月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第捌妖『羅門深紅隊―後編―』1



じわり、と一滴。
生まれた汗が頬を伝い、顎の先からその身を落とした。
もう随分長いこと大地についている手にそれは砕け、北条 早雲は伏せていた目をゆっくり開く。
跪き、目の前の人物に平伏した格好の早雲は、周囲から立ち上る熱気に身じろぎした。
赤々と燃える大量の炎、ゆっくりと呼吸するように流れる草生水(くそうず)が夜の闇を照らす。
そろそろこの村も燃え尽きるだろうなと早雲は周囲から聞こえる泣き声や叫び声、うめき声を聞きながら一人笑った。

「……何が可笑しい? 早雲。」

前から聞こえてきた鈴を転がすような美しい声音に、早雲は身を震わせると首を振った。

「いえ、なんでもございません。闇龍様。」

「……そうか。」

暫しの沈黙の後その人物は早雲に興味を失くしたかのようにふいと顔をそむけると燃えゆく村をみやった。

「……早雲。」

声を掛けられて、早雲は肩から下は動かさないように、ほんの少しだけそちらを振り向く。

「なんでしょうか。」

黒く変色した土の上を歩き、金髪の髪を揺らしながら、目の前の人物はは早雲のすぐ隣までやってきた。
それを確認してから、早雲はその人物に向き直り瞼を閉じる。
その人物はというと、隣に立ったままでじっと彼を見下ろして。
しばらくしてから無言のまま目の前の草生水と炎の池に目をやった。

「……まだ、かかるのか。」

「鬼丸を治すようにはいきません。貴方は、長いこと封印されていたモノですから。」

「我の隣にいたあれのせいであろう……陰陽師、工藤 紅。」

「……では何故私が一度お迎えにあがった時にお帰りにならなかったので? 闇龍様。」

そう言って薄く目を開けると、闇龍は小さく肩を竦めて踵を返した。
その足音に、早雲はクツクツと喉を鳴らしながら声を掛ける。

「闇龍様。アイツの傍にあまりいてはダメです。アイツの妖刀は厄介です、いつ切られても可笑しくありません。妖気を隠そうとすると、無駄に消耗することになります。」

「…………」

「私にあなたの望む答えは出せないのです。」

闇龍はその言葉に立ち止まり、早雲の跪く背中を見た。
背中に感じる視線に早雲は動じもせずただ沈黙を守った。
閉じていた瞼を空け、早雲は闇龍を見やる。
先ほどまで村のあちこちに火を放ちそれを全て操っていたはずなのに、ぴん、と伸びた背中には疲れどころか堂々とした雰囲気があって。
この熱気の中でその何も感情をうつしていないまるで硝子玉のような金色の瞳が時折炎にきらめく。
早雲は闇龍と呼ばれるその人を見つめた。
一度、無くなった命を。
別の形で自分にくれた人。
神の眷属であった筈なのに、闇に寄り、闇を操る闇の王となった。
だが闇に染まっていてもその姿は美しく妖艶であり、時折見せる少女のようなあどけなさもある。
早雲は時に闇龍という存在が解らなくなるのだった。
自分を二度も生かした、彼女という存在が。

「ならば我も言おう。早雲、お前の救いは我には見つけられぬ。」

「……<救い>は、自分で見つけます。」

答えて、立ち上がり、返事を待たずに歩き出す。
数歩程歩いたところで早雲はもう一度振り向き、闇龍の背を見つめた。

「あなたの……<救い>は何なのでしょうか。」

ぴくり、と肩が反応する。
闇龍は少し間を置いてから、ゆっくり天井を見上げた。
まるで遠い思いに耽るように、ゆっくり。
そのまま何も答えないので、諦めて帰ろうと体を戻しかけたところで、まるで鈴が鳴くように美しい彼女の声が響いた。

「……ちっぽけなものだ。だが、小さすぎて……脆すぎて……愛おしい。」

「…………」

「ふふ……誰の<救い>も、そんなものかもしれぬな。」

それきり、闇龍は何も語らなかった。
ただ、沸き上がる炎から出来る人々の不幸を纏め、練り上げ、己の中にある厄災の繭に注いでいる。
自分の本来の力を呼び起こすことが、彼女の<救い>に通ずるのか、早雲には解らなかった。
だがまずは、運命を受け入れ自らの道を歩もう。
生きて、自分の手で探そう。
誰に決められるでもない、押しつけられるでもない、自分だけの<救い>を。

「……私の道に……そんなモノがあればの話だが……」