小説カイコ       ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作



第二章 後編(5)



              ◇

「俺さ、任史の家に生まれたかったなぁ!」

雨の日。
6月。もう小学校に入学してから2か月が経っていた。学校からの帰り道、拓哉が家の鍵を忘れたと言うので僕の家に遊びに来ていた。拓哉と弟の大季と僕の3人でトランプをしていると、急に拓哉がそんなことを言い出したのだ。

「なんで? 拓哉ん家はいっぱいゲームあるじゃん。」
ちなみに僕の家にはゲーム機というものがおよそ一台もない。そんなに欲しいとは思わなかったのもあるが、親が買わない主義だったのだ。

「だってさ~、任史も居るし大季もいるしさぁ~夜までみんなで遊べるよ。」
「ああ、成程。いいかもね。」
「じゃあ、たかし とたくや君こうかんこしようよ!僕そっちの方がいい!」大季が右手をピーンと立てて提案した。「たくやくんが兄ちゃんの方がいい!」
大季の提案に僕も拓哉も思わず笑ってしまったが、大季はけっこう本気で説得し始めた。まぁ、僕も拓哉も笑って流して、マトモに相手にはしなかったけれど。
それから、ババ抜きを何回かしたらあっという間に6時になっていた。お母さんが「拓哉君のママ、心配してるんじゃない?」と言ったので、拓哉は家に帰ることにした。大季が「帰らせない!」と玄関で通せんぼしたが、すぐにお母さんに負けてしまった。

僕は拓哉の家まで拓哉を見送ることにした。ついて行っていい? と、拓哉に聞いたら拓哉は嬉しそうにOKしてくれた。

「もう6時過ぎたのに随分明るいね。」拓哉が雨雲の去った空を見上げながら言った。
「げし、って言うらしいよ。今日は一年で一番太陽が沈むのが遅い日なんだって。」
「へぇ~。やっぱり任史は頭いいや!何でも知ってるんだね。」拓哉が感心したように言った。まじまじとそんなことを言われると、少し、照れ臭い。

拓哉の家に着いた。拓哉が玄関のベルを押した。ピンポーン と響きのいい音がしたがベルに答える声は無かった。

「あれれ。ママやっぱり帰ってきてないのかな。」拓哉が不安そうにつぶやいた。
「いつもは何時に帰って来るの?」
「えっとね、ママのお仕事が終わったら。」
「それって何時?」
「えっと……えっとね、10時ぐらい。」

びっくりした。僕のお母さんはいつも昼過ぎにはお仕事が終わって帰ってきている。お父さんだって7時には帰ってくる。それじゃあ、拓哉は夕ご飯をいつ食べているのだろう。

「今からあと4時間もあるじゃん! だったらそれまで僕の家に居ればいいよ。」
そう言うと、拓哉はびっくりしたような顔をした。「本当に、本当にいいの!?」
「いいよ!前だって違うお友達が泊まっていった事があったんだ。だから10時までなんて全然大丈夫だよ。きっとお母さん許してくれる。それに大季も喜ぶと思う!」

そういうことで、今来た道を戻って、また僕の家に着いた。お母さんに事情を話したらお母さんはOKしてくれた。それに大季がハンパなく喜んでいた。
それから7時にお父さんが帰ってきて、5人で夕ご飯を食べた。なんだか拓哉が本当に兄弟になったみたいで、嬉しかった。

「俺、やっぱり任史の家に生まれたかったなあ!」
大季が さんせー!さんせー! と元気よく叫んだ。僕も本当にそうなればいいのになあ、としみじみ思った。


               ◇

「えー、次は我島岡駅ー、我島岡駅ー。枝眞方面お乗換えのお客様は、3番線にて57分発の………」

目が覚めた。どうやら俺はいつの間にか寝ていたらしい。もう次の駅で我島岡か………早いな。

夢を見た。確かあれは小1の時、拓哉が鍵を忘れて家に入れなかった時のだ。結局、10時になっても拓哉のお母さんは帰ってこなくて、拓哉は俺の家に泊まっていったんだっけ。

電車の窓から見える風景は、青空と、どこまでも続く田んぼの風景だ。
いつも見ている風景のはずなのに、なんだかとても懐かしく感じた。

なんでだろう、と考えていたら答えはすぐに分かった。学校までの道のりで、千葉駅までのここの区間は眠っているからだ。だから、ここの風景は脳裏に残らない。……身近な地域の田園風景が記憶に薄くて、遠く離れた東京のゴミゴミとした都市風景の方が記憶に濃く残っているなんて、よく考えたら変な話だ。

「身近なものほど忘れやすいんだ。」耳元でカイコの声がした。まるで俺の心を見透かしたようなセリフに少しドキッとした。「身近なものはね、身近であるがゆえに普遍となってしまうんだ。僕だって、高橋だってそう。例えばさ、昨日食べた晩ご飯はよく思い出せないけど、自然教室で作ったカレーとかは調理中のことまで覚えてたりしない?」

「確かに、覚えてる。俺は野菜の皮を剥く係だった(笑)」
「そうそう、そんな感じでね。でもね、人が一番大切にするべきなのは、遠いものだったり、特別なものだったりではなくてね、一番身近で、一番普通のことなんだよ。その証拠に、いざというときに一番恋しくなる記憶は、一番身近で、一番普通だった頃の記憶なんだ。」

「カイコ、今日はいつになく哲学的だね。何かあったの?」軽い気持ちで、カイコに聞いたら、カイコは真面目な声で俺の質問を返した。
「何かあったのは高橋の方。これからいろいろあると思うけど、自暴自棄にだけはなっちゃダメだからね?高橋はそれでもカイコマスターなんだから(笑)」

カイコはそういうと、また繭の中に戻っていった。