月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第壱妖『八咫烏』1



女は、何の気なしにそこを歩いていた。
仕事をしてきた帰りで、あかぎれの指をみてため息をはきながら、あぁ月が綺麗だななんて空を見上げる。
と、その時。ジャリと土を踏みしめる音がした。
ぼんやりした視界に、金色の髪が見える。
その美しい金をゆっくり上げると、漆黒の闇の中に蒼と赤が見えた。
次いで、赤い宝玉の光る耳と端正な顔が見えた。
女は、こんなにも美しい男を見るのは初めてだった。
夜の闇すら、彼を汚せず身を竦めて金の髪を讃えている。
しばらく、ぽかんと口を開けて男の背を眺めていると、闇がじわりと動いて彼がゆっくり振り向いた。
顔を見て、女は口の他に目を見開く羽目になる。
蒼の瞳、すらりと通った鼻、血色に染まる唇に浮かべる微笑は、この世のものとは思えぬほどに美しかった。
いや、「美しい」という表現すらも陳腐に思えてしまうほどだ。
疲れなど一気に吹き飛んでしまった女は、呆然と男を眺めるしかできなかった。
男は、堀の側に立っていた身体をゆっくり女の方に向け、一歩、また一歩近付く。
立ち尽くした女の眼前に男がたどり着くまで、ほんの数秒。
何か甘い薬物のような物が鼻孔から入り込み、全身を痺れさせているようだった。

「もし。」

透き通った、それでいて凛とした声が女の耳に届く。
女は、いつの間にか枯渇した喉を潤すように唾を飲み込んで、上擦った声を出した。

「は、はい。何か私に…。」

「手を、触らせては頂けますか。」

「は…!?」

すっとんきょうな声を上げる女に、クスリと笑うと、男は細い女の手を取り顔の前まで上げる。

「…何故私の手なぞ…。」

「僕は、女人(にょにん)の指がとても好きなんです。」

男の唇が女の指にそっと口付ける。
その時伏せた瞳を、唇はそのままに女に向けた。

「この指、僕にください。」

きゃあ、と女特有の甲高い悲鳴が漏れたのはそのすぐ後だった。
腕をぶんと振るい、尻餅をつくように男から離れると、女は恐る恐る自らの手を見た。
微かに震える指は、どう見ても四本しかない。
真ん中の、さっき男が口付けた指は根本から喰いちぎられたように無くなっていた。
肉と骨が露わになった中指からは、どくんどくんと赤黒いものが溢れる。

「ひ、ひぃいッ! 指が…ッ!」

「あぁ、指だけでは足りません。僕に…もっと、もっと貴女を!」

「や、やめてくだされ! やめてぇぇぇェェッ!!」

女の身体が浮いたかと思うと、女が身に付けていた着物の帯がふわりと落ちた。