小説カイコ ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作

第二章 鎌倉編(5)
土我さんは誰の忘れ物なのかベンチに置いてあった傘を手に取ると公園のグランドにゆっくりと大きな絵を描き始めた。
しばらくすると大きな円が二つできた。円の中には何やら怪しげな幾何学模様がゴチャゴチャと沢山書いてある。それぞれの円の中心には、読めないけど難しい漢字が一つずつ掘ってあって危険で怪しい雰囲気を醸し出していた。ちなみに二つの円は、それぞれの端と端でつながっている。
「僕のね、」不意に土我さんが口を開いた。「恋人が、こういうの好きだったんだよ。これは“壁部屋”って言って、この円の外と中とを完全に区切る事が出来るんだ。」
言いながら、土我さんはコートの内ポケットから何かを取り出して俺に手渡してきた。深緑色の柄の付いた小型のナイフである。
「それ使って円陣の真ん中らへんにちょっとでいいから血たらしてみて。任史君は右の円、国由君は左ね。」
「なんか、痛そうだな。」鈴木がナイフを凝視しながら言った。
「……うん。でもちょっとでいいんでしょ?」……痛そうだったけど、思い切って、自分の左の指先に鋭利な刃先を軽くあてた。一瞬、遅れて血がにじんだけど全然痛くなかった。それを見て鈴木が おえー とか言いながらナイフを俺から受け取り、近くの水道で軽く洗った後に俺と同じ方法で血を出した。
「なんか……痛くない。」
「マジで?俺も全然痛くなかった。」
「ああ、それすごいでしょ。僕の、例の恋人さんの特製品だからね。いろいろと怪しい呪文がかかってるんだ。」当たり前のように、なんか物凄いことを土我さんは淡々と言った。「それじゃあ、二人とも言ったようにしてね。それと杏ちゃんは任史君と同じ円の中に入って。」
言われたように円の中に時木と一緒に入ると、入った瞬間、周りの景色は何一つ変わらないのに、音だけが全く聞こえなくなった。車の音も、風の音も、もちろん土我さんの声さえもだ。反対に、自分の足音だけが嘘みたいによく響く。
円の真ん中に、こするように自分の指先を当てて、血をつけた。地面から指を離すと、円の外側で土我さんが親指と人差し指でマルを作って、俺にOKサインを送っているのが見えた。一瞬、目眩がしたがその後は何ともなかった。……はずだった。
突然、時木が俺のTシャツの裾を弱々しく引いた。
「……うう……高橋、なんか、すごく気持ち悪い……」細い声が、尋常じゃなく震えている。顔色も真っ青だ。
「……時木っ!」
いきなり、時木が横に倒れた。間一髪で時木の体を何とか受け止めると、氷のように冷たかった。
「おい、時木!しっかりしろ!」揺さぶっても何も答えない。ただぐったりと体を預けたままだ。や、やばい。どうしたらいいんだ。
すると、後ろでジャリ、と砂を踏む音が聞こえた。
「そいつは、そのままでいいさ。」振り向くと、鈴木が向こうの円のふちに立って、俺と時木を見下ろしていた。
「ちょ、鈴木、何言ってんだよ!そのままで良くないだろ!こっち来て、一緒に時木外まで運ぶの手伝ってくれ。」
鈴木は聞いているのかいないのか、一歩、こちらへ踏み出して円の中に入ってきた。入ってきたはいいものの、一向に時木を外へ運ぶのを手伝う気配はない。
「おい、鈴木ったら!手伝えよ!」
「……どこまでも間抜けな奴だな。お前。」
そう言うと鈴木は俺の太ももを信じられないくらい思いっきり蹴った。バシーンと音がして、激痛が走る。痛すぎて立っていられなくなった。
時木もろとも地面に崩れた俺を鈴木は容赦なく再度蹴り上げた。
蹴られた脇腹を庇ってうずくまっていると次に鈴木は俺の手の甲を踏みつけ、グリグリと嬲った。手を退けようとすると余計に体重をかけてくる。……痛い。
「その右手は危険だな。早めに潰しておこう。」平然とした、冷たい声が頭上に降ってくる。
右手に目をやると、右手の向こう側で時木が倒れたままになっていた。
「…と、き……!」
鈴木の足が右手から離れ、俺のみぞおちに踵から落ちてきた。衝撃で舌を噛んでしまったみたいで口の中で血の味がした。………頭上から相変わらずに冷たい鈴木の声がする。
「ちょっとは自分の心配でもしたらどうかなあ?あーあ、苓見のナイフは返すんじゃなかった。まあ、もうじき楽にしてやるさ。」
見上げると、鈴木と目が合った。
恐ろしいくらいに表情の無い目だ。
…………違う、こんな奴、鈴木じゃない……
体中から滲み出てくる痛みの中で、それだけ思った。睨み返すと、ソイツは鈴木のものじゃ決してない、恐ろしい形相になった。
「邪魔なんだよ。」
足がみぞおちから離れ、また振り下ろされた ―――――――

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