月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第参妖『手ノ目』2



「で、どうしたのですか。お春は。」

「そりゃ、逃げたさぁ。おっかなくておっかなくて。腰が抜けるかと思ったもん。」

団子の調達先の『村雨屋』で、緋色の外套をかぶった紅と本紫の外套をかぶった屡狐は春という娘にご馳走された茶を啜りながら、へぇ、と相槌を打った。

「でも、物の怪とは限らないんじゃないかの? ほら、お春の言う通り座頭とかでは。」

団子をほおばっている屡狐が横から口を挟んだが、春はそれに眉をしかめて答えた。

「でもさぁ? 暗い道であんなの聞いたら、誰だって物の怪だって思うよ。」

「ですから。暗い道のお遣いなんか引き受けなければ良いのです。適当に誤魔化してしまえば。」

紅が真顔で言ったのを、春は平手で肩を軽く叩いてあからさまに小声になる。

「そういう訳にいかないでしょ! 旦那様にはよくしていただいて、働かせてもらってるのに。おっかあに薬やるのだって、此処で働くしかないんだから!」

「若いのに偉いのぉ。」

屡狐が素直に感心すると、春は嬉しそうに笑って胸を張った。
彼女は、紅と屡狐御用達の甘味屋、秋雨屋の使用人だ。
人当たりのいい性格で、この店を訪れる内に仲良くなった。
病気の母親に薬をやるために一生懸命働く孝行娘で、何となく優しくしてあげたくなってしまう。
触れ合う相手を優しい気持ちにさせる綺麗な目が二人は好きだった。

「じゃあ今度は怖くなったら私を呼んでくださいね。いつでも飛んでいきますから。」

「紅さん口ばっかりだからなぁ。」

「まあ、ひどい。<有言実行の紅>って有名なんですよ? 知りませんか?」

紅が眉をしかめて真剣に言うと、春は楽しそうに「知らない。」と笑う。

「それなら、約束の印にこれをあげましょうか。」

「なぁに?」

紅が握った拳を光の掌の上で開くと、涼しい音がして鈴が落ちた。
それを見て、春は「うわぁ。」と声を上げる。

「可愛い! 綺麗! どうしたのこれ!」

「土産。欲しいって言っていたでしょう?」

「わぁ、さすが紅さん。女の子の言ったことだけは忘れないんだ!」

「一言余計ですよ。」

紅が苦笑すると、春は嬉しそうに鈴を鳴らしながら悪戯っぽく笑った。

「だってぇ。『よく覚えてたね。』って言ったら、そう言うつもりだったでしょ?」

「はは、こんな小娘に読まれていては世話がありませんねぇ。」

紅が肩をすくめると、春は「小娘とはなによう。」とむくれる。

「さて、そろそろ帰りましょうかね。」

どうやら鈴も気に入ってくれたようだし、紅は安心して席を立った。
深緋(こきひ)の布が敷かれた腰掛けに小銭を置くと、春は慌ててそれを拾い上げる。

「やだ。ご馳走するって言ったじゃない。」

「小娘に奢られたとあっては、私の名に傷が付きますからね。」

「小娘じゃないやい。」

紅は再びむくれた春に、にこりと笑いかけると、つられたように彼女も満面の笑みを浮かべた。

「また来てね。鈴、ありがとう!」

「どういたしまして。」

「団子を食べにまた来るぞ!!」

手を軽く上げて紅と屡狐が消えるのを、光は手を振って見送った。
振る度に、ちりんと音の華が咲いて。
小銭を握りしめる温もりと、その音に、春は空に向かって一人笑ったのだった。