小説カイコ       ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作



第一章 ふりだし編(17)



相対峙した彼らは、そのまま微動だにしなかった。微かな冷風だけが、両者の間に吹いている。
やがて、人喰い鬼に異変が現れた。女の姿をした鬼の指先が少しずつ、少しずつ透明に透け始めたのだ。指先だけではない。ゆっくりと、爪から掌へ、腕へと透ける部分は広がっていった。

「な……なんだこれは!」
身体の異変に気が付いた鬼は、半ば悲鳴のような狼狽の声を挙げる。先程まで勝気だった鬼の顔には、今では恐怖の表情がくっきりと浮かんでいた。
しかし土我は答えない。爛々とした月のような両眼をぱっくりと見開いたまま、鬼を見据えているだけだった。

その様子が、更に鬼を混乱させる。「そ、そうか……これが、く、喰われるという事なんだな、…そうなんだな、そうなんだろォ!い、嫌だぁ、嫌だ嫌だイヤだぁ……こんな意味の解らん奴に、いやだ、嫌だぁあああ!」

獣のような唸り声を挙げると、鬼の姿が突然、女から真っ黒な塊りへと変わった。周りの闇よりも黒い塊りは不気味な音を出しながら、更に大きくなっていく。それは蜂のような低い音を立ていて、よく見ると塊だと思っていたものは、何千何億もの小さな羽虫の大群だった。
その変化に土我は瞬時に身構える。すると、何億もの黒い羽虫が土我目がけてまるで弾丸のように降ってきたのだった。

「八岐!」
土我が叫んだ。すると、どこからともなく金属のような大きな蛇の頭が現れ、虫の大群をぱっくりと飲み込んだ。大蛇の目は、青白く輝き、土我の瞳と同じ色をしていた。
しかし羽虫の数は減ったが、消えたわけでは無かった。まだまだ多くの羽虫が小さな羽根の音を低く轟かせながら、頭上で大きな渦を巻いて旋回している。あまりにも大量の羽虫は、地上から月の光を遮断した。

「何回でも来るがいい!ちょうどこいつも腹が減っているのでな!」

土我が天を覆う虫たちに向かって叫ぶと、虫たちが一斉に方向を変えて、そのまま逃げるように飛び去って行ってしまった。

「……?」
土我は考えた。虫共は負けを見越して逃げて行ってしまったのだろうか。いや、負けず嫌いのあの鬼がそんなことをするとは思えない。だったら、一体……?
ふと、顔を上げて虫たちが飛んで行った方向を見た。その瞬間、負けたのはこちらかも知れないと思った。
あちらは任史君と達矢が逃げて行った方向だ。だとすると、虫共は神社の本殿へ向かっているに違いない。小さな羽虫どもは、古い木造の本殿の隙間という隙間から中へ侵入するつもりなのだろう。


「まずいな、八岐行くぞ!」