月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第捌妖『羅門深紅隊―後編―』4



「……やけに朱いな……。」

山から城を見上げて、陽鳴は呟いた。
傾き夕日となった太陽が、己の朱を城壁や石垣に滲ませて。
やけに不安を誘うその色合いに胸騒ぎを覚えつつ陽鳴は枝から地面に飛び降りた。
ろくろ首退治まではまだ間もあるし、裏門の方でも見回ろうと青葉山に降りたが、早いところ戻った方が良さそうだ。
いつもの速さで過ぎていく樹木を横目で見ながら走っていると、過ぎ去る幹と幹の間に影がちらりと見える。
同業者か? と眉をひそめ窺うために一旦枝に上がり息を潜めた。
だが、影はいつまでも正体を現さず。
気付くと辺りは不自然なほど静まりかえっていた。
さっきまで朱かった夕日も、今はもう闇に飲み込まれ。
夏独特の五月蠅いほどの虫の声も。
微かな風に擦れる葉の音も。
まるで全てが死んでしまったような、静寂。

(……なんかやばくない?)

月は叢雲に奪われ輝かぬ、暗黒がじんわりと世界を襲う。
城は夕日を失っても、篝火で所々を朱く染めていた。
天使であり忍である陽鳴には、星の明かりがあれば十分見える。
だがそれをもってしても、この静寂を支配する存在を捉える事は出来なかった。

(とにかく……早く城に帰らないと。)

ありとあらゆる気配を失った死の山に枝をしならせる音を響かせ、陽鳴は前方の枝に跳んだ。
目標である枝に着地しようと空中で姿勢を変えた途端、それは飛び出してきた。
それが何か知るよりも早く、殺気を悟った身体は自然と武器を取り一気に切り裂く。
飛び込んできたそれに押されるようにして地面に着地すると、さらに別の気配が上から覆い被さるように襲ってきた。
それを大型手裏剣で斬り捨て立ち上がった陽鳴は、既にいくつもの気配に囲まれていた。
暗い山林に、生き物たちと入れ替わるようにして満ちる気配。
それらに気を配りつつ、陽鳴は足元を見た。
そこには、既に事切れた気配の正体が転がっている。
星明かりに浮かぶやせ細った手足。
醜く突き出た牙に、角。
その卑しい姿は覚えはないが一目で分かる。

「……鬼……。」

呟きに呼ばれるようにして、辺りを囲んだ鬼は一気に陽鳴に襲いかかった。
がむしゃらに突っ込んでくる彼らを跳躍で避け、強烈な回し蹴りで何体かの首をへし折る。
着地と同時に、倒れなかった鬼の一人の喉元にクナイを差し込み、それを身体ごと仲間に投げつけた。
一瞬怯んだ隙をつき、陽鳴が一気に放った短剣は的確に急所を打ち皆一様に死んでいく。
それを見届けるまで待たず、陽鳴は剣を背後に向けて半円状に振るい投げ。
鎖の力で手元に戻ってきた剣は、多くの命を奪い血に濡れていた。

「……やれやれ、頭数ばかり揃えちゃって……」

ひとつひとつは簡単に潰せるものの、まるでどこかから沸いているように倒してもキリがなく。
さすがの陽鳴も多勢に無勢で早いところ振り切って逃げるしかないかと考えた。
鬼を去なしながら突破口を探っていると、ふと立ち向かう鬼がいなくなる。
囲みは解かないが、皆じっと陽鳴を見据えるだけで襲いかかってはこなかった。

「……?」

この隙に逃げようとした陽鳴の前に、今までとは違う気配が現れる。
未だ闇に包まれ姿は見えないが、明らかに他の鬼とは異質な気配。
それは土を踏みしめゆっくりこちらに近付くに従い姿を露わにした。

「随分殺してくれたな……まぁ、なんぼでぇも居てるよってに。鬼なんて。」

「お前は……ふ、紅から話は聞いてる。すっかり悪役に収まったわけ? 鬼の親玉。」

「悪役……な。人間とちゃう生きもんを悪って定義すんなら、間違ってへんな。」

叢雲がいつの間にか戻った風に流れ、月が顔を出す。
月明かりに照らされたのは、下顎に牙を持つ陽気そうな赤ら顔をした青年だった。
頭からは、彼がヒトでない証の二本の角が生えている。
赤く深い瞳でこちらを見据える姿は、いつかより力強く見えた。

「鬼丸童子。常世への帰り道なら紅に聞いたろ。」

「……こないな外れた命を、救う奇特な人もおるんや。やからワイも、生きてみる気になってん。」

「……泣かせるね。」

面前に立つ青年は、鬼丸。
北条早雲に鬼道へと堕とされた魂だ。
一度は鬼を従え人間を喰らう自らを恐れ紅に救いを求めたが、結局早雲によって己が闇を解き放たれ紅に斬られた。
瀕死の鬼丸は早雲にさらわれ、その後は姿を見なかったが……恐らく彼がここまで彼を治したのだろう。

「それで、此処には何をしに来たわけ。」

「……仲間の様子を見に来たんや。でもちょっと城を落ってすのもええなって思うて。」

「頭平気? 難攻不落の要塞だよ。おまけにおっかない狼が住んでるっていうのに。」

「……人間の世界の話やろ、そら。ワイには関係あらへん。」

にやりと笑う鬼丸には、既に闇の存在へと堕ちた自らへの恐怖は感じられなかった。
生き返って、運命を受け入れたのだろう。
そうとなれば、かける情けもないか。
陽鳴は手首を少し動かして手中に青い剣を握った。

「仲間……ってのは、ろくろ首だっけ?」

「ワイみたいに普通のろくろ首とちゃうねんけどな。」

「……死体になってしまえば、同じだろ?」

言い終えると同時に、陽鳴は腕を振るいクナイを放った。
風を切るいくつもの刃は見事鬼丸の急所を貫き、彼は夏の湿気に濡れた地面に倒れる。
そのままぴくりとも動かないので、倒れた鬼丸に近寄ると、彼は寝転がったままの体勢から手を振るった。
その巨体には似合わぬ素早い突きを避けると、鬼丸は反動をつけてひょいと起き上がり体に刺さった剣を引き抜く。
血を流すぱっくりと割れた皮膚は、まるで何事もなかったようにみるみるうちにぴたりと塞がった。

「……妖をなめんといてや!」

「マジかよ……。これだから面倒くさいんだよなぁ。化け物は。」

肩を竦めてため息をつく陽鳴に向けて、鬼羅は踵を振り上げる。
人の背を遙かに超えた鬼丸、その高さから一気に打ち下ろされる踵を避けると、すぐに切り返したもう一方の脚が襲ってきた。
触れてもいないのに、掠めた頬が裂けて、陽鳴は一足で鬼丸との距離をとる。
チリチリ痛む頬に触れると、黒い手袋に赤い血が滲んでいた。

「前のワイとはちゃう。見くびってると死ぬで。」

「……話に聞いてたのと全然違うなぁ。」

頬の血を拭って、陽鳴はにやりと笑って両手に得物を構えた。
鬼丸もそれに応え、低い姿勢で陽鳴を見据え微笑む。

「……堕天使の味がどないなもんか……楽しみや。」

「知りたきゃ喰いつきなよ……同時に地獄に帰ることになるけどね。」