月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第伍妖『妖刀―紅葉―』1
冬の、しんと静まり返った町の通りを、男は無我夢中で走っていた。
腕をもげるのではないかと思うほどに振り、もつれる脚で何とか地面を蹴って。
男は必死に走っていた。
町角を、転びそうになりながら曲がると、少し先の旅籠の脇で使用人風の女が空を見ながら立っていた。
手に水のたんまり入った桶を抱えているところを見ると、洗い物か何かの途中だろうか。
女は足音で男の存在に気付き、その様子に少し目を丸くした。
汗だくで、目を剥いてがむしゃらに走る男など昼間でも目に留まるのに、こんな時間にそんなのを見たんじゃ、何か恐ろしいことでもあったんじゃないかとつい連想してしまう。
何事かと声を掛けようとしたが、その前に男が金切り声で叫んだ。
「逃げろッ! 出てくるんじゃねぇ! 隠れるんだ!」
「か、隠れるって……お兄さん、一体何が……」
「殺されるぞ!!」
女の側までやってきた男は、有無を言わさず女を建物の方へ突き飛ばした。
水桶を落として、旅籠の脇にしりもちをついた女が顔を上げた時には、男は旅籠の前を走り抜けていて、もう見えなくなっていた。
「まったく……何なの……。」
「ぎゃあ!」
急にさっきの男の声が上がって。
女が何事かとそっと旅籠の向こうを覗き見ると、男は片腕を押さえてしゃがみ込んでいた。
それを、いつの間にか現れた女が静かに見下ろしている。
暗くて顔は見えないが、漆黒の髪をしていて、紅と黒の着物を纏っていた。
「た、助けてくれ! 俺が何したっていうんだ!!」
血に塗れた手を向けて懇願する男に、彼女は右腕に握る、刀身が紅に染まった刀を容赦なく振り下ろした。
男の、突き出していた腕がぽとりと落ちて血が吹き出す。
声を枯らして絶叫するのが、まるで聞こえていないかのように、彼女はただ男に向けて刀を振るい、最後に喉に刃を突き立てそのまま地面に刺した。
一瞬で血の海と化したその惨状を、女はじっと息を殺しながら見ていることしかできなかった。
もし音を立てれば、次ああなるのは自分かもしれないから。
女が見守る中、彼女は男から刀を抜くと、露を払い素早く鞘に納めて。
形のいい唇をにやりと歪め、闇に放つ。
「貴様の命……紅が屠らせてもらった。」

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