小説カイコ       ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作



第一章 ふりだし編(1)



さく、さく、さく
    さく、さく、さく


草を刈る鎌の音は、永遠に途切れることは無い。
江戸から遥か遠く離れた陸奥の地、奥羽山脈の麓にその村はあった。

夏の、眩しい日差しの下での草刈りはかなりしんどい。少しでも気を抜けば目の前がクラクラする。額から滴る汗は無尽蔵で、そのくせ、のどはすぐに乾いてしまうからどうしようもない。


さく、さく、さく
    さく、さく、さく


さく、さく、さく
    さく、さく、さく


「……あ、」
うっかりやってしまった。左手の親指から真っ赤な血が溢れていた。少し遅れて鈍い痛みがやって来る。

「太一?どうした?」僕の声を聞きつけて、背の高い葦と葦の隙間から日に焼けた弥助の顔が覗いた。

「ちょっと切っちゃっただけ。大した事ないよ」
「どれどれ」そう言うと弥助はガサゴソと草の山をかき分けて、僕の腕を取った。「いんやー。こりゃけっこう深くいってるね。今日はもういいからさ、早く洗ってこいよ。」
「え、でも、」
「いいからって。お前にはこの前の貸しもあることだし。それにな、早く洗わないとそこから腐って腕ごと駄目になることもあるらしいぞ」
「僕はそんなこと無いと思うけどなぁ……。まぁいいや。じゃあお言葉に甘えて。」

おう、と答える声がして弥助はもとの場所に帰って行った。今日のうちにもう少し刈っておきたかったけど、弥助がそう言うのならもう終わりにしよう。そう見切りを付けて、背カゴ一杯になったイボ草と右手に鎌を持って僕は家路についた。

家に着いて、いったん小屋の横手に荷物を置く。それから、大きな水瓶から尺一杯に水をすくった。尺の水を少しずつ切れた親指に流して血を洗うと、成程、弥助な言った通り思った以上に深く切れていた。冷たい水が傷口に染みて、痛い。

「ふぅ……」
ため息が出てしまう。なんとなく、何となくだがこの頃ツイていない気がするのだ。
「おぅい、太一や。」後ろから、お婆の呼ぶ声が聞こえたので振り返る。「お前、今、暇じゃろ。」
「ひま、だけど。何か用?」面倒くさいな、と思いながら返事をすると、僕の心中を見抜いてかお婆はニタニタと笑った。
「あんな、あんな、神蟲村までお遣いをしておくれ。今年は特に桑の葉ぶりが良くてな、蚕が太るのも前の年より早まりそうじゃ。葉ぶりがいい年は寒くなるのが早い。きっと蚕は早く繭を作ってしまうじゃろ。」

「えっと、」グダグダとまとまりの無いお婆の話を頑張って要約する。「つまりいつもより蚕の育ちが早まるから、神蟲村の奴らに早く金を用意しとけよ、って言えばいいわけ?」
お婆は満足そうに頷く。「賢いのぉ。太一は賢いのぅ。」
「わかった。日が沈む前までには帰ってくる。」

そう言って、お婆を置いてさっさと家を出た。神蟲村まではけっこう時間がかかる。早くしないと日が沈んでしまう。
僕の村は普通に田んぼをやっていたが、それとは別に養蚕もしていた。お婆は蚕の世話をする世話女の一人で、話は長くてウンザリするが、いろんな事を知っている。だって桑の木の様子一つで今年の蚕の育ち具合まで読めてしまう程なのだから。

ちなみに僕の村の自慢はこの蚕だった。僕の村の蚕が作る絹糸は、どこのものよりも質が良かった。
それに、隣の神蟲村。ここの村の住民は昔から織物が上手だった。ただ、ここの住民はみんな口数が少なくて、ちょっと怖い。

蚕を育てる僕の村、瓜谷村。
機織り上手の村、神蟲村。

二つの村は互いに切っても切れない関係で、天下一の布地を作っていた。
僕こと、太一はそんな村の一つに生まれた。