小説カイコ       ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作



第二章 後編(7)



「殺してよ」

自分自身の生死までもふざけた顔で人にあずける。

もう、正直どうだっていい。

このままこいつに殺されたっていい。



………別に、ここに居る意味なんて、私には無いんだから。




              ◇

今、気が付いた。
拓哉のお母さんの目の下には黒いクマがあった。

思わず掴みかかってから後悔した。なんで俺はそんなことに気が付かなかったんだろう。
掴んでいた襟首を放すと、拓哉のお母さんは不満そうな眼つきで俺を睨んできた。
「ごめんなさい。自分で自分が抑えられなくなっちゃって…………俺、どうかしてました。実の親子なのに。そのクマだって拓哉を想った結果なんでしょう?」

「………」
「拓哉、あなたが思ってるほど、あなたのこと嫌いじゃなかったと思います。……そりゃ、小学校の頃なんかは うちのクソババァが、とかよく言ってましたけど。でもそれって今考えたら、拓哉はあなたにかまってほしかっただけだったんです。

小学校5年生の時のリレー大会、覚えてますか?

俺、あの時喘息の発作がやっと出なくなって、初めてリレーのメンバーに選ばれたんです。………俺が3走で、拓哉がアンカーでした。大会当日、俺の母親が俺のことを応援しに来たんです。小5にもなって恥ずかしかったし、拓哉にさんざんマザコンとか言われて馬鹿にされました。
 でも、よく見たら俺の母親の隣にあなたが居た。拓哉ったらそれ見て、なんでクソババァが来てんだよ、とか言ってましたけど、かなり嬉しそうだった。あんなに拓哉の口数が多かった日はあれが最初で最後でした。」

「リレー、か……そんなことも、あったかもしれない。」フェンスの向こう側、遥か遠くを見ながら拓哉のお母さんが言った。「私、何も母親らしいことしてやれなかった。ごはんも作らなかったし勉強も教えなかった。最期すら看取ってやれなかった……。確かに、任史くんの言うとおり、私は嫌われてはなかったと思う。でも、それは好かれてたってことじゃない。好き嫌いの判断がつかないぐらいに、接触する時間が少なかったから。」カツン、とハイヒールの音が響いた。「………あの子の思い出の中に、私は居ないの。」

風が、一際強く吹いた。邪魔そうに、長い髪の毛を払いながら拓哉のお母さんは話し続けた。
「けど、拓哉の最後の言葉はちゃんと聞いてあげることができた。もっとも、私宛てじゃなくて任史くん宛てだけどね。何て言ってたか聞きたい?」


聞きたい、その一言が出なかった。ここで俺が伝言を受け取ったら、拓哉のお母さんの持つものは何も無くなってしまう。伝え終わった言葉は、もうその人のものではなくなるから。

「拓哉ね、」俺の答えを待たずに、拓哉のお母さんは口を開いた。「左回りぐるぐる、って言ったのよ。これがあの子の最後の言葉よ?思わず笑っちゃうわよね。」

茫然とする俺の隣を抜けて、拓哉のお母さんは階段の手すりに手を伸ばした。「でも、欲を言うなら……そうだな、最後の言葉だから、馬鹿にしないで大切に持っていてほしいかな。」




そう言い終わると、拓哉のお母さんはカツカツとヒールの音を響かせながら、地上へと姿を消した。