彼女が消えた理由。
作者 / 朝倉疾風

第3部 第1章『その日、彼女が泣いた夜』4
『まあ、それはいいとしてさあ……。 園松の叔母さんが殺されたのは俺も知ってるし』
「うん」
『けどさ、お前らこのままだと出席日数足りんだろ。 留年……してもいいのかよ』
「半分は諦めてる」
『あのなぁ……。 まあいいや。 陽忍のことだから、また色々考えてるんだろうけど。 あんま無理すんなよ。 園松もお前の家にいるんだろ』
「いま、ポテチ食べてる。 ……幼くなった。 精神年齢、みたいなのが」
『ショックが大きいんだろうな。 俺は何もできねぇけど……。 まあ、いまはあんま学校来ないほうがいいかも。 クラスの奴らがけっこう……その……噂、とか』
「りょーかい。 ありがとうな、吉川」
彼の返事を待たずに電話をきった。 吉川の声を聞いていると、泣きそうになる。
きっと甘えているんだ。 俺が、彼に。 吉川の存在が、俺のドロドロした気味の悪い本性を抑えてくれている。
ミユキへの破壊衝動を、止めてくれている。
「チヒロ」
彼女が呼ぶ俺の名前。
乾いた唇が弾いて、音が言葉を構成させていく。 俺の、たったひとつの名前。
「なあに、ミユキ」
「奥歯にポテチが引っ掛かった。 とってよ」
存在そのものが矛盾しているミユキの、八重歯を指で少しなぞる。
口を開かせて、唾液で指が湿ることすら快感で。 指が奥に入っていくのに、苦しい顔もせずミユキはじっとしている。
「はい、とれたよ」
10年前、俺がいまいるココは、ヒロカがいた場所だった。
ミユキの世話をして、機嫌をとって、ずっと笑っていて。 いま思えば無理な話だった。
ヒロカ自身がどこか子どもっぽくて常識がないのに。 ミユキを6年も育てられたことが意外だ。 シングルマザーだったし。
そこまで考えて、思い出す。
ミユキの世話は、俺の母がほとんどしていた、と。
「ミユキはお母さんが好き?」 「大好き」
そういえば、小学1年生になっても夜泣きがひどいミユキを、夜中にヒロカが家に連れてきたことがある。
どうにかして、わたしじゃもうおてあげ。
そう言って、ワンワン泣いているミユキを置いて、一人だけ帰ってしまったっけ。
「俺の母親は嫌いなんだ」
「うん」
「俺は好き?」
「嫌い」
ほらでた。 矛盾。
「顔があの女の人に似てるからだろ」
「うん」
「それを抜きにしたら?」
「あ……だけど、ね。 思い出す」
ミユキが一瞬、困惑した表情になり、うつむく。
「思い出すってなにを?」
「────昔の、笑っちゃうくらい台無しにしたい、あの夜の、さあ」
幼い頃に焼きついてしまった、いやらしい声と、空気。
鼓膜を震わしたヒロカの声を、俺はいまだに、忘れられずにいる。
「わたし、まだ覚えてる。 10年も前で、小さかったけど。 いつになったら、忘れられるかな」
一生、無理だろうなぁ。
「アンタに抱かれるたびに思う。 すごく温かいのに……おかあさんを思い出しちゃう。 怖い。 わたし、汚くない。 ねえ、どうしたらいい? わたし、アンタを好きになれない」
俺とミユキは、まったくと言っていいほど、10年前から何一つ変わってない。
一歩も前に進めていない。
心は10年前のまま。 そのまま大人になった、俺たち。
すごく、むなしい。

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