月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第陸妖『座敷童子』8



「……なあに? 月の蝶々さん……その刀……ただの刀じゃないでしょう?」

「ふふ、私を知らないのね。随分世間知らずだな。」

人形の髪が断ち切られるとは思っていなかったのだろう。
少女は悔しそうに顔を歪めて紅を睨みつけていた。
彼女の得物は<紅葉>といって、どんな妖も断ち切るが、妖の血を吸わせなければ持ち主を食い潰す妖刀である。
その使い手である紅は妖の間ではちょっとした有名人で、<妖殺し>と恐れられていた。

「……ニンゲン風情が粋がって……。」

「随分人間が憎いらしいわね。座敷童子。」

妖刀を突きつけながら言った紅の言葉に、少女はククッと笑い抱いている人形を覗き見る。

「<座敷童子>か……そう呼ばれることもあったかな。実際あの屋敷でもそう呼ばれていたもん。」

「何故こんな乱暴な真似をするの? 本来あなた達は福の神のひとつ……人間とは共生していたはず。」

「共生……よく言うね。月の蝶さん、あの屋敷のニンゲンが何をしたか解って言っているの?」

空気に、ぴりっと刺激が走る。
どうやら座敷童子の怒りが大気を伝わってきているようだ。
紅たちが何も答えないのを、否定と捉えたのか、彼女は哀れむように自分の腕の中の人形を撫でる。

「もう何代も前の話。あの屋敷の当主は、呪術の類に長けた人だった。福を呼ぶという座敷童子を……事もあろうに創り出そうとしたの。」

「そんな、馬鹿な……福の神を創る、ですって……? 出来るはずがないわ。」

「無論、そうよ。だが当主は創れると信じて疑わなかったの。そして、この人形を祭り上げ、贄を捧げた。五つや七つの幼い少女の首を生きたままもぎ取って……。何人も……何人もよ!!」

狂っている……。

皆声には出さないが、同じ事を考えているようだった。
静かな表情のまま話を聞く紅たち一人ひとりを見据えて、座敷童子は話を続ける。

「当主は……村の少女に手を出すだけに止まらず、周りから拐かすまでになった。たまたま通りかかった私は、この人形に捧げられた少女たちの魂を見かねて……当主が死ぬまでは屋敷に留まり福を与えるから、もう少女を殺すなと申し出た。当主は納得し、少女殺しを止めた。そのうち当主が死んだから、私も家を離れようとしたの、でも……。」

「……閉じこめられた、のね。」

「初めから私を手放す気などなかったのよ! 私はこの人形とともに結界の中に閉じこめられた。私を謀り……残虐非道な悪漢の血が流れる汚い者達に……福を与え続けなくてはならなかったの! この屈辱が……! 痛みが! あなた達に解るわけがないッ!!」

すぐには、誰も言葉を発さなかった。
劉嬰は無表情のまま行く末を見守り、朱雀王沈痛な表情を隠しもせず、真っ直ぐ座敷童子を見つめている。
紅はふっと小さく息をついて、紅葉の切っ先の向こうに立つ彼女たちに口を開いた。

「……だから、人間に復讐するのね……。」

「ニンゲンは欲深く醜い。殺されて当然なの……ふふ、あの盗人には感謝しようかな……私を結界の外に出してくれたから。」

「目を覚ましなさい、座敷童子……。あなたが殺した者達は、本当に欲にまみれた者ばかりだったのかしら?」

「……何が言いたいの……?」

美しい顔を歪め、吐き捨てるように言う座敷童子を見つめながら、紅は静かに続けた。

「あなたから受けた幸運を、他人のために使った者が居たでしょう。好いた娘に草履を買ってやった若者……病気の母親に美味いものを食わせた女……確かに己のために使った者も居るでしょうけど、本当にそれは見境なく欲を求めての事だったの?」

「…………。」

「……三太郎は…。」

今まで黙っていた、劉嬰が口を開いた。
表情は無く、座敷童子を見ずに床の一点を見つめていたが、嘘は感じられない声で、ぽつりぽつりと話す。

「……左兵衛は……あの日、仕事を抜け出して……町に行った。どこで手に入れたか知らない金で、高価な金平糖を買って……診療所の子供達にやるために。昔……五つの妹を助けられなかったと……ずっと言っていたから。多分、罪滅ぼしのつもりだったんだろう。」

「…………。」

「あいつは、妹みたいに幼くして死ぬ子供がいない世の中にしたいって、そのために戦ってた。お前がどんな福の神なのか知らないが…そんな人間の命、奪っていいのか?……私にしてみたら、お前もその当主も……同じ外道だ。」

「……劉嬰……。」

紅の呼びかけに、劉嬰は目線だけで返した。
深く沈んだ黒には、部下を悼む気持ちが感じられて。
紅は再び、切っ先の向こうを見据える。

「座敷童子……永きに渡り憎み続けて、己まで歪めてしまったのが解らないのかしら。」

「やめて! 黙れ、黙れッ! 浅ましく乞うばかりのニンゲンが何を言うのぉぉおお!!」

座敷童子が怒りに任せて叫ぶと、再び人形の髪が伸びて紅に襲いかかった。
しかし紅はそれを軽く斬り伏せ、素早く間合いを詰めて紅葉を真一文字に振るう。
斬撃は人形の首に当たり、髪を振り乱しながら白く美しい顔は鞠のように跳ねて畳に転がった。

「惨いことを……! 少女達の恨み、何んで解らないの!」

「その恨みを利用し復讐の道具にする方が、余程惨いとは思わないのかッ!」

斬りつけた刃を、座敷童子は扇子で止めた。
まるで鋼で出来ているかのように、繰り出される斬撃をすべて受けると、隙をついて反対の手を紅に向けて突き出す。
突き出した白い腕は太い針のように鋭く尖っており、紅を貫こうと何度も襲ってきた。
去なし、受け、鍔迫り合いになった両者は互いに後方に飛ぶと、再び地を蹴ってぶつかり合う。


――――互いに突き出した刃に膝をついたのは、座敷童子の方だった。


紅色の着物の帯を赤く染めて、座敷童子は黒くよどんだ瞳に柔らかな光を写し、よろよろと立ち上がると転がっていた人形の首を抱きしめる。
憎しみに歪んだ少女は、唯一慈しんだ魂たちをそっと抱き締めて。
黒く美しい髪を梳くように撫でた。


姿は幼子なのに、それはまるで我が子を抱く母のようで。
紅たちは静かにその情景を見守るしかできなかった。

「人……不幸にしなきゃ。じゃないと、役目が果たせない……」

ぽつりと座敷童子がつぶやいた言葉に、紅は首を振ると、座敷童子に近づいて優しく抱きしめた。

「不幸にする必要なんてない。幸福にする必要もない。あなたの持つものはあなたの自由に使いなさい。……先ほど、『<座敷童子>か……そう呼ばれることもあったかな。』と、言っていましたね?……貴方の名前を、教えていただけますか?」

「私は……小姫。ふふ……親切にしてもらったから……お礼、したかった人がいたのになぁ……ごめん、なさい。」

そう言い終えると同時に、座敷童子……小姫は空気に融けるように霧散する。
後には、首と胴が切り離された人形がまるで恨みの証のように、ぽつんと残された。

「……座敷童子『小姫』……紅葉が、屠らせてもらった……。」



第陸妖『座敷童子』 完