小説カイコ       ryuka ◆wtjNtxaTX2 /作



第二章 鎌倉編(9)



時木の少ない生前の記憶はなかなか壮絶なものだった。



悪時木を追って黒い壁に突入しようとしたのだが、時木いわく黒い壁の正体は悪時木の負の感情であり、生きている人間の俺が下手に触ると死ぬっぽい(゜Д゜;)

で、打開策として時木が俺に一旦憑りつくこととなった。時木が俺の中にスーッと入ってくるときには全身鳥肌立ちまくりでやばかった。それに時木の生前の記憶が走馬灯のように頭の中で駆け巡り、これもなんともやばかったね。

うん、けっこー鈴木も苦労してきたんだなと思ったよ。



それから、黒い壁に突入してみるとさっき感じた冷たさや痺れは全く感じなく、代わりに胸にせり上がってくるような息苦しさがひどい。でもそれも2,3秒で終わって気が付いたら見知らぬ所に立っていたわけだ。




どんよりと曇った灰色の空に、赤錆びのひどい古びたアパート。

時々、生温い風がねっとりと不快に頬を撫でる。



「時木、ここどこ?」 心の中で時木に問いかける。
『わからないけど……201号室の表札、時木って書いてあるな。』

成程、言われた通りアパートに取り付けられた螺旋階段を登っていくと201号室の表札には乱暴な字で〝時木″と黒のマジックで書いてあった。

このアパートの造りは基本木造らしく、一歩歩くごとにギシッギシッと足元が不穏な音を立てる。201号室のドアは完全に開け放ってあり、中の様子がありありと見えた。

玄関から居間らしき部屋までは短くて薄暗い廊下があるだけ。
玄関にたった一つ、ローファーがあるが、目に見える限り他に物は何も無いようだった。

…………生活感が全くないな。


『高橋、中に入らないのか?』 頭のどこかで、時木の声が響いた。
「え、だって人の家だし。勝手に入る訳にはいけないっしょ。」
『じゃあ、お邪魔しまーすとか言うのかよwww入ってもいいと思うよ。どうせ私の親父のアパートだろうしさ。』

うーん。なんとも俺の良心が揺るぐ所だが、ここは一歩踏み込んでみよう。何の為にここに来たのか分からなくなっちゃうしね。

「あのー、時木さーん」

一応声をかけてみたが応答は無い。さらによく見たら廊下には土足で歩いた跡があった。きっと鈴木(悪時木)が歩いた跡に違いない。……きっと今もこの部屋のどこかに居るはずに違いないな。

 すっごく悪いことだとは分かってるけど、玄関に勝手に入った。スニーカーを脱いで、薄暗い廊下から居間へと向かう。居間へのドアを開けると、廊下よりかは明るかったが相変わらずに薄暗かった。

居間の中は廊下と同じく殺風景だった。部屋の中央にビールやチューハイの缶が散らばっていること以外は何もない。居間の隣は小さな和室になっているようで、畳の上に布団が一式グチャグチャに放置してあった。


その、グチャグチャの布団の中に男の人がいた。



さらに鈴木もいた。
その男の人のことを布団の傍らに立って、じっと見下ろしている。

鈴木に気付かれないように居間の柱に隠れて、そっとその男の人のことを覗き見た。
 年齢は40歳前後で額には皺が深く刻み込まれていた。髭もきちんと剃っていない。少し目じりが吊り上っているところが鈴木に似ていて、昔は美男子だった面影が少しだけ残っている。……しかし、それが更に不幸な雰囲気を出しているようだった。

その男の人は静かな寝息を立てていて、こちらに気付く気配はない。






『………やっぱり、お父さんだ。』 頭の中で、時木の静かな声がした。

それからしばらくして、
ゆっくりと、鈴木はその男の人に覆いかぶさった。首を絞めかねない仕草だ。
 とっさに止めに入ろうとしたが駄目だった。足と床が強力なボンドで張り付けられたようにぴたりとくっついて離れない。………あれか、金縛りってやつか。


「お父さん、」 鈴木が時木の声で語りかけた。

ゆっくりと、その男の人はまぶたを開いた。別段、驚く様子もない。ただ何の変哲もない乾いた目で鈴木を見つめ返すだけだ。その落ち着いた様子は前々からこうなることを知っているかのようだった。



「……私ね、どうしてもあなたのことが許せない。
 でも、憎むこともできない。わかる?分からないよね。憎むことしか知らなかったあなたには。この気持ちはあなたにしか理解できないものなのに、あなたは理解してくれなかった。だから私はこんなふうになってしまった。こんなふうに、汚れた魂のカタマリになってしまった。」 今まで無機質だった時木の声にわずかながら熱みがこもった。

「……おまえ、国由か。」 時木のお父さんは右の手を鈴木の頬に添えながら言った。「大人になったな」

「そうだね、あなたが家庭を捨てて蒸発してから国由は大人になった。心も体もぐんと大人になった。でも、私はずっと中学一年生の子どものまま。心だけは子どものまま、どんどん老けていってね。」 時木はクククッと皮肉っぽく嗤った。「だから、私はあなたを殺しに来た。このまま、幾千の時空の中で悪霊として朽ちていくのが私の運命ならば、あなたが悪霊となった娘に、あなたに苦しめられた息子の手によって絞め殺されるのもあなたの運命。これが、私が死んでから6年間迷って下した結論。」


ゆっくりと、鈴木の腕に力がこもっていく。
でも、時木の父親はその行為自体には全く関心はなかった。


……娘は悪霊、息子は人殺し、か。




薄れてゆく意識の中で、
ただそれだけ思った。