月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第漆妖『羅門深紅隊』12
「お兄ちゃん。」
声を掛けられて振り返ると、そこには田坊が居た。
陽鳴が乗っている枝より少し上の方にいた彼は、軽い動作で隣まで降りてくる。
「蛭子さんが相手にしてくれないから手合わせしてくれって用件だったら、明日の昼間にしてくれる?」
「解ってるよ。僕だって夜は仕事があるよ。黒犬の部隊なんだからね。」
胸を張り、立てた親指で自分の胸をトントンと叩く田坊に、陽鳴は少し笑った。
先程まで夕暮れの朱を湛えていた空は、既に夜の帳をおろし。
漆黒の身に銀の月を宿していた。
そこかしこに置かれた篝火に影を揺らし警備の兵もせわしなく動いている。
夜に出るという例の物の怪を警戒してのことだろうが、ここまで厳重だと自分の出番はないかもしれない、と陽鳴は苦笑した。
「聞いた? お兄ちゃん。首の話。」
「そりゃ聞くよ。城中その話で持ちきりなんだから、嫌でも僕の耳に届く。」
「あのお姉さん……紅、だっけ。あーいう首といつも戦ってるわけでしょ?」
きょとんとした顔で自分より身長の低い田坊を一瞥すると、彼は興味に目をきらきらさせてこちらを見上げていた。
まったく、好奇心旺盛だな……。
「まぁ、僕も蛭子さんの仕事でたまに連れて行かれるけど。生首と言えば、こんっなでかい大首と戦ったこともあったね。」
「うわぁ、凄い!」
陽鳴が腕で示した大きさに、田坊は目を丸くした。
思い出してみても、あの妖怪は確かに大きかった。
あんなものを一刀のもとに両断するのだから、紅も蛭子もたいしたものである。
「他に、もっと大きい奴は?」
「他……?」
田坊にせがまれて思い出してみると、そういえば蛭子に初めて会ったとき退治した絡新婦も大きかった。
退治はしていないが、多度山が主武者猫ももやたら大きいらしい。
それを話してやると、田坊はさらに目を輝かせて興奮しているようだった。
「あのお姉さんも、蛭子おねえちゃんも、凄いんだなぁ……! 化け物なんか、誰にだって退治できるもんじゃないよ!」
「まぁね。でも本人は……凄いなんて思ってないと思うよ。」
「えぇ。なんでさ。」
蛭子も紅も、化け物だろうが何だろうが、命を傷つければ自らが傷つく、優しい女だ。
自分がとうに手放してしまったものを、あんなに傷つきながらも必死に抱えて。
痛いだろうに……不器用にただ耐えるだけ。
だから……蛭子も紅も護らなければならない。
この身体なら、もう痛みなど感じないから。
降り注ぎ突き刺さる痛みの、盾になるように。
……自分に出来るだけ。
「……優しいからね。見た目と違って。」
「あはは、確かに見た目キツそうだからなぁ! 意外意外!」
陽鳴の冗談――いや、八割くらい素直な感想だが――に笑って、田坊は楽しそうに手を叩いた。
自分が言うのもおかしいが、田坊は兵士の割に明るい。
だがこれは、真の明るさじゃないのを陽鳴は知っていた。
<同類>の自分だから解る。
彼の奥底には……闇が流れ渦巻いているのだ。
そしてそれを明るい面で隠している。
……悟られるのが、嫌だから。
「……でも、意外だなぁ。あ、お姉さんと蛭子お姉ちゃんの顔じゃないよ。」
まだ少し笑いの尾を引きながら、田坊は陽鳴を見上げた。
陽鳴は何が意外なのか解らず、問うように少し眉を上げる。
「お兄ちゃんは、<優しい>なんて言葉使わない人間だと思ったんだけどな、僕。」
「……そうだね。」
気付かされて、苦笑する。
言われてみれば、<優しい>なんてあの日以来ろくに口に出したことがない。
演技で必要なら言うが、心でそう思ったことはないのだ。
<優しさ>は、<甘さ>だったから。
初めの頃は普通に優しいと言っていた気がするのに……
こうやって変わっていくのかと寂しい気持ちもあったが、それよりも陽鳴は恐ろしかった。
確実に心を変えていく、<あれ>が。
「おっ。さてはお兄ちゃん、蛭子お姉ちゃんといい仲なんだね!?」
「それ蛭子さんの前で言ってみな。確実に五体満足で帰れないから。」
「うわっ……おっかないなぁ。」
眉をしかめて首をすぼめた田坊に、陽鳴は笑った。
田坊も黒い雨ガッパに口元を埋めながらくつくつ笑う。
「……そういえば、片割れはどうしたの。」
「畑坊? ……犬神様に呼ばれてるとか言ってたなぁ。」
「へぇ。」
「何か小難しい調査だよ。僕にも教えてくれないとこ見ると、なんかあるなぁ。密命ってやつかな?」
つまらなそうに頬を膨らませながら田坊はぶつくさ言っていたが、尖らせていた口をにやりと曲げて、ゆったり伸びをしてから雨ガッパを少し退かし首を掻いた。
「ま、焦らなくても最後は僕に回ってくるだろうね。いつもそうだし。」
「ふぅん。…………。」
首を掻く手元を陽鳴がじっと見ていることに気付くと、田坊はさっと表情を強ばらせて首を隠すように雨ガッパを直す。
「今の……痣?」
「このあいだぶつけたんだよ。さーてと、さぼってっと叱られちゃうな。」
陽鳴に悪戯っぽい笑顔を見せて、田坊は枝から落ちるようにして消えてしまった。
さっきのは……明らかにおかしかった。
表情や態度もそうだが、何よりあの痣……。
まるで、首と身体の継ぎ目のような。
「……田坊……。」

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