月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第漆妖『羅門深紅隊』3
自分の前を歩く黒い長髪、漆黒の外套の下からは珍しい異国の着物を着た人物の姿がゆらり、と揺れ。消えた。
夏、真夏の暑い日に起こる蜃気楼だろう今日は夜だが特別に暑いからな。
と、特に考えもせず彼はそう決め付けると、己の紫色の長髪をさらりと流した。
その、目で人を殺せるならば殺せるであろう鋭い目つきの真紅の眼光を暑さで歪めながらその薄い唇を開いて言語として成り立っていない言葉を無意味に吐き。
彼は漆黒の外套をバサッと翻すと、中に空気を入れる。
その際にボロボロで所々直してあるものの上の方の服が破れている服が見えた。
ざわめく風が彼の髪をなぶる。
ぎらつく日の光は、地上を照らすにはあまりにも強すぎた。
「佳い夜だね。」
「…………」
彼はじり、と己の背後で足場を替える気配に薄く笑った。
確かに時をかければその分逃げるのがきつくなるのは常道、だが、彼のそれは少々違うことはすでに知っている。
「あせるのも無粋だけど、まぁゆっくりしていきなよ。それより別働隊の三人かニノ段、紅の屋敷に入り込んだ奴らが気になるのかい?」
「ッ!」
見下していた紅の手下、金髪の妖狐に言い負かされて動揺したか。
背後に立つ人物の能力にしてはあっさり感情を出しすぎるのは、彼のように『態と』というより自尊心の高さ故か。
……ある意味暗殺にはむいてない男だ。
彼は自分のことを棚に上げてにやりと笑った。
……別働隊の方は、実は先にそっちに気がついていたので問題ないだろうと彼は心中でつぶやくと紅を守る者たちのことを思い出す。
町人の幸こと未箏 木霊が言霊の能力者、弁之介の恋仲を演じていた娘が西野 月影。
月影は紅の屋敷の周囲の霧の『糸』に触れる感覚を、木霊は言霊がある。
なので紅が思っているよりは、紅の屋敷の守りはかなり堅くなっていたのだ。
――もっとも、月影がこの使い方を編み出したのは、ごくごく最近なのでまだ精度は甘いのだが。
ちなみに、はいりこんだというよりも泳がすつもりで入れた三人なのだが。
町人として入り込んだ天界の天忍<てんしのび>が、そらもうあっさりと紅に誑された事には、彼は笑うしかなかった。
紅自身忍というのもすぐにわかったそうだが、てっきり普通に影警護目的で町人役をしていると思っていたようだ。
今では天界方には当たり障りのないことを報告しながら、向こうの動向を調べて話してくれているので、気を許さなければ便利に使えそうではある。
今のところそれから渡された情報は正確ではあるし。
まさか部下に裏切られていると気がついているのか、いや単に役立たずと切り捨てるか。
彼がそう思案していると、男から叩き付けられる濃密な殺気。
先程彼に向けた殺気は小手調べだろう。
「…………」
「別に名前でやりあう訳じゃないでしょ。まぁ、僕は霊怨 虚無っていうんだけど、」
「知らないな。」
「だろうね。」
このような鋭い殺気を持つ者は王家にスカウトされ大概高名になるが、虚無に関してはそれに気づいたのが紅を見てからなので無名もいいところだろう。
だが彼は、別にここに居れさえすればいいので、名を売ることには端から興味はない。
本当に、厄介な。
頭を掻くこちらに白けた目を向ける男の顔も虚無は少々見飽きていた。
かといって、虚無には彼から得られる情報はどのようなものか、見極める必要があった。
虚無は正直そろそろ誤魔化しているのもきついだろう。
「君の上はどこかって聞いたとこで答えやしないだろうし、かといって捕まえるのはかなり難しそうなんだよねぇ。」
天界か闇龍なんだろうが、素直に吐くとは思えない。
この天界は紅を心根の優しい天使代行で惑わす事を仕損じたあたりまでは凡庸な世界で深紅隊も無警戒だった。
だが、このところ妙に手ごわくなってきているのだ。
――内部で何らかの変化があるはずだ。
彼はそう考えた。
天界についた知恵者の名を虚無は聞き出す事を目的にしている。
だが、彼がそれを知ってるかもまた怪しい。
信用せずに聞かせぬこともありうるし、こちらから断ることも間々ある。
「時間稼ぎに付き合うのも飽きた。土産が貴様の首一つというのも腹立たしいが、そろそろ帰らせてもらうぞ。」
「わかりやすい挑発だね。自分が認められないのに、紅と顔なじみというだけで『地上配属者』が柊 陽鳴になったのがそんなに口惜しいのかい? 小者。」
怒気を膨らます男が構える刀、を掴む手の指。
食いちぎられた薬指。
彼は心の内でのみ紅に詫びた。
話を聞きだしたほうが有益だろうが、その余裕が己にはない、ということを、
紅も客人も屋敷から移動した、ならば戦いに巻き込むこともあるまい。
「さて、くだらないことを喋るのも疲れてきたから、さっさと死合おうか。」
虚無は噴き出す怒りに身を浸し、だが頭の芯を逆に冷やす。
目を眇め、腰を落とす彼に、虚無はただ哄っていた。

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