月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第漆妖『羅門深紅隊』5
「……蛭子、さん。ちゃんと聞いてる?」
地上配属天使・柊 陽鳴は、縁側で胡座をかきながら呆れ顔で庭を見ていた。
庭では、この暑さの中矛を片手に鍛錬する、現在の主・草薙蛭子の姿がある。
仕事から逃げてると思うとこれだもんな……と心の中でぼやいて、陽鳴は肩を落とした。
わざわざ四国くんだりまで脚を伸ばして帰ってきても、一息つく間もなく次の仕事にやられてやっと帰ってきても、蛭子はなかなか素直に報告を聞いてくれない。
とんだ悪癖がついたもんだ、と教育的指導の必要性を検討しているところで、蛭子は矛を大地に刺し、こちらに掌を上にして差し出すと、指を曲げて呼び寄せる仕草をした。
呼び寄せると言えば聞こえはいいが……つまりは挑発だ。
「……勘弁してよ。こんな暑いときにわざわざ……。」
「報告を聞く気分にさせるのも、仕事じゃないのかしら? 陽鳴。」
「はいはーい……。やればいーんでしょ、やれば……。」
陽鳴はだるそうに立ち上がると、青色の装束を上だけ脱いで、隠し持っている小刀を縁側に置く。
いつも傍らにある剣も置いて、準備運動するように肩を回した。
「丸腰同士、手加減は要らないわね! 陽鳴!」
「出来たらして欲しいんだけど……。」
「そう? 要らないのね!」
「……聞いちゃいない……。」
陽鳴はこめかみを押さえてため息をつくと、瞬間縁側から消えた。
蛭子が頭上から吹き下りる風を腕で止めるとそれは陽鳴の脚。
力任せに薙払われ、吹き飛んだ陽鳴は地に手をついて勢いを殺し、見事に着地した。
「休む暇はないわよ! 陽鳴!」
「解ってるって……いつも相手してんだから……ッと!」
駿足で一気に間合いを詰め、飛んできた拳を体を反らして避けた陽鳴は、その反動を利用して蹴りを繰り出した。
しかしそれも防がれて、一旦間合いを取るが蛭子は間髪入れずに迫ってくる。
止めては払い、繰り出しては受ける。
息つく間もなく応酬される手足に、二人の息は上がり、集中も高まっていった。
風を切って突き出された拳を掌で払い、陽鳴は蛭子の肩をめがけて回転を利用した蹴りを出す。
しかし蛭子も体を捻り、それに蹴りで対抗した。
重なりぶつかり合った脚は拮抗し、二人は互いの顔を見るとにやりと笑う。
「……ここまでね。あまり客人を待たせるわけにもいかないから。」
「やれやれ……気付いてたならもっと早く切り上げてよ。」
脚を下ろして一息つくと、陽鳴と蛭子は屋敷の方を見た。
そこには、紅と黒の着物に漆黒の髪を持つ女と、無精髭を生やし無表情の黒髪、中肉中背の隻腕、強面の男が立っている。
女は羅門深紅隊という、物の怪退治を生業とする精鋭部隊の隊長である紅。
男は、……伊禮 双哉の片腕、宮寺 刀乃だ。
蛭子たちが組み手をやめたので、紅は手招きした。
「蛭子。相談が。」
「ああ……団子でも食いながら聞こうかしら。……陽鳴。」
「……人使いが荒いんだから……。」
やれやれと肩を竦めて、自分の荷物を拾って団子を取りに行く陽鳴と入れ違いに、女中が冷たい水に浸した手ぬぐいを持ってくる。
蛭子は縁側に腰掛けてそれで身体を拭きながら、紅と刀乃を見た。
「済まないわね、このような格好で。宮寺殿。」
「いや……紅殿に無理を言って、書状もなくお目通り願ったのです。此方こそ、突然の来訪、申し訳なく……。」
「その暇も惜しむほど急を要したのでしょう? 構わないわ。」
身体を拭き終わった蛭子は、爽やかに白い歯を見せて笑い、二人を部屋に通した。
入ってすぐに、茶と団子を持った儀おが帰ってくる。
蛭子が目配せすると、陽鳴は持ってきた団子なんかをそれぞれに配り、縁側に出てぴたりと障子を閉めた。
「それで、紅。奥州に行くのかしら?」
蛭子は出された茶を飲んで早速団子にありつきながらそう言った。
問われた紅は隣の刀乃をちらりと見てから、肯定の意を表す。
「ええ。伊禮 双哉殿が人ならざるものに頭を悩ませているようですからね……。」
「双哉殿とは、アンタも旧知の仲だからね。しばらく事件はない……いいんじゃない?」
「ありがとう、蛭子。」
「……但し、条件があるわ。」
「……え?」
にこやかに笑って礼をした紅が、少し目を丸くして顔を上げると、蛭子はすでに平らげた団子の串を置いて、にっこり笑った。
「私もついてくわ。」
「……は。」
「この所退屈してたのよね! なぁに、私の身辺なら心配しないでちょうだい。優秀な天使を飼っているからね。ね、陽鳴!」
障子の向こう側に蛭子が明るい声を投げると、陽鳴は空を仰いで額に手を当てた。
声の調子で解る。
あれはもう……何を言っても無駄な状態だ。
「今度は奥州……。僕あの人苦手なんだけどなぁ……。」
陽鳴のぼやきは、部屋の中から聞こえる上機嫌の笑い声にかき消されて。
陽鳴は仕方なく、奥州行きを決意したのだった。

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