月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第捌妖『羅門深紅隊―後編―』5



「紅、どうしたの?」

蛭子に呼ばれて、紅は振り向いた顔を戻した。
少し心配そうに自分を見る彼女を安心させようと、ほんの少し口元に笑みを浮かべ、首を横に振る。

「いえ。呼ばれたような気がしたのですが……気のせいだったようです」

「そう。……しかし、今日は静かな夜ね」

庭で、ろくろ首の警戒に加わっていた蛭子は篝火を見ながらそう呟いた。
言われてみれば、さっきまで吹いていた風もない。
警戒の為城の各所に配置された兵士たちも、その静寂に少しばかりそわそわしているようだった。
もうすぐ首が出ると言われる夜中だから、それもあるかもしれない。

「紅殿」

ふと頭上から声がして、畑坊が屋根に現れる。
闇に映える白い雨ガッパは、篝火のせいで仄かに朱い。
畑坊は少し強ばった表情で紅を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。

「田坊を眠らせました。よく効く薬ですが……朝まではもたないかもしれません。我らはその種の薬は効かぬよう訓練されていますから」

「今までの出現時刻を考えれば十分でしょう。部屋に案内して頂けるかしら?」

「……御意」

蝋燭を手にした畑坊に案内されたのは、庭の奥にひっそりと建つ倉だった。
倉と言ってもそう大きくはなく、物置程度のもので。
扉はそれなりに頑丈そうではあるが、その気になれば破れそうだ。
黒燿は、その中に寝かされていた。
筵(むしろ)を敷いた上に眠る彼は昼間と何ら変わりなく。
寝顔も穏やかなものだった。
側に跪き、黒い雨ガッパをどける。
田坊の首には、首と身体の継ぎ目のような痣が確かにあった。

「…………」

「……田坊は、助かりませんか……」

倉の外から、畑坊がそう呟くように聞いた。
背後には篝火に照らされる庭があるせいか、ところどころが闇色に染まり、こちらからでははっきり見えない。
だが、辛うじて見える表情は憂いているようだった。

「……正直、現時点では解りません」

「でも……身体を見れば解るのでは……」

「文献で知るろくろ首とは、どうやら違うようなのです。田坊からは怨の気配を感じ取れないのです。その気配が強ければ深く闇に捕らわれてしまっておりますし、弱ければまだ人間に近い……ですがそれが読めないとなれば、判断のしようもありません。」

「…………」

「ろくろ首としての田坊を見れば解るかもしれませんね。」

紅は立ち上がって、胸元から碁石を六つ出した。
黒三つ、白三つをそれぞれ唇につけながら呪文を唱え、田坊の周りに等間隔で置いていく。
黒と白を交互に六点置き終えた紅は、田坊から少し離れて両手で印を結んだ。

「……陰陽六星……布して伏せよ数多が通(みち)。」

素早く印を解き、スッと腰のくれないを鞘ごと抜くと、紅はその柄で黒と白の石を繋ぐ線をなぞる。


「柎(フ)を以て、烙(ロク)の意志を此処に布し。六星のもとその戒めを勒(ロク)する。陰陽六星……布して伏せよ、数多が通……」

柄で描く線がひと巡りするのと同時に、碁石はぱっと燃え上がり影だけをその場に残して消えてしまった。
六つの小さな影に囲まれた田坊を見ながら、紅は紅葉を腰に戻し畑坊を振り返る。

「浮遊する首は、ろくろ首に憑かれた人間の魂が具現化したものと言われています。そして、それを身体と切り離さない限りは首をいくら討ったところで意味を成しません。」

「切り離す……?」

「黒燿の周りに結界の準備をした。これでこの場にいなくても、好きなときに結界が張れる。飛頭蛮が現れてから結界を張り、身体との繋がりを断ってから討てば…首は死ぬだろう。結界の中の身体が死ぬかどうかは、黒燿の命がどれだけ飛頭蛮に蝕まれているかに依る。」

「……首は、現れるでしょうか……」

「……さあ。ですが、現れれば、私は構わず斬りますよ」

確かめるような調子で言った紅の台詞に、畑坊はしばらく固まっていたが、小さく頷いた。

倉から紅が出ると、畑坊は扉を閉め錠を下ろす。


「……僕は……ここで田坊を見張ります……」

「…………」

「……近くに、居たいから……」


倉の戸を背に俯く畑坊の肩をぽんと叩いて、紅は少し優しく言葉を紡いだ。


「私は……向こうで蛭子と飛頭蛮に備えます。何かあったらすぐに呼んでください」

「……はい。」


決意を持った瞳で紅を見つめる畑坊をその場において、紅は元来た道を戻った。
篝火が輝く正門の方に向かうと、蛭子がこちらに寄ってくる。

「……準備は出来たの?」

「はい。滞りなく」

「そう……」

そわそわと、どこか落ち着きのない様子の蛭子に、紅は首を傾げた。
蛭子は、良くも悪くも肝の据わった女でこんな風に浮き足立つのは団子を待っているときくらいのものだと思っていた。
特に戦いでは、頭に血が上ることはあっても、そわそわと落ち着かないことなどあまり無いように思う。
ろくろ首との決戦を間近に控えて武者震いをしているようにも見えないし……

「……蛭子。どうしました?」

「ん……?」

「少し……落ち着きが無いと思ったんですけど。」

言われて初めて自覚したのだろう。
蛭子は目を丸くして、紅に表情を見られないためか、遠くの空を仰いだ。
「そんな事はない……と言っても通じないわね。実は、陽鳴がね……」

「陽鳴……?」

「呼んでも来ないのよ。夕刻、周囲を見回ると言ったのを最後に……姿を見せないの」

どくん、と胸が痛んだ。
それが不安のせいだと知りながら、紅はかき消すように少し口角を上げる。

「陽鳴の事ですから……三手先を読んで仕事に勤しんでいるのでは……?」

「……普段は、気にならないのよ。私は陽鳴を信頼しているし、そう簡単に倒れる男でもないと思っているわ。姿が見えずとも、自らの職務をこなしている事は今まで何度となくあったし、それを咎めたこともないわ。そうだな……信頼と言うより、陽鳴の言うように信任という言葉が正しいわね。あれに任せておけば滅多なことは起こらないわ。」

「それならば……」

「違うの。」

天を仰いでいた顔を、蛭子はこちらに戻した。
その表情は真剣で、彼女の紡ぐ言葉を裏付けている。

「確たるものは何もないの……だけど、いつもとは違うの。虫の知らせ、とでも言うのかしら……」

「蛭子……」

「…………紅。あなたも気付いているかも知れないけれど……最近陽鳴は、何かを悟られまいとしているの。私には何も言わないの……あなたは何か聞いている?」

紅が首を横に振ると、蛭子は「そう」とだけ答えて。
背中から矛を抜き正門をじっと見つめた。
その背中はさっきとは違い落ち着いていたが、言葉にはならない不安が漂っている。
紅も、腰の紅葉に手をやって城の屋根を見上げた。

いつもひょいっと屋根に現れる彼の姿は、今ない。
彼のことだ、心配するだけ損だろう。
そう言い聞かせても、心の奥はざわついていた。

いくら、任されているとはいえあの陽鳴が主の元をこんなに空けるだろうか。
何か考えがあって、姿を眩ませているのか。

それとも……

「陽鳴……」