月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第伍妖『妖刀―紅葉―』2



「…十人目、か。」

神に使える使役鳥の烏丸 黒天こと八咫烏は、野次馬の間から血の痕を見て呟いた。
いつもの如く、神に様子を見てこいと命令を受け、こうして町人に化けて野次馬に混ざっているのだが、死体は酷い有様で、野次馬の中にも吐いてしまう者が居るくらいであった。
天罰で死ぬのもかなり惨いが、それとはまた違う惨さをみせるそれに、八咫烏も眉をしかめた程だ。

先程<十人目>と呟いた通り、最近この辺りではこういった事件が相次いでいる。
死体は皆一様に、弄ばれるかのように何度も切り刻まれ絶命していた。
殺しには間違いないのだが、被害者は老若男女問わず、場所もまばらで、目撃者もない。
これは今回も下手人は挙がらないでしょうね、と思いながら、八咫烏は野次馬を離れた。
歩きながら側に建つ旅篭を何の気なしに見上げて、肩をすくめる。

「玄関先で殺しじゃ、春野屋も商売あがったりだなぁ。」

「そうなのよ。」

独り言に返事をされて、ふと声の方に顔を向けると、そこには見知った女が浮かない顔で立っていた。

「お幸さん。」

彼女は、旅籠・春野屋で働く使用人で、以前別の使役獣が物の怪に惑わされたときに話を聞いたことがある。
彼女と知り合ったのは、それよりも前のことで、町人である<烏丸 黒天>のいい話し相手という所だろうか。
実際八咫烏も、幸のさっぱりとして明け透けな物言いを気に入っていた。
しかし同時に、彼女の頭の回転の速さにはときに目を見張るものがあって。
もしかしたらただ者じゃないかもしれないと、密かに警戒している所もある。
まあ、神界に害がなければ彼女が何者であろうと関係ないのだが。

「そういえば、お幸さんはここで働いていたんでしたね。」

「そうよ。早いとこ下手人が捕まってくれなきゃ、こちとら商売あがったりよ。割食うのはいつもあたしら使用人なんだからね。」

「それは大変ですね。僕に何か出来ることがあるなら言ってください。」

その言葉を聞くと、幸は八咫烏の腕を取り、身体を押しつけて悪戯っぽく笑った。

「あら、じゃああたしがお相手する代わりにお金くれるってのはどう?」

「そういう事は金を持っていそうな輩に言ったほうが良いですよ。」

「あら。黒天さんならあたし、タダだっていいわよ?」

「<タダより怖いものはない>って祖母からの遺言なんです。慎んでご遠慮申し上げます。」

黒天がやんわりと幸から離れると、彼女は「けち。」と頬を膨らませてから楽しそうに笑った。

「じゃあ、下手人あげてよ。」

「ただの町人の僕より、お侍様あたりに言ってください。」

「侍より、黒天さんの方が頼りがいがあるんだもの。あたしの好みだし♪」

「それはうれしいですが。聞いた話では、下手人も殺しも見た奴はいないって言いますし。挙がらないんじゃないんですか? 簡単には。」

袂に腕を突っ込みつつ苦笑する八咫烏に、幸はどこか楽しそうに人差し指をぴんと伸ばして自らの唇に添えた。

「あたしの秘密。黒天さんにだけは教えてあげる。」

「秘密?」

「ゆうべ、あたしが見たこと。」

ゆうべと言えば、さっきの男が殺された夜のことである。
この状況からして、彼女が言わんとしていることは容易に想像がつく。
八咫烏は絹の肘に手を添え、人混みから離れた。

「……何を見たと?」

少し真剣な顔で問う黒天に、幸は楽しそうに肩をすくめて。
囁くような小さな声で答える。

「全部よ、全部。下手人も、殺しも。」

「何で名乗り出なかったんですか?」

「あたしだって死にたくないもの。」

幸は少し口を尖らせてそう言うと、後ろ髪をいじりながらぷいとそっぽを向いた。

「どこでアイツが聞いてるかわからないじゃない。ほかに仲間でもいたらどうするの? あたしが<見た>って知れてご覧なさいよ。今度はあたしが同じ目に遭う。そんなのまっぴら。」

「なるほど。ではどうして僕には話してくれる気になったんですか?」

八咫烏の問いに、そっぽを向いていたのを目線だけ戻して。
妖艶に笑いながら幸は八咫烏に向き直った。
白く細い指で自分の顎に触れ、そのまま同じく白い首筋をすいと撫で鎖骨をなぞる。

「そりゃあ、黒天さんだからよ。」

「随分信頼されているんですね、僕。」

「違うわ。黒天さんになら、殺されるのも悪くないなと思ったの。」

上目遣いにそう言ってから、幸は一人で楽しそうにくすくすと笑った。

「やれやれ……どこまで本気なんだか。」

「それはお互い様よ。でも、見たのは本当。下手人は女なの。こう……薄い色の……漆黒の髪をしていて。紅と黒の着物を着てた。」

「……え……?」

幸の言葉に、八咫烏は眉をしかめた。
一人その特徴に合う女を思い浮かべるが、すぐ否定する。

まさか、あの人に限って有り得ない。