月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第捌妖『羅門深紅隊―後編―』3



「よし! もう一本ッ!」

夏の日差しが降り注ぐ青葉城の庭で、何度目かの元気な声が響くと、陽鳴はうんざりした顔で頭をかいた。
目の前で準備運動をする田坊はまだまだ元気で、これが若さか……と深いため息をつく。

「田坊……頼むから休憩しよう?」

「えー? 草薙蛭子に仕える精鋭部隊の隊長ともあろうお人が、この程度の手合わせで音を上げるなんて……軍状態の沽券に関わるんじゃないのかな?」

わざとらしくニヤニヤしながら、田坊は縁側に座って鍛錬を見物する蛭子を横目で見る。
勿論そんなことを言われて蛭子が黙っているはずもなく。
眉をつり上げ、勢いよく立ち上がりながら陽鳴の名前を叫んだ。

「陽鳴ッ!!」
「はーい、なんすか……」
「何、その気の抜けた返答はッ! 子供の情熱に負けるようじゃ、まだまだだよッ!! 頑張りなさい!!」
「あー……もう……いいように挑発されちゃうんだからなぁ……」

しかし陽鳴も、蛭子にここまで言われれば立ち上がらないわけにはいかない。
しゃがんでいた体勢を伸ばし、肩と首を回すと目の前の田坊を見る。

「解った解った。次がないように……本気出してあげるよ」

「えへ、そうこなくっちゃ!!」

休みを貰った田坊とその双子の畑坊は、城の敷地内で余暇を過ごしていた。
よほど蛭子を気に入ったのか、田坊はしつこいくらいに鍛錬を強請り、それを許して貰ったら今度はなかなか終わろうとしてくれない。
いくら蛭子といえども迸る若さには勝てず。
何度となく繰り返される手合わせにぐったりして陽鳴に交代と言い鍛錬を押し付けたのであった。
蛭子、双哉、紅、畑坊は縁側に座り、それを楽しそうに見物している。
手合わせだからと田坊の実力に合わせていたが、このままだと夜まで鍛錬に付き合わせられそうなので、陽鳴は本気を出すつもりで構えた。
さっきまでとは段違いの気迫に、田坊も震える身体を抑えながら構える。

「……やっと引きずり出したよ、お兄ちゃん。<貴方>とじゃなきゃあ意味がないもんね」
「子供はこれだから……痛くしないと自分の範疇もわかんないのかな」

次の瞬間、土を蹴って陽鳴は消えたかと思うとすぐさま田坊の間合いに飛び込んだ。
田坊はその速さにたじろぐどころか、楽しくてたまらないといった笑みを浮かべ、まず陽鳴の一撃をかわし拳を突き出す。
それが払われても今度は蹴り、と果敢に応酬される手足は、見物している紅も目で追うのが精一杯の速さだった。
恐らく戦闘に慣れていないものなら見えもしないだろう。
力強く振るった陽鳴の回し蹴りに掠って、均衡を崩した田坊に、追い打ちのつもりで拳を突き出す。
当たる、と確信を持って放ったのだが、田坊は人差し指と中指を唇の前で絡め次の瞬間闇に飲み込まれた。
空を切った拳が振り切るのを待たず、陽鳴は背後を蹴る。
その脚を背後に現れた田坊が小手で受け止め、二人は動きを止めた。

「……やるね?」
「未来の天才だよ? 僕は」
「はは、口だけは一人前なんだからなぁ」

受け止められた脚に力を込め、強引に田坊の防御を開くと陽鳴は身体に回転を掛けさっきまで軸にしていた脚で彼を蹴る。
風の刃とも言えるしなる脚を間一髪で後ろに避け、田坊は間合いを取ってからもう一度構えた。

「一人前のフリでも何でも……自分の力はココまでなんて、線引きなんざしたくないんだよ、僕」

「……」

「見上げるだけが能じゃあない。子供は子供なりに、<越える>って覚悟を掲げてるんだよッ!」

黒い雨カッパを靡かせて、田坊は地を蹴った。
それとほぼ同時に姿を消したと思ったら、陽鳴の上空に現れ踵を打ち下ろす。
陽鳴はそれを避け間合いを取ろうと下がるが、田坊は執拗にそれを追った。
何度目かの攻撃を避けた陽鳴は、後退するのを急に止めぐっと踏み込むと田坊の顔面向けて回し蹴りをかます。
咄嗟に体を反らせてそれを避けた田坊が回転して陽鳴を正面に見る頃には、既に彼は間合いの中にいて、全体重を乗せた肘鉄が鳩尾に食い込んだ。
ぐらついた視界が一瞬白くなり、呼吸も打ち切られる。
田坊は吹き飛んで地面に叩き付けられそうになるが、直前で身体を返し腹を庇いつつ着地した。

「……ッは。……流石、速いなぁ…」
「僕が武器を手にしてたら、今頃下半身におさらばしてるとこだよ?」
「ははっ……それは困るって僕俺まだ若いしこれからたくさん使う予定があるんだからさ」

痛みを堪えながら笑っていると、地面にすっと影が差す。
見上げた先には、差し伸べられた陽鳴の手があった。

「……陽鳴お兄ちゃん……」
「あんまり長くは待てないよ」
「…………」

手を取って、ゆっくり力を込める。
越えるという覚悟を奥にちらつかせ自分を見つめる若い魂にふと微笑み、陽鳴は彼の身体を引き上げた。
そう長いこと待たずとも……きっとこの子なら追いつくだろう。
それまで、生きていればの話だが。
田坊を心配して畑坊が駆け寄ってきたので、陽鳴は彼に目を向け声を掛ける。

「畑坊……君は?」
「え……。あ、僕は……柊殿もお疲れでしょうし」
「はは、いつの時代も子供のお守りは骨が折れるからね」
「ちぇ、まだ子供扱いかよ……」

口を尖らせていじけた田坊に、陽鳴と畑坊はけたけたと笑った。
縁側にいる紅たちもその微笑ましい光景に笑い声を漏らす。
佐助が縁側に寄って武器を戻していると、双哉が蛭子や紅を越えて声をかけた。
丁度獲物を腰に引っ提げたところで彼を見ると、端正な顔で挑発するような笑みを浮かべている。

「うちの子を鍛えてくれるなんて……意外と親切じゃねぇか。見直したぜ」
「そりゃどうも。よく育った暁には引き抜きに来るんでよろしく」
「……前言撤回だ」

眉をしかめた双哉が可笑しくて、紅と蛭子は顔を見合わせてくすくすと笑った。
それを耳で聞きながら、は空に向けてぐっと伸びをすると幸村たちを見る。

「さて、僕はちょっと失礼するよ」

「陽鳴。お前は私の護衛じゃないの。私が此処にいるのにどこに行く気なのかしら?」

「護衛だよ。ところが僕の主ときたら見事に放任主義なもんで。三手先を読んで行動しないと満足してくれないからね」

「放任では聞こえが悪いわ。信任にしておきなさい」

「はいはい」


既に主に関して色々諦めている陽鳴は、苦笑して肩を軽く回すと屋根へと上がり姿を消した。
蛭子はお目付がいないせいか急にうきうきし始めて、子供のような笑顔で田坊と畑坊に手合わせを申し込む。
紅は双哉の隣でそれを眺めつつ、姿を消した陽鳴が気になって仕方なかった。
紅はそう思いつつ手合わせをしている蛭子と田坊・畑坊に目を向けた。
本当に、田坊がろくろ首なのだろうか。
禍魂に反応する紅葉が鳴かないのもあったが、何よりあんな風に未来に思いを馳せ、生きようとする命が、闇にとらわれ己を失してしまうものなのか。
彼の内側に渦巻くものを紅狐知る由もないが、陽鳴や蛭子を見る彼の瞳に嘘はなかった。

決意や覚悟を飲み込む、闇。
そんな恐ろしい深いものに、田坊は捕らわれているのだろうか。

「……今夜、だろ?」

隣の双哉も同じ事を考えていたのか、呟くようにそう発した。
紅はひとつ頷き返しつつ、目の前の景色から視線を外せなかった。
手合わせと言うよりじゃれ合いに発展したその景色は、笑い声に包まれ。
あまりに、穏やかだったから。