彼女が消えた理由。
作者 / 朝倉疾風

第3部 第1章『その日、彼女が泣いた夜』2
細い指がスプーンを掴もうとして、失敗する。 手から滑り落ちたスプーンは床に落ちて乾いた音がした。
無言でそれを取り、ミユキの手に握らせる。
「しっかり持たないと、落ちるよ」
そう言って見たミユキの目から、水が流れていた。
それが涙だと認識するのに時間がかかるほど、自然的に零れていた。 虚ろな目には、並ぶ食事など到底見えているはずもない。
「お粥……食べねぇの?」
食事をすると嘔吐を繰り返すミユキのために、ドロドロに溶かした白米を口に運ぶ。 ミユキは微かに口を開けたが、スプーンが入らない。
「口開けねえと、食わせられねえだろ」
「みんな消えちゃったね」
全く会話が噛みあっていない。 ボソリと呟いたミユキの声が、残像が、耳に響く。
みんな、か……。
「まだ俺がいる。 俺はミユキを一人にしない」
「嘘だよ」
「嘘じゃない」
「ぜったいに嘘だよッ!」
急にミユキが立ち上がったから、持っていた粥を落としてしまい、皿が割れた。 そんなことよりも、ミユキが怒鳴ったことが衝撃だった。
「ぜったいに嘘なの。 叔母さんだってわたしを一人にしないと言ったもの。 なのに一人にした。 勝手にひとりで死んじゃったんだよ」
ヒステリックに叫んでいるけれど、俺はこの言葉で確信した。
ミユキは蓮奈さんが殺されたことに悲しんでいるわけじゃない。
“蓮奈さんが自分を一人にしたことが、ショックだった”んだ。
殺されただの死んだだのどうでもいい。 自分が一人きりにされたのが凄くショックで、憤怒して、焦燥している。 それだけなんだ、彼女にとっては。
だから、蓮奈さんを殺した犯人云々よりも、自分を置いて勝手に死んだ蓮奈さんに怒りを覚えている。
「嘘つきだよ、叔母さんは。 大嫌い。 家に帰ったらいないの。 血が、血に、血だらけで、怖い。 わたし大嫌い」
震える肩を抱きしめることも、散らばっている皿の破片を拾うこともできない。
「────嘘じゃない。 どうして俺を拒否するの」
「アンタの顔は嫌い。 あの女に似てる。 わたしのお母さんを殺したあの女に。 似すぎてる」
「ミユキもヒロカに似てるんだけどね」
どちらにしろ、俺とミユキは母親似だ。
「じゃあ、俺がミユキから離れると、本当に一人だね」
その言葉に、彼女がどれほどの絶望を突き付けられたのかは知らない。
人形のように表情が消えるミユキを、そっと抱きしめる。
「嘘だよ」
囁く。
「俺は、何があってもミユキを一人にしない。 本当だよ。 ずっと一緒だから。 約束。 絶対に破らない」
この約束だけは守らないと。
決して破ることのない、彼女との約束。

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