小説カイコ ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作

第一章 ふりだし編(20)
それから、俺が異変に気が付いたのは、陽がだいぶ傾いてからのことだった。広い草原はどこまでもどこまでも続いていて、しばらく俺たちは無言でただただ草を掻き分けていた。
太一と一緒に草原を駆け抜け、神蟲村が一望できる高台まで着くと、一目で何かがヘンだと思った。
目に見える家は全て古風な木造と茅葺屋根で、細い道路は粉っぽい土色が剥き出しで、コンクリート舗装さえしていない。おおよそ信号機というものも見当たらない。
一番驚いたのは、車なんか一台も走っていなくて、代わりに大きな牛がのしのしと歩いていたことだ。
これは、もしかして……いや、まさか……
「ねぇ太一、ちょっと聞いていい?」
「何?ここを一気に下りればもう村だよ。」太一が息を切らしながら言った。
「そうじゃなくて、今は何年の何月何日かな。」
「はぁ??」太一が吹き出した。「やっぱ高橋は変な奴だ。当たり前でしょ、弘化二年の長月四日だよ。」
目の前が反転したような気がした。嘘だろwww
けれど俺の事情なんて知ったこっちゃない太一は、俺の手を引いて急かす。
「早く下ろうよ!僕は日が沈む前に帰んなくちゃいけないんだから。」
「あ、いや……いいや。俺はやっぱり行かない。ごめんね、ここまで道案内してくれたのに。」
「??」太一が不思議そうに眉を寄せる。「まぁ別にいいや!じゃあね!!」
そう言いながら太一は大きく手を振ると、元気よく坂を下って行った。坂を下ると、太一の姿がだんだんと遠くなっていって小さくなっていった。それから水車小屋の横を右に通りぬけて、太一の背中が見えなくなるまで、俺はぼうっと突っ立ったまま太一を見送っていた。
「タイムスリップ、ってやつかな。ははは……」
どうしようもなくて、少しだけ笑ってみたけれど、余計に虚しくなるだけだった。これからどうしよう、なんて考える気力さえ湧かない。でもずっとここに居るわけにもいかないので、しょうがなく元来た道とも言えない道を辿り戻ることにした。
暖かな風が吹く草の間で揺られながら、ぼんやりとさっきまで居たはずの世界のことを思い出していた。変な青服のおっさんに、突然現れた土我さん。結界を作ったり壁部屋を作ったりしてくれた、けれど出会って一時間も経っていない柚木さん。それに、カイコ。
……マトモな世界だったとは、少し言いにくいかな? ははは。
することも無いので少し考えてみた。確か、壁部屋からここに飛んできたはずだ。だったら、一緒に飛んできたはずのカイコと柚木さんは一体どこに行ったのだろう?
それに、壁部屋からはイメージした場所にしか行けないはずだ。だけど俺はあのときイメージなんてしてる余裕は無かった。第一こんな場所知らなかったのだし。
じゃあ、ここは一体誰のイメージなのだろう?
本当に今が太一の言っていたコウカ二年という時代だったら……というかコウカっていつの時代の年号なのだろう。少なくとも明治よりは昔だよな……。
柚木さんがここをイメージした訳はないだろう。だって柚木さんは当たり前だけど俺と同じ平成生まれだ。しかも、壁部屋で行ける場所は一度行ったことのある、かなり鮮明なイメージがある場所だけだと土我さんが前に我島岡に来たときに言っていた。
だったら残る候補はカイコのみ。
じゃあ、きっと。ここはカイコの生まれた時代、生まれた場所なんだろう。コウカ二年、きっとその時代がカイコの本当の時代なんだろう。成程。
「そこまで分かったのはいいんだけど……」
ザァ、と一際強く吹いた風に独り言が溶けていく。そこまで分かったのはいいんだけど、さて、これから俺は何を一体どうしたらいいのだろう?
はぁ………orz
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それからは、とりとめのない事をただぼんやりと考えていた。杏ちゃんと柚木君は今頃何をしているのだろう。いとこ同士ということは同じ家にいるのだろうか。じゃあ一緒に食卓を囲んでいるのだろうか。じゃあ一緒にゲームとかするんだろうか。じゃあ……。あーあ、きっと俺だって本当だったら今頃は衣田さんたちと温かい家の中で、お寿司でも食べて、テレビでも見て……
もうやだ……。
歩く意味も無いのでそのまま草の中に座った。ジベタリアンだ。目の前の草に、バッタがたった一匹だけで風に揺られながらしがみついている。何となくそいつを見ながら、ただただ陽が沈んでいくのを感じていた。
草を揺らす風が、だんだんと強くなっている。空はすっかり鮮やかなオレンジ色に染まっていて、眩しい。けれど肌に当たる空気は冷たさを増していて、夜が着実に近づいているみたいだった。
その時、背中に何かが落ちてきた。うわっ、という悲鳴も聞こえて、俺の上に倒れて込んできたのは太一だった。
「ごごごごごめんっ!こんなとこに居るから蹴っ飛ばしちゃった!!」太一が膝をさすりながら謝った。
「いや、大丈夫だけど……ごめんね、変なところに座ってて。」立ち上って手を差し出すと、太一は恥ずかしそうに笑って俺の手を握って立ち上った。
「それより!」太一が頭一個分下から俺を見上げた。「早く帰らないと!もうすぐ陽が沈んじゃうよ。川までまだ少しあるんだからこんなところでへたばってる場合じゃないよ。」
「川?」
「そうだよ、陽が沈んだら鬼が出て食べられちゃうんだからね。でも、高橋はこんなところに居て家に帰らないの?というかどこから来たんだっけ。変な服着てるし本当に南蛮人なのかな。」言いながら、からかうように笑った。
「あはは、俺は日本人だよ。それにね……未来から来たんだ。」どうせ信じないだろうと思って適当に冗談っぽく言ったつもりだったが、予想外に太一は本気で受け止めた。「本当?ほんとうに未来から……?」
「あ、別に冗談だと思っていいんだからね。」笑って答えると、太一はううん、と首を振った。
「僕、僕信じるよ!高橋が未来から来たって。僕ね、前にそういう話聞いたんだ、友達のカイって子から。でも嬉しいな、本当に会えるなんて思ってもみなかったもの!!」太一はめちゃくちゃ興奮しながら目を輝かせて言った。「じゃあ今晩は僕の家に泊まって行ってよ、どうせ誰も来やしないんだ!」
「え…あ……」突然の太一の反応に少しびっくりした。「えっと…いいの?」
「もちろん!」太一が俺の手を握ってぶんぶんと揺さぶった。「じゃあとっとと家に帰ろう。ほら、もうこんなに陽が傾いてる!」

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