月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第捌妖『羅門深紅隊―後編―』2
「……綺麗な月だね。」
夜中。
誰もが寝静まった頃。
庭に出て月を眺めていると不意に頭上から声がした。
紅は聞き慣れたその声に屋根を見上げる。
しかし、見上げても屋根には誰の姿もなく。
ただ篝火の紅い揺らめきが闇に黒く染まった屋根を照らしている。
「……陽鳴。人に声を掛けるなら姿くらい見せたらどうかしら。」
声の主は、堕天使、陽鳴。
今回の仕事に半ば無理矢理ついてきた草薙蛭子の護衛だ。
姿を見せない陽鳴に、紅は少し怒ったような声色を見せたのだが、彼は姿を現さず。
再び声だけで返す
「今の僕は忍みたいなものだから。フツーはこんなもんだよ。」
「あなたが普段目立ち過ぎなのは解っています。だが話しにくくてしょうがないから出てきて欲しいといっているのです。」
苛ついたように腕組みをして、人差し指で肘のあたりをトントン叩いていると、陽鳴はやっと屋根の上に気配を見せた。
しかし、こちらからの光の向きをよく解っているのか、輪郭が何とか見えるだけで表情などの細部は見えない。
「……私を馬鹿にしてるのですか。」
「まさか。何でそこに行き着くわけ。」
「私は姿を見せろと言ったのです。」
「…………あぁ。」
何かに思い当たったような声を出して、陽鳴は屋根の上から消えた。
今度は何処に行ったのかと紅があたりを見回していると、不意に背後に気配を感じて。
勢いよく振り返った先にはいつも通りの陽鳴が立っていた。
しかし、思ったより距離が近かったのと勢いよく振り向いたのとで陽鳴の顔が至近距離にあり、紅は慌てて後ずさる。
「急に近くに来ないでください!」
「顔が見たいっていったり近くに来るなっていったり……注文の多が多いなぁ。」
「私はただ姿を見せろと……!」
「だから、見せたけど不満だったんでしょ?」
「…………。」
頭をがりがりとかいて吐き捨てるようにため息をつくと、紅は身体ごとそっぽを向いた。
その後、特に二人とも言葉を発さず、篝火が燃える音だけが空間に響く。
それに時折輝く漆黒の髪を眺めていると、紅は少しこちらを振り向いた。
さっきまでの動揺や苛立ちは収まったようで、目尻に朱を引いた静かで神秘的な目が陽鳴を見る。
「……どうかしたの?」
「どうかって?」
「昼間から、様子がおかしい気がして。」
その質問に、陽鳴は困ったように笑った
「別に、フツーだよ。」
「……。」
「そんな風に睨んだって、何でもないものは何でもないよ。」
庭石に腰掛けて、陽鳴が呆れた顔をみせると、紅は眉をしかめて月を見上げた。
その表情は、少し怒っているようにも見える。
「私に、何か隠しているでしょう。」
「まぁ、当然隠してるね。僕の全てを知りたきゃそれ相応の見返りをくれないと?」
月明かりに妖しく微笑みながら、陽鳴は立ち上がり紅の肩に手を置いて言った。
勿論冗談で、すぐに振り払われるのを覚悟しての接触だ。
しかし紅は、肩に置かれたその手にそっと触れ握り返した。
「……茶化さないで下さい。真面目な話です。」
「何だよ急に……あなたこそ何かあったんじゃないの?」
手袋越しでも、握られた手が、熱くて。
それに反応するように自分の中で疼くものが、恐ろしくて。
陽鳴は思わずその手を振り払った。
振り払ってから、つい焦ってしまったのを悔いて紅を見ると、彼女はこちらをじっと見ていた。
「……怖いのですか? 私が。」
「あなたが思いも寄らない事するから。……今ので『手を握ったから金払え。』とか言わないよね?」
「あなたは私を何だと思ってるんですか……。」
町を彷徨く雑魚でもしないような姑息な悪事を挙げられて、紅は陽鳴を睨んだ。
陽鳴はそれを笑顔で誤魔化し、頭をかく。
紅は、自分より頭一つ高い彼を見上げて、小さな変化も見逃さぬようにじっくり見つめた。
睨むのは止めたがそんな視線を向ける紅に、陽鳴は困ったように笑う。
「……何を隠すって言うんだよ。物の怪にゃ空っきしだし、それに役立ちそうな情報も入ってこないこんな所でさ。」
「今だけの話ではありません。……堕ちた頃から……いえ、あってないから当然なのですが、あなたはどこか、おかしい。」
真っ直ぐに向けられた真摯な眼差しに、陽鳴は少し目を丸くした。
紅は、鬼門のことを知らないがなんとなくわかって言っているのだとすぐにピンとくる。
しかし陽鳴は少し寂しそうな顔を作って微笑み返した。
「……そりゃあね。僕だって天界から追放され仲間に会えなくなれば人並みには悲しむよ。」
「……それだけかしら。」
「それ以外……何があるわけ。」
視線を真っ直ぐぶつけ合いながら二人はしばらく口をきかなかった。
沈黙の緊張が頂点を迎えたとき、紅がゆっくり息をつく。
「私の杞憂なら……それでいいのですが。」
陽鳴の返事を待つことなく、紅は背を向けた。
それを最後に、紅は闇の向こうへと歩き去った。
残された陽鳴は、ゆっくり腕を持ち上げて自分の掌を見る。
纏う漆黒を外し、現れた象牙色の肌に刻まれた紅い印は篝火の紅にゆらゆらと照らされていた。
「……あの事を、忘れられりゃ、苦労しないって。」
そっと、印に唇を押し当てる。
呪縛から解き放ってくれといわんばかりに。
冷たい、自分の温度しか存在しない、掌に。

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