小説カイコ ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作

第一章 ふりだし編(12)
「……時木?」
「へ、」
見つめあった俺と由紀子さんの間に、冗談みたいなテレビの笑い声が、虚しく響いた。
「あ、いや、すいません何でもないんです。ただちょっと知り合いにそっくりだったもんで。それだけです。」
「ふぅん、」由紀子さんが興味有りげに相槌を打った。「時木さんって言うんだ。その人」
「え、ええ。」
その時、背後に座っていた柚木君のお兄さんが、勢いよく俺の手首を引いた。少し痛かった。
「ちょっと、その話聞かせて。」
俺の返事を待たずに、柚木さんはぐいぐい俺の手首を掴んだまま台所へ向かった。それから裏口の戸を開け、外に出た。
家の中の温度に慣れていたせいか、やけに寒い。吐く息は白いし、さっき上着を脱いでしまったので余計に寒かった。
「ねぇ、時木って言ったよね。」ずい、と柚木さんの顔が迫った。あー、こりゃ怒らせちゃったかな。
「はい、すいません。あんまりにも由紀子さんが知り合いの女の子にそっくりだったんで、つい……フルネームは時木杏って言うんですけど。」
その時、ある事実に気が付いた。「あれ? もしかして柚木さん時木のことご存知なんじゃないですか。俺の記憶違いかもしれないけど、確か、」
「知ってるよ。」柚木さんが俺の言葉を遮るように言った。「同じ小学校だった。じゃあもしかして高橋君もあの学校だったの?」
「いや。俺ずっと千葉に住んでるんで。」
柚木さんが怪訝そうに眉を顰めた。「じゃあ何でずっと千葉に居た高橋君がずっと茨城に居た時木杏のこと知ってるのさ。一体どうゆう繋がりなの?」
「えっと、それは…」どうしよう、どこまで喋っていいのだろう。「友達で、部活まで一緒の奴がいるんですけど。そいつ、時木の弟なんです。それで知ってるんです。」
「ああ、国由君だっけ、名前だけは知ってる。へぇ、同じ高校なんだ。すごいね、高橋君も国由君も、それに弟も同じ高校に通ってるってことか。」捲し立てるように、柚木さんは一気に喋った。「でもさ、さっき高橋君言ったよね、『俺の記憶違いかもしれないけど』って。あれどういうことかな。おかしいよね、だって国由君は当然だけど俺のこと知らないし。弟の朋祐だって時木杏のことは知らないはずだよ。」
「えっと、それはその……」
返答に詰まっていると、突然、数メートル目の前の茂みからガサガサと何かが動く音がした。音から判断するに、それは少し大きめの動物らしかった。
「なんだろ、嫌だな、イノシシじゃないよな。まさか鹿とかか?」言いながら、柚木さんが戸口にかかっていた懐中電灯に手を伸ばして、パッとライトを点けた。
ライトに照らされて、そこに居たのはイノシシでも無く鹿でも無かった。人だった。真っ青な服を着ていて、白髪まざりの髪は長くて腰まであった。
「…どなたですか、ここ神社の土地じゃないんですけど。」
「君、君じゃあないか。迎えに来たんだよ。」甲高い、けれど男の声でその人は答えた。
「はあ?」柚木さんが意味が分からない、という風に答えた。
「お前じゃあないよ、アンタの後ろに居る子だよ。そう、君、君。カイコ、君だよぉ。」その青い服の人は、間違いなく俺の方を指差して言った。
今、思い出した。この人は見たことがある。確か夏の合宿の時、森の中で会った人だ。いや、その前に、合宿初日の出発の時に我島岡の駅で会った人だ。……だけど、どうしてあの人がここに?
それに確か、我島岡駅で会ったとき、自動販売機の前の地面に小さな壁部屋が描かれていた。もし、もし仮にあの壁部屋が俺の見間違いなんかじゃなくて、この青服が描いたものだったとしたら……
「カイコ?」柚木さんが俺の方を振り向いた。
「ほぉら、早くこっちにおいでよ。」青服は、ケタケタと笑いながら手招きをした。「おいで、カイコ。」
その時、柚木さんがぽん、と納得したように手を打った。「やっと分かった!……高橋君、家の中に入ってて。」
「え、はい…」何が何だか全く分からないが、言われた通りに裏戸に手を伸ばした。
―――――――――― 開かない…?
「どうしたんだよ、家ん中入っててよ。」柚木さんが急き立てた。
「それが…、それが開かないんですよ!この扉。」いつの間にか、全身を泡立てるように鳥肌が立っていた。なんだか、物凄く嫌な予感がする。
「だぁーかーら、」青服がパンパン、と手を叩いた。「早くこっちおいでよ。それにね、君たちはもう世界から切り離されてるからね。」

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