彼女が消えた理由。

作者 / 朝倉疾風



第3部 第5章 『彼女が消えた理由』4



       ──彼女が、消えた理由。



横に転がる園松チヒロの死体を、一瞥する。

ミ ユキが殺したわけじゃない。
自殺だ、
ミユキの姿をヒロカと重ねて、その口から 「大嫌い」 と言われて、呆気なく彼は崩れて行った。

「ナイフ、所持してたとは」 「千尋が切られてたらどうしよって思った」

首がパックリ裂けていて、中からドロドロと赤い液体が流れ出る。
こんな人間でも、血は赤いのか。

「ッ、………」 「血、怖いんだね。 わかるよ、その気持ち」

ミユ キがそっと、俺を抱擁する。
心臓の音、心地いい。 モソモソと動いて、ミ ユ キが俺の額を舐めはじめる。

「なに……どうした」 「血、ついてるから。 痛そうだし」

さっきの悲痛な表情は消え、元の園松ミユキに戻っていた。
そっと彼女の体に触れてみる。 細い首筋、少し膨らんだ胸、平たいお腹。
そこにさしかかったとき、ミ  ユ  キが 「あ。」 と声を上げる。

「どうした?」
「…………わたし、妊娠してる。 千尋の子ども」


あ。


「え、そうなの。 俺、とーちゃんになるのか」
「そうだよ。 ていうか、産んでいいの?」
「ヒロカの好きにしたらいいよ」

ポンポンと頭を撫でる。 息をすると、ヒロカのに臭いが鼻孔をくすぐる。 良い匂い。




「      千尋」




名前を呼ばれて、ヒロカのほうを見る。
なんだよ、その顔。 なんだかショック受けたような顔だな。

「ヒロカ、なんだよその顔。 すっげえアホ面」
「わたし、ヒロカじゃないよ?」

震える声でそう言う彼女。 ヒロカじゃないっていうなら、一体だれだよ。

「何バカなこと言ってんだよ。 お前、ヒロカだろ?」
「わたし……ミユキだよ? 園松ミユキだよ。 ヒロカの娘だよ」
「────む、すめ?」


むすめ?
ヒロカにむすめっていたっけ?
あれ、なんだこれ。 なんか思い出せない。 俺は、陽忍チヒロだろ?
チヒロ、千尋? あれ、どっちだっけ。

ていうか、横で寝ころんでるやつだれだよ。 血だらけだけど。
あれ、あれれれ?


「ちひろ?」


──チヒロ、わたしチヒロが大好きだよ。

         ──ヒロカはお前も憎かったんだ!

──あなたの名前に、わたしと千里の字が使われてるの。

         ──お前へのあてつけだったんだよ!

ああ、ああ? こんなヒロカは知らない。 こんな、ヒロカは知らない。 ヒロカは知らない、だって、俺が知ってるヒロカは優しくて、温かくて、男と性行為なんてしないし、いつだって純粋で、

──チヒロ

俺の名前をよんで、

──ミ × キ と仲良くしてあげてね。

なのにそれなのにさあ、なんでだよ。
こんなのヒロカじゃない、ヒロカじゃない!

「チヒロ 「お前はヒロカだろ!? なあ、そうだよな! 答えろよッ」

じゃあここに居るのは誰だよ! ヒロカだろッ!
ヒロカは死んでもないし、ずっと俺と居たんだよ! 同棲だってしてたろ?

「痛いよ……チヒロ……」
「ヒロカだよな! ヒロカ、ヒロカ、俺なあずっとお前のこと大好きだったんだ! 俺、まだ6歳のガキだったけど、お前にすっげえ欲情しててさあ! ヒロカ、俺の子ども妊娠したの? すっげえ嬉しい!」

なのに、どうしてヒロカはこんなに悲しそうな顔をするんだよ。
俺が好きって言ってるのに、悲しい顔をすんなよ。

「あははははっ、なあ、ヒロカ、俺なあヒロカに作ってもらったハンバーグ、すっげえ美味しかったんだ。 また食いてぇなあ。 ヒロカ、すっげえ料理うまかったもんな! ヒロカ、ヒロカ」

ポロリと。
ヒロカの目から涙がこぼれる。

「……なんで泣いてるんだよ」

どこか絶望したような空虚な目。 俺をじっと見つめてくる。
しばらく口を微かに開け閉めしていたけど、口角を少しだけあげて、笑った。




「わたし……ヒロカだよ……チヒロ……」




そう言って、俺をまた抱きしめてくれる。
この匂いとぬくもりは、やっぱりヒロカだ。 俺がずっと大好きだった、ヒロカ。


なのに、どうしてヒロカはこんなに泣いてるんだ。
広い田んぼに響くほど、大きな声をあげて。 子どものように、ヒロカが泣く。
声が枯れてしまうのではないかと、心配にもなった。

だけど、大丈夫。

ヒロカには俺がついているから。









──その日、彼女は消えた。 自分の存在を消してまでも、彼を愛していたから。