月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第伍妖『妖刀―紅葉―』10
「……ッ!? 紅が二人!?」
「八咫烏! 離れなさい! そいつは真似妖怪が化けた偽物よ!」
物置の木戸を蹴破って出てきた紅狐は、叫ぶと同時に刀を構えた。
その言葉に八咫烏が数歩距離を取ると、初めに助けた方の紅狐が慌てた声を出す。
「そいつの言葉を信じるの!? 私が本物よ!」
「騙されないで、八咫烏! こいつ、私の姿に化けて私に成り代わろうと今度の事件を起こしたの……! 私が本物よ!」
「……どうなっているんですか……。」
取り敢えず両方の紅から距離を取って、八咫烏は困った顔を見せた。
分身の術、という訳ではないらしい。
そうなると、どちらかが偽物の紅で、真似妖怪という物の怪だということになる。
しかし、どこを見てもうり二つで、見分けることなど不可能に思えた。
こんな時こそ、と肩の黒猫を見たが、霊力が弱いせいなのか解らないが、彼にも見分けがつかないようで。
右を見たり左を見たりして狼狽えている。
「どっちが本物の紅葉か位解らないんですか? あなたの打った刀でしょう。」
「有り得ぬ……儂の打った紅葉は、この世に一つしかないはずじゃ……。」
信じられない、といった様子で武者猫は呟いた。
在るはずがないのだ。
紅葉以外に、神の打つ妖刀など……。
「いいでしょう……どちらが本物の紅であるか、証明してみせます!」
鎖で縛られていた方の紅はそう叫ぶと、刀の鞘を抜いた。
それを受けて、もう一方の紅も構える。
緊張の弦が引き絞られて、力の限界にその身を裂くと、二人の紅は咆哮を上げながら互いに打ち合った。
その様子は、まるで奇術でも見ているようだった。
全く同じ顔をした人間二人が、同じ刀で、一進一退の攻防を繰り広げているのだから。
火花を上げて、紅葉同士も競い合う。
八咫烏はそれをじっと見ていたが、どちらが鎖で縛られていた紅で、どちらが木戸から出てきた紅だということは解っても、果たしてどちらが本物なのか、まだ解らないでいた。
だが、この対決に早く埒を明けなければ。
長引いて本物の紅に何かあっては自分で自分が許せない。
八咫烏は黒猫を肩からひっぺがすと床にぽいと捨てた。
「八咫烏! 何をする!」
「巻き込んでは悪いと思いまして。」
そう残して、八咫烏は床を蹴った。
何度も刃の逢瀬を繰り返し、一旦距離を置いて再び互いに打ち合おうと加速し刀を振りかざす紅たちの間に、ぶつかり合う瞬間八咫烏が割り込む。
双つの刀は大きな羽で止められ、二人の紅が顔を上げて八咫烏を見た。
「……何で。」
微かに呟いた、木戸から現れた方の紅を八咫烏は見ると、刀を止めたままでニヤリと笑う。
「この僕が、女性の顔を見まちがえるとでも?」
八咫烏の言葉が終わった瞬間、震える彼女の唇から赤い泡が吹き出した。
崩れる彼女を見下ろす八咫烏の手には、血染めの羽が握られていた。
「何で……何で解った……俺様が偽物だと……ッ!」
真似妖怪は紅の顔で悔しそうに叫ぶと、苦しそうに咳込んで血を吐いた。
羽をすぅっと体に入れ、八咫烏は姿勢を伸ばしてやれやれとため息をつく。
「あなた、紅さんのフリが上手すぎたのですよ。」
「何だって……?」
「僕が割って入った瞬間、あなたが斬るのを一瞬躊躇したでしょう?」
その言葉で何かに気付いたのか、紅が八咫烏を見上げた。
だが真似妖怪には何がいけなかったのかさっぱり解らず、金切り声を上げる。
「当たり前だろ! 紅は母親の魂を護るために紅葉で『人間』を斬らないんだ!!」
「その通り。でもこっちの紅は躊躇わず刀を振り下ろした。何でだか、解りますか?」
理解できず首を横に振る真似妖怪の前に、紅は一歩歩み寄った。
八咫烏から視線を外し、どこか気まずそうに眉間にしわを寄せる。
「コレは曲がりなりにも使役鳥の八咫烏。あの程度、止められぬはずがない。」
「あなたは、僕たちの熱い信頼関係まで頭になかった。それが敗因ですよ。」
「それは私の頭にもありませんから。」
きっぱり信頼関係を断って、紅は再び紅葉を構え真似妖怪の鼻先に突きつけた。
「馬鹿な真似をしたわね。他の真似妖怪のように、自らの域を飛び出ずにいれば、死なずに済んだのに。」
静かに放った紅の言葉を、真似妖怪は馬鹿にしたように鼻で笑うと床に目を落とした。
「アンタにはわからないよ。俺様は……顔が欲しかったんだ。アンタのように、闇にあっても……大事にしてもらえるような顔が……。」
血に濡れた手で真似妖怪が自らの顔を撫でると、目鼻が取れて血の跡だけが残った。
ぱっくりと開いた口を、これでもかと言うくらい開いて、喉を震わせて天に高笑う。
「見ろよ! 悔しくたって涙も出ない!! 滑稽だろ!? 笑えよッ!」
「真似妖怪……。」
「俺様は……俺様は<偽物>じゃなくて、<本物>になりたかったんだ!! 涙を流す目が、花の香りを感じる鼻が、言葉を紡ぐ美しい唇が欲しかっただけなんだッ!!」
真似妖怪は叫ぶと、急に紅に飛びかかり、手を引き寄せる。
肉を突き破る音がして、真似妖怪の喉を紅葉が突き抜けた。
自ら紅葉に屠られた真似妖怪は、口の端から赤い血と泡を吐き出しながら狂ったように笑っていたが、ぴたりと声を止め、そのまま絶命した。
紅が頭を支えゆっくり紅葉を引き抜くと、真似妖怪は腕の中で灰になって消える。
「真似妖怪……あなたの命、紅葉が屠らせてもらった。」
灰の舞う中紅葉を鞘に納めると、不意に強い風が巻き起こった。
一瞬視界を奪われ、再び目を開く。
八咫烏は何が起こったのか解らない様子で、きょろきょろしていた。
だが黒い猫だけは慌てたように外へ走り出る。
「何? あの猫は……。」
「武者猫の霊力の一部。」
「武者猫……? そう、紅葉が呼んだのね。」
大事そうに紅葉を腰に差した紅を促して、八咫烏が黒猫の後を追うと、神社の鳥居のあたりで空を仰ぐ黒猫が居た。
「何があったんですか?」
「あの刀を、何かが奪いおったのじゃ。」
あの刀とは、真似妖怪の使っていたものの事だろう。
紅葉を打った武者猫としては、それにうり二つのあの刀が気になって仕方がなかった。
さっきの風はその刀を奪うためのものだったらしい。
紅は武者猫の隣に立ち、同じように空を見上げた。
「……蒼千鳥というそうです。私も驚きました。あれは紅葉にうり二つだったから……」
「……何か儂らの知らぬ所で、とんでもない事が起こっておるのかもしれぬ。」
風の去った空を見ながら、武者猫が呟くのを紅はただ聞いていた。
闇で、何か大きくおぞましいものが蠢いている。
未だ正体の見えぬそれが、例えどんなものであっても。
止めなくてはならない。
蔓延する闇を討つと、あの日誓ったのだから。
それが、どんなものであろうと。

小説大会受賞作品
スポンサード リンク