月下のクリムゾン  るりぃ ◆wh4261y8c6 /作



第参妖『手ノ目』4



春の亡骸は、彼女の家に寝かされていた。
病気持ちの母親は、持病の咳をするのも忘れて、身体を縮こまらせ、ただ泣くばかり。
紅と屡狐が訪れても、それは変わらなかった。
下手人を調べるために亡骸を見せて欲しいと頼むと、泣きはらした顔を上げ、こくんと無言で頷いた。
命を失った春は、布団に寝かされていた。
母親が拭いたのだろうか、報告では泥にまみれていたとあったが手足は汚れておらず血の気がない分青白かった。
顔の様子は、白い布がかけられているので見えない。
紅と屡狐は、まず春に向かって手を合わせた。

「……ごめんなさいね。お春。私、結局何もしてやれなくて。」

「……何か、握りしめているのぅ。」

堅く握られた右手から、紐のようなものが覗いている。
解そうとしたが指は頑なで、少し開いた隙間から鈴の音が微かに聞こえた。

「……鈴。」

「私が、あげたものですね……『何かあったら駆けつける』って約束と一緒に。」

屡狐のつぶやきに答えた紅の静かな声に、母親が一旦泣くのをやめて震えながら言う。

「お春は……たいそう喜んで……大事にしていました。死んでからも……離そうとしないのです。」

「……顔を、拝ませてもらっても宜しいでしょうか。」

紅の申し出に、母親はハッとしてこちらを見た。
少し躊躇したようだが、やはり無言で小さく頷く。
紅が布を取り除くと、露わになったその顔面に屡狐が眉をひそめた。

「酷いことを……」

春の美しかった眼は、両方とも抉りとられていた。
余程乱暴にしたのか、目の周りには何かのひっかき傷が無数に付いている。
空洞になった両目を隠すように、紅は布を元の通りに戻した。

「…失礼しましょう。」

再び手を合わせてから、紅はすっと立ち上がった。
屡狐も同じように手を合わせ、紅の後に続く。
母親は、立ち去る二人の姿が見えなくなるまで、痛んだ畳に額をこすりつけ、ただ泣いていた。

「紅様。お春を殺したのは……」

屡狐が、黙って歩く紅の背に声をかけると、彼女は立ち止まり少し振り向いた。

「まだ、解らないわ。でも、ヒトであろうと…妖であろうと。私は下手人を突き止めるつもりよ。」

「……紅様……」

屡狐は痛ましそうに眉をひそめた。
紅はそれに構わず言葉を続けた。

「私はお春を殺したものが許せない。だから下手人を突き止めます。もし妖ならば、私はそのものを蘇れぬ様叩ききりましょう。」

屡狐は紅の言葉に喉を鳴らしてから、隣に追いつき紅の横顔を覗き見る。

「で、どちらに?」

「琵琶を聴いたという場所に行ってみましょう。何か解るかもしれませんから。」

「例の草むらのことじゃな。」と屡狐は呟いた。
実は、お春の亡骸が見つかったのもその場所だったのである。
手掛かりがあるとしたら、そこしかないだろう。

草むらに着いたのは夕闇の迫る頃で、俗に言う<逢魔ヶ時>であった。
薄暗い中、夏風が草を揺らし、さらさらと鳴らしている。
お春の言っていた琵琶の音は、今は聞こえていなかった。

「…そういえば。よく娘の訃報がお前の所に届きましたね。」

風に乱れる髪を押さえながら紅が問うと、屡狐は「ああ。」と小さく笑う。

「心配だったものじゃから、化け狐を一体つけておいたのじゃ。訓練にもなるしのぅ。」

「では、先の伝書はそれから?」

紅の返しに、屡狐は表情を曇らせて首を横に振った。

「いや、それの面倒を見てた奴からじゃった。どうやら、お春が亡くなる前後から行方知れずらしい。」

「…娘につけた狐も消えた、か。」

顎に手をやり、考え込む紅から目を外して、屡狐はいつかお春が歩いたであろう細い道を端から端まで眺めた。
途中立ち寄った、村雨屋の話では、お春は殺された日も主人の言いつけで遣いに出されたのだという。
恐らく、化け狐もそっとそれに付いていったのだろう。
そして、お春はそのまま店に帰らなかった。
あまりにも帰りが遅いお春を心配して、店の奥方が使用人と共に捜しに出ると、この道にお春の亡骸が転がっていた。
そして、お春についていったはずの化け狐も、忽然と姿を消してしまったわけだ。

「琵琶に……唄か。」

屡狐が呟いたのに、草むらの中で何か手掛かりを探していた紅が顔を上げる。

「私はその唄をよく思い出せないのですが……屡狐、覚えていますか?」

「……確か……」

こめかみに指を当てて、記憶の糸をたぐり寄せる。
恨めしく、気味の悪い唄だった。
お春から話を聞いたとき、夜道でそれを聴けばそら恐ろしい心地がするに違いないと思ったのだ。

「…思い出した。多分、こうじゃ。」

これでも、様々な情報を扱うものである。
記憶力にはそれなりに自信があった。
屡狐は、少しずつ思い出すようにして、その唄を奏でる。

たれぞ
たれぞ
我のこうべを穿つのは
槍か
刀か
鉄砲か
たれぞ
たれぞ
我のいのちをあやめるは
槍か
刀か
鉄砲か
めだまないのはくやしかろ
いのちないのはくやしかろ
たれぞわからぬくやしかろ
いのちないのはくやしかろ?

「……なるほど。」

紅は、誰にともなく呟くと唄い終わった屡狐に歩み寄りその肩を叩いた。

「よく思い出してくれましたね。」

「それは、妾が天才だからじゃ。」

冗談を言う気分でもないだろうに。
屡狐の軽口に、紅は目を細める。

「……確かに此処には、邪気が蔓延しています。お春の死が、妖の仕業であるなら……きっと今夜もまた現れるでしょう。」

「どんな妖の仕業か、解ったのじゃな?」

すれ違うような立ち位置のまま、屡子は紅を見上げた。

「琵琶。それから唄。お春の傷……消えた化け狐。それらから考えられるのは、一つしかありません。」

夏風が、急に紅の髪を揺らした。
そのせいでふわりと上がった前髪の向こうで、漆黒の瞳が滲む夕日に輝く。

「……妖怪……手の目。」