月下のクリムゾン るりぃ ◆wh4261y8c6 /作

第伍妖『妖刀―紅葉―』6
蛭子の言葉に、八咫烏は思わず目を丸くした。
刀が子供を産むなんて話聞いたこともない。
何かの間違いだろうと、少し笑いながら八咫烏は聞き返した。
「ちょっと待ってください。刀が母親ですって? そんな馬鹿な。」
「馬鹿な事ではないぞい。」
不意に障子の向こうから声がして、八咫烏と蛭子が振り向くと、そこには小さな影があった。
障子が開かれ、影は黒い髪色の少年へと姿を変える。
年は、まだ十にもならないだろう。
しかし、ただ迷い込んだとは思えない雰囲気を、彼は纏っていた。
「坊や。ここは子供がくる所じゃないんですよ?」
「八咫烏、といったか。まずはその物騒な物から手を離してもらおうかのう?」
後ろ手で抜き取った鋭い羽に触れているのを見抜いた子供は、さっさと部屋に侵入を果たし障子を閉めた。
その子供に覚えのない八咫烏は、何故か名前が知れていることに怪訝な顔をする。
「ますます怪しい子供ですね。蛭子さんの知り合いですか?」
「いや、私は知らないわ。」
「そんじゃ、遠慮はいらないわけだ。」
手を離せと言われたのを無視して、八咫烏は鋭い羽を取り出した。
くるりと一つ回してから子供に向けて構える。
少年はちょこんと正座すると、それを制止するように小さな手を突きだした。
「まあ待て。儂を殺すのは簡単だが、お前はそれでよいのか?」
「ん? 君が死んでおにーさんが困る理由でもあるのかな?」
「紅葉の事を知りたいのだろう。知りたくないと言うのであれば、構わぬ。斬るが良い。」
少年はそう言うと、にやりと笑って両手を開いた。
その様子に八咫烏と蛭子は顔を見合わせると、首を傾げた。
「童。アンタ何者?」
二人の総意を蛭子が口に出すと、少年は穏やかに微笑んで蛭子と八咫烏を交互に見た。
「多度山が主、武者猫。」
「ムシャネコ……って、あの、猫神の? うわさでは大きい黒虎でしたが……まだ餓鬼だったわけですか?」
「これは仮の姿じゃ。霊力の殆どは山に置いておる故、童の姿しか取れなくてのぅ。まあ、物が言えれば後はいらぬじゃろう。」
そう言われてみれば、髪は漆黒で猫耳のようになっている。
瞳は漆黒、着物は黒い。
何より少年がヒトでないと信じられたのは、その存在の圧力だった。
姿はただの子供だが、異様な存在感を空間に湛えている。
八咫烏は小さく息をつくと羽をしまって胡座をかいた。
「それで、武者猫が何の用ですか。紅さんなら今立て込んでていませんよ。」
「その事で来た。紅はこの間儂を救うてくれた。今度は儂が救う番なのじゃ。」
武者猫は真剣な表情でそう言った。
八咫烏が蛭子をちらりと窺うと、彼は一つ頷いた。
「やはり、紅の身に何かあったのね。」
「はっきりと何があったかは解らぬ。だが、儂には紅葉の泣き声が聞こえるのじゃ。」
「刀が泣くわけですか。さすが妖刀ですね。」
冗談まじりに八咫烏が呟くと、武者猫がこちらに視線を向け、少し伏せる。
「あれは……嵐の日じゃった。友人が、五つの幼子を連れて、儂の所にやってきた。腕には最愛の妻、紅葉を抱えて。暴風の中を必死にな。」
武者猫の瞳は、嵐を見ていた。
死の間際の母親を案じながら、必死についてきた幼子が自分を見上げるのを思い出して、そっと目を閉じる。
「紅葉は、物の怪の毒に侵されていた。彼女の魂を生かすには、器を変えるしかなかったのじゃ。じゃから儂は、一本の刀を打った。紅葉の命を、新たな器が見つかるまで留め置く媒体としての。」
「つまり……あの刀には紅さんの母親の魂が入ってるってわけですか?」
八咫烏の質問に、武者猫は目を開くと頷いた。

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