月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第捌妖『羅門深紅隊―後編―』7



「……紅」

声の方を見ると、双哉が刀乃を従え歩いてくるのが見えた。
決戦に向けてきちんと鎧に身を包んだ双哉は側にやってくると、まず蛭子の肩をぽんと叩いてから紅を見る。

「……田坊は」

「準備は整えたが……肝心の首が……」

「……普段なら、もう出ていい頃なんだけどな……」

そう言って双哉が天を仰いだとき、遠くで叫び声が上がった。
それはどうやら閉じた正門の向こう側らしく、刀乃が門番に指示して正門を開く。
果たして、細く開きゆっくり繋がれていく景色には、ぼうと浮かぶ首があった。
暗闇に青白く光る、生首。
首の切れ目は霞が尾を引くようにゆらゆらと揺れ、唇を歪めて笑うその顔は、間違いなく田坊のものだった。

「……田坊……ッ!」

「大人しく喰われてればよかったのに……お兄ちゃんやお姉ちゃんたちを手に掛けるなんて残念だよ。いや……この場合は口かなぁ?」

楽しそうに高笑う首の下には、既にいくつかの死体が転がっていた。
皆喉を食い破られ事切れているようだ。
門番を始め妙な髪型の兵士たちは、その地獄図に息を呑んで顔を蒼くする。

「テメェ……本当に田坊か……」

「うん、そうだよ双お兄さん。ぼくが可愛いなら……このまま見逃して欲しいなぁ」

「田坊ッ! 貴様双哉様のお気持ちを少しは……ッ!」

「刀乃。いい。」

田坊の態度に怒りを露わにした刀乃を双哉は諫めて、腰の刀を一本抜いた。
その切っ先を首に向け、開いた両眼で真っ直ぐに見据える。
その気迫に満ちた眼差しは、側にいる者の言葉を奪うほどに力強く。
そして、憂いに満ちていた。

「……お前を倒す。俺がしてやれる事は……それだけだ。」

その言葉が、戦いの火蓋を切った。
駆けだした双哉が田坊を斬ろうと刀を振ると、まるで遊ぶようにひらりと避けて。
喉元に食いつこうとした首を、間髪入れずに刀乃が二つに叩き斬った。
ぼてん、と地に落ちた醜い首はまるで粘土のように互いに練り合い瞬時に元の形を取り戻す。

「……成程、お前が言ってたのはこういう事かよ。紅」

「ええ。繋がりを断たない限り……ろくろ首はいくらでも再生します」

紅は、双哉と刀乃がろくろ首を引きつけている間に胸元から再び石を取り出した。
それは普通の碁石と違い、白と黒が合わさって一つになっているもので、それを地面に置くと素早く院を結ぶ。

「陰陽一星……布して伏せよ数多が通。柎を以て、彼の六星のもと戒めを勒する!」

叫ぶのと同時に紅は腰から鞘ごと紅葉を引き抜き、柄の先で碁石を直角に打って砕いた。
一瞬そこから風が生まれ辺りを駆け抜けると、田坊が紅を睨む。

「……お姉ちゃん……何をしたの!?」

「愚問ですよろくろ首……あなたの身体なら既に結界の中です」

「ちぃ……! 顔は記憶から消えるはずじゃ無かったのッ!? 身体は見つからないはずでしょ!?」

首が正門の上を睨んで叫んだのでそれを追うと、そこには天然パーマの髪を持った青年が立っていた。
頭に日本の角を持つその鬼に、紅は目を丸くして呟く。

「……鬼丸……」

「久し振りやなぁ……紅。ワイのこと、覚えててくれたんやな」

月明かりを浴びて立つ鬼丸は、いつかとは違っていた。
姿形は同じでも、纏う気や秘めたる力が桁違いに上がっている。

ろくろ首と鬼丸が知り合いだと言うことは……やはりこの件、早雲が噛んでいたか……

「鬼丸兄さん! ぼくを騙したの!?」

「喚かんといてや……手伝ったるで」

ろくろ首を宥めてから、鬼丸はすいっと腕を振り上げた。
すると、正門や城壁を這い上がり、鬼たちが次々と現れる。
一気に増幅した敵の数に兵士は怯んだが、それを振り払うように蛭子が群れる鬼を薙払った。

「どうしたの双哉……! 奥州の武士はこんなものなのかしらッ!?」

「……ハッ! 馬鹿いってんじゃねぇよ蛭子! 化け物程度にビビってんじゃねぇぞ! いけお前ら!」

双哉の号令に、兵士たちは一瞬怯んだのが嘘のように、武器を手にして立ち上がった。
襲い来る鬼たちは双哉たちに任せ、紅はろくろ首に向けて紅葉を抜く。
ろくろ首もそれに気付き、口を歪めてにやりと笑った。

「ぼくを殺せるの? ……妖殺し。今ぼくを斬れば……身体も死んじゃうよ♪」

「……先刻承知しております。ですが、この刃を下げる気はありません」

「………そう」

くつくつと楽しそうに笑って、ろくろ首は大きく口を開き襲いかかってきた。
刀を振るっても動きが素早く、ひらりひらりと避けるのでなかなか捉えられない。
一旦間合いを取って紅葉を鞘に納めると、紅は瞼を閉じた。
「あれ……? 寝てたら喰べられちゃうよ~っ」

鋭い牙を剥き、ろくろ首は紅に向かってもてるあまりの速さで突進した。
もうすぐで紅の身体に食らいつく、というところで、紅は瞼を開き紅葉を抜刀した。
居合いに、顔を分断されたろくろ首は、分かれながら紅を通り過ぎ地面に転がる。
血を払い紅葉を納めて振り返ると、そこには崩れて元に戻れないろくろ首が無惨に落ちていた。

「……田坊……ごめんなさい」

「あーあ、てつだったったんに」

ろくろ首が倒れたのを知った鬼丸は、呆れたように肩を竦めて大きくため息をつく。
紅が眉をしかめて睨むと、鬼丸は大きな赤い瞳を細めてその場にしゃがむ。

「紅……それが紅の選んだ<救い>なんやな。そうやって斬り捨てて、常世に還す事が。」

「鬼丸……あなた……」

「あん時ワイは、死にたかった。鬼になってんおのれなんて消してしまいたかったんや。やけど……そないなワイでぇも、宿る命があるんや。生かしてくれた人がおる。せやから決めたんや……生きて、己で<救い>を探すって」

静かな瞳で語りかける鬼丸の言葉は、痛かった。
妖も人間も、同じ生きる命だと認めているから……尚更。

紅は鬼丸の方に数歩寄って、真っ直ぐにその瞳を見つめた。

「鬼丸……私は、<救い>になるならと、あなたを斬りました。ですけど……命を奪い、怨を常世に還す事すべてが<救い>だと思っているわけではありません」

「…………」

「人間も禍魂も……命に変わりはないんです。だが、禍魂が人間を殺めるというなら、私は刃を取らねばなりません。私には……護りたいものがあるから。皆そのために生きて、戦っている……私も、あなたも……同じです」

鬼丸は、少し目をそらして考えるとその場にスッと立ち上がった。
その表情は、半分ほど闇に埋もれて見えなかったが、少し笑っているようだった。

「……ワイは……護りたいもんのために紅を殺す。生きるために……紅を殺す」

「鬼丸……」

言葉を続けようとしたとき、庭に飛び出た人影があって紅はそれに目を向けた。
息を切らせたその人物は、篝火の光で影となり、大まかな形しか見えない。
雨ガッパをしているようだから、畑坊だろう。
餓鬼に手こずる伊達軍を応援に来たのかと見ていると、彼は更にこちらに駆けてきてやっとその姿を炎が生む光に晒した。

紅は……いや、その場にいた殆どの人間が目を疑っただろう。
息を切らせて庭の惨状に視線を巡らせているのは、黒い雨ガッパ。
――……田坊だったのだ。

「……どういう、事なの?」

「あ! お姉ちゃん……! どういう事はぼくの台詞だよ! なんなんだよこの有様……一体何が攻めてきたの!? そもそも、何でぼく、あんなとこに閉じこめられてたの!?」

その時、雷が走るようにして一瞬で全てが繋がったような気がした。

田坊の首に、ろくろ首特有の痣があったのは確かだ。
それを隠したがっていたのも確か。
そして、先程紅が二つに切り捨てた首も、間違いなく田坊の顔だった。

だが、どうして……

どうして誰も、その可能性に気付かなかった。

それら全ては……畑坊も持っていたのに。

「……さいならや。紅」

鬼丸の声が降ってきて、切り捨てた首を振り返ったときにはもう遅かった。
いつの間にか再生した首は牙を剥き、今にも紅の喉元に喰らいつかんとしているところで。
反射的に、瞼を閉じる。
やたら、心音が大きく聴こえる暗闇で。
歯が肉を破る嫌な音が響いた。