月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第肆妖『天使』6
「やめろッ!!」
「紅! 来るなッ!」
屡狐の制止を、紅は無視した。
屡狐は魂だけの存在で、もし紡に消し飛ばされたとしても死ぬことはないんだと、紅は解っていた。
だけど……放っておけるはずがないわ。
紅はそう思い、妖刀の柄に手を掛けた。
「……まだ、式神の使い方を理解していないのね、紅。」
蛭子は、屡狐に振り下ろそうとしていた手を紅に向けてはなった。
闇を切り裂いて正面から紅に衝突した攻撃が強く発光する。
紅は白く反転した世界で陽鳴と屡狐の呼び声が聞いていた。
しかし、二人が心配したように紅はその攻撃に倒れることはなかった。
護るように翳した手の甲に赤く輝く印をそっと下ろして、蛭子を睨みつける。
彼女は驚いたように目を丸くした後、かすかに瞼を細めた。
「ふぅん……式なしで結界を張ったのね……」
「どうせ……あなたの言う屡狐の使い方なんて……放っておけだの使い捨てろだの……そんな下らないことなんでしょう……!」
「屡狐はあんたの召還した式神。あんたとの絆が切れない限り、たとえ消し飛ばされたとしても復活するわ。今こうして現世にあるように見えるは、所詮かりそめの物に過ぎないのよ。そんなものに熱くなってどうするの!? だからあんたは未熟なのよ!!」
「未熟で結構よ!!……私は屡狐に傷ついてほしくない! かりそめでも、また復活するって解っていても……傷つけば痛い、私の中では……屡狐は生きてるのと同じなんだから……」
「……紅、様……」
「生きてる命を、ものみたいに扱うなんて、私には出来ないわ!! だから未熟でいいの!!」
夜闇に、紅の叫びにも似た声がゆっくり融けて。
それが消え去る頃、蛭子は一瞬だけ優しい目をした。
「……やっぱり、似ているわね……」
「……え?」
「危ないッ!!」
急に陽鳴の声がして、視界がぐるんと回った。
次の瞬間、目映い光が放たれたかと思うと、紅は陽鳴に庇われるような格好で地面に倒れていた。
慌てて蛭子を見ると、彼女も予測していない事態だったのか険しい表情で背後の闇を振り返る。
「……甘い、甘すぎるねぇ。蛭子……」
「…………未箏、木霊様……」
闇から現れたのは、800年ほど昔に流行った浴衣を着ている少女だった。
歩く度に、漆黒の毛先が大気に揺れ、その透き通るような蒼い瞳は静かで微笑みを湛えてはいたが奥に冷たいものを感じる。
紅と屡狐が蛭子から視線をはずさぬまま戦闘態勢に入る、と、その時陽鳴が小さく呻く。
押さえた腕には、赤いものが滲んでいた。
「陽鳴……!」
「かすり傷だよ。それくらいできゃんきゃん騒がないでね? 五月蝿いからさぁ。」
未箏 木霊と呼ばれた少女は言葉に呆れを混じえながら言うと、なんともいえない表情で紅を眺めた。
「なんなのじゃ……貴様……」
「えっと私の名前は……みとこ? あれ違ったような……? まぁ、いいや。口の効き方に気を付けてねぇ? 私はそこの蛭子とは比べものにならないほどの高位の人間、らしいよ~。お前など、口を利くことすらおこがましい。だよね、蛭子。」
「……噛みつく相手は選びなさい、紅。」
「地位なんか関係ないでしょう。少年が傷つけられてるのに。」
「噂通りの餓鬼だ……ものになるのかと心配していたんだけど、杞憂じゃなかったようだねぇ。お前の責任だよ、蛭子。」
「…………」
「ものにならない駒は……始末しておいてねぇ。勿論、そこの邪魔な部外者もねぇ。」
「未箏様……しかし。」
「秘密は絶対なんでしょ? 記憶操作なんて生ぬるいよ。殺すのが一番早くて確実でしょ? これは命令だよ、蛭子……お前を召還したものとしての、ねぇ。始末できなければ、お前が罰を受けてねぇ。……死が安らぎと思えるような罰を用意しておいてあげるから。」
それだけ言うと、木霊はくるりと振り返り、闇に消えた。
それを見送り、蛭子は屡狐から矛を抜き取ると傷口にそっと触れて癒す。
矛をしまいながら無言でこちらに歩み寄って陽鳴の傷も癒した。
「……蛭子……」
「未箏様に気付かれないうちにと思ったのだけど、こうなっては仕方ないわね。殺されたくなければ黙って小屋に帰りなさい。」
「……普通の神じゃ、ないの?」
「……」
「……蛭子も……召還された式神なの……?」
蛭子は紅の質問に答えないまま、姿勢を正して闇の向こうに歩き出す。
屡狐が立ち上がって腕を掴んでも、その歩みは止まらなかった。

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