月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第弐妖『鬼』7



紅の射殺さんばかりの視線を軽く受け流しながら早雲は紅に笑いかける。

「久しぶりだな、紅。まさかお前が従者をつれているとはな。」

にこにこと温厚な笑みを浮かべる北条に、紅はさらににらみつける目を厳しくする、と、その時。
鬼丸が大声を出して屡狐の方を指さした。

「ちゃう! そのにーちゃん…! そいつは人間とちゃうッ!!」

鬼丸の指した先にいたのは、早雲だった。
早雲はゆったりと屡狐の腕を離し、自分を指す鬼を穏やかに見つめている。

「鬼丸…。ではあれが?」

「せやで! アイツがワイを鬼にしたんや!」

紅と鬼丸が距離を取ると、早雲は顔を俯かせ、笑った。
唇が、にたりと月の形に歪む。

「どうやら…救済にはならなかったようだね。鬼丸。」

「何故…黄龍王直属の聖武者ともあろう者が、人を鬼に堕とすッ! 貴様らは人を守るのが仕事のはず… それに、潰されたどの村も稲荷を深く信仰していたというのに…!」

「はは、まあ確かに。よく崇めていたね。だから鬼丸を選んだ。…お前が祈ったんじゃないか。力や命を。」

「ワイ、…鬼になって人を喰う事なんか望んでぇおらへんッ!」

立ち上がって、早雲を睨みながら鬼丸は叫んだ。
紅たちもそれを追うように立ち上がる。

「お前はまだそんな事に拘るのか。やはり救済にはならなかったかな。…しかし、お前の後ろにいる女は、果たして救済となるのか。」

「…紅は、ワイを助けてくれたんや。食べもんをくれたんや!」

「成程。餓鬼を餌付けとは、よくやる。」

早雲は、楽しそうに声を上げて笑った。
一頻り笑い終えると、指で紅を指す。

「しかし、鬼丸。その女はお前を救済できる人間ではないよ。何故だかは、紅…お前が一番よく知っているはずだ。」

「……。」

「紅…? どないして黙っとるのや?」

鬼丸は振り返って、不安げな眼差しを向けた。
それに紅は微笑みを返しながらも、そっと妖刀の鞘に手を当てる。
早雲はそれをみてにやりと笑った後、屡狐の肩からも手をはなす。
と、同時に屡狐が我に返った。

「そうだよ、紅。お前に救済は無理だ。お前は<救う者>ではない。<屠る者>なんだよ。己が命の為、その妖刀に妖の血を吸わせる…。」

「なんて事言うんだ! 確かに紅様の刀は妖刀だけど…ッ!」

「私は、何か違うことを言っているかな。」

早雲の言葉を聴いて反論した屡狐を、ぴしゃりと跳ね返して、早雲はゆったり目を細めた。

「鬼丸。お前にとって紅が餌であるように。紅にとってもまた、お前は餌に過ぎないんだよ。」

「う、嘘や…!」

「嘘なもんか。振り返ってよく見てみなよ。刀が、お前の血を吸いたくて…今か今かと震えているよ。」

鬼丸は紅と妖刀を見比べながら、ゆっくり後ずさった。
その瞳は、さっきとは違い恐怖と疑心に満ちていて。
紅が名を呼び手を差し伸べても、びくっと肩を震わせるだけで、それを取ることはなかった。

「ほら、よく解っただろう。お前は小さな事に拘りすぎる…。運命を受け入れ、思うままに屠ればいいじゃないか。それがいつか、お前の救済となる。」

「北条早雲…!いい加減なことを…ッ!!」

「紅、お前もだ。余分なことは考えるな。目の前にある物の怪を、ただ斬ればいいんだ。神の使いも…その刀できったのだろう?」

紅はそれを聞いてわずかに顔をこわばらせる。
何故彼がそのことを知っているのか、そのような疑問が紅の頭の中をめぐったが、次に瞬きをしたときにはその疑問は消えていた。

「では、八咫烏をけしかけたのもお前か…?」

「八咫烏? ああ、あの間抜けなからすか。それは違うよ。私は闇龍様の下へ持っていっただけだ。」

髪をなでつけ、早雲は紅を馬鹿にしたように鼻で笑った。
その態度に屡狐が威嚇したが、紅はそれを無言で制す。

「あれの原因はは調べても無駄だ。あれはあのからすの中にあった闇だからな。闇龍様はそれをほんの少しくすぐって、呼び起こしただけだ。」

「何を…。」

「善人面しても、所詮は化け物。内に秘める闇は、きっかけさえあればすぐに光を食い潰す。止めることも、救うことも出来ないよ。己が飼う闇なのだから。」

語りながら、早雲は鬼丸のすぐ側まで歩み寄った。
そして、鬼丸の肩に触れると、早雲はその耳に唇を寄せた。

「鬼丸。お前にもあるんだよ。解き放つ…<闇>が。」

「……ッ! や、やめんかボケ…! 紅…はよう逃げてッ!!」