小説カイコ       ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作



第一章 ふりだし編(7)



「じゃ、俺はこれで。」言いながら、鈴木は食べ終わった三個目のカレーパンの袋を丸めた。「エンジョイして来いよー(笑)」

鈴木の後ろ姿を見送ると、抜けるような晴天の下、屋上に一人取り残された。
「ふぅ……。」ところで、マジでどうやって弁当食おう? この際誰も居ないし犬食いでもいいかな。

そんなことを考えていると、膝元で声がした。「ねぇ、高橋。」
「あ、カイコか。」…誰も居ないわけじゃなかったね。
「うん。山形ってとこに旅行に行くの?」

暖かな風に乗って、目の前の空に雀が二匹、チチチ……と鳴きながら弧を描いた。「そう、山形。ここよりもっともっと北のほうでね。あ、出羽って言ったら分かるかな。」

「出羽、」カイコが考え深げに呟いた。「えっと、最上の川はある?」
「最上川のことかな。あるよ。」
「そうかぁ!じゃあ羽前国だね、きっと戸沢様のところだね!」カイコが声を弾ませて言った。「新庄藩だよね!」

「新庄藩…?ごめん、俺分かんないや。」
「じゃあ瓜谷は?神蟲は?」
「おおっ、二つともビンゴ。俺が行く方が神蟲で、さっきの人が行くのが瓜谷だよ。へぇ、カイコも知ってたんだ。案外有名な地名なのかな。」

「有名も何も、」カイコが嬉しそうに言った。「僕の生まれた場所だよ!わぁ嬉しいな、もう何年振りに行くんだろうなぁ?」
「そっか。そりゃ良かった。」

嬉しそうにはしゃぐカイコを見ていると、何だかこっちまで嬉しくなった。偶然に偶然が重なる、とはこのことを指すんだろう。まさか両親の出身地が杏ちゃんや柚木君、さらにはカイコとまで繋がるとは思ってもみなかった。
今朝まではだるく思っていた里帰りも、案外いいものかな、と楽しみになってきた。


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放課後、明日の朝は早いので部活は休んで真っ直ぐ家に帰った。
七時限目の授業が終わってすぐに学校を出たのに、地元の駅に着いた頃にはすっかり日は沈んで、外は真っ暗になっていた。

誰も居ない改札を出て、駐輪場へと向かっていると何か違和感を覚えた。
何だろう、と少し疑問に思った。

ふと、辺りを見回す。駅の裏の駐輪場へと続く、この細くて暗い道には前にも後ろにも俺以外の人影は一つも見当たらない。耳を澄ますと、遠くで踏切のサイレンが、カンカンカン…と寂しげな音を立てていた。

「なんだろ、この前飯塚から借りたホラー小説の影響かな。」
少し、自嘲の意味も込めて笑ってみたが、虚しくなるだけだった。一人っきりの夜の路地に、自分の声が消えていく。

黒い空には月も出ていない。
背後から吹く、生温かい風が嫌な感じに頬を撫でた。気が付くと、寒くもないのに鳥肌が立っていた。さすがにこりゃヤバいぞ、と思って早歩きに駐輪場に向かった。

駐輪場に着くと、これまた誰も居なかった。おかしい。いくら田舎だからと言っても、ここまで誰にも合わないのはさすがに変だ。
けれどもここに長居する方が何だか気味が悪いので、さっさと自転車のある方へ向かった。地面のコンクリートを叩く自分の足音が、建物の中、ありえないぐらいによく響いた。

チャリを見つけて、ズボンのポケットから鍵を出そうとした。けれども一緒に入っていた携帯電話が邪魔をしてなかなか鍵が出てこない。ヤケになって鍵のストラップを無理矢理に引っ張ると、勢いのあまり鍵を落としてしまった。鍵はちゃりん、と音を出して地面に落ちた。

拾おうとして、急いで腰をかがめると、




「ほら、鍵、落っこちちゃったぞ。」



真後ろで、人の声がした。男の声だ。
冷たい汗が、背中を伝う。

変だ、だってさっきまで誰も居なかったのに ―――

首筋に、生温かい風が当たった。
鳥肌はさっきよりひどくなっている。



「ほら、鍵、落っこちちゃったぞ。」


再度、男の声がした。
振り向かなきゃいいものを、俺の体は半ば勝手に後ろを振り向いていた。



「……え」

誰も、居ない。
俺の後ろには無機質な灰色のコンクリートの地面と、その上にぽつねんと鍵が落ちているだけだった。

ぞわり、と寒気が全身を泡立てる。
すぐに鍵を拾って、鍵穴に差し込み、自転車に跨って漕ぎ出した。可能な限りスピードを出して、家を目指した。