくカップをお皿の上に置いて、
煌と築茂に微笑んで見せた。

マスターにもにこっとすれば、
ちょっと頬を染めて、ありがとう、
とだけ呟いて仕事に戻っていく。


「ここへ連れてきてくれてありがとう。
 とても気に入った!」


新しい人と新しい場所と、新しい音、
の出会いが重なってこれほどまでに、
嬉しいことはない。


帰ったら、早くこの音たちを
自由な世界へ泳がしてあげたい。

そしていつか、このカフェで
その音たちが踊れたらいいな。


「……それはよかった。こちらこそ
 来てくれてありがとう。連れてきて
 本当によかったよ」


そう微笑みながら答えてくれた煌の瞳が、
何かとても大切な、愛しいもの、を
見るような。


そんな風に見えたのは、気のせい……
だと思いたい。



ちょっと怖くなったから、行き場のなくした
視線を無理やり築茂に向けてみると。

視線が交わった途端、ぱっと逸らされて
なんだか少し、ほっとした自分がいた。


それから、ちょっとしたデザートと
コーヒーを頂きながら3人で他愛もない
話をした。


築茂とも連絡先を交換して、また
近いうちに会おう、と約束をして。

煌もバイオリンが弾けるということも
聞いたから、いつかアンサンブルも
やろうね、と約束をして。

楽しい時間はあっという間に過ぎた。


家まで車で送ってく、と言われたけど
何とかやんわりと断ることに成功。

……かなりしつこくて大変だったけど。


気持ちだけ受け取って、最寄駅で
別れた。


電車に揺られながら、イヤホンから洩れる音。


『You raise me up』


とてもとても素敵な曲を聴きながら、
頭の中では既に、新しい音たちの譜面が
描かれ始めていた。