コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
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- アイドルな彼氏に猫パンチ@
- 日時: 2011/02/07 15:34
- 名前: め〜にゃん (ID: AO7OXeJ5)
今どき 年下の彼氏なんて
珍しくもなんともないだろう。
なんせ世の中、右も左も
草食男子で溢れかえってる このご時世。
女の方がグイグイ腕を引っ張って
「ほら、私についておいで!」ぐらいの勢いがなくちゃ
彼氏のひとりも できやしない。
私も34のこの年まで
恋の一つや二つ、三つや四つはしてきたつもりだが
いつも年上男に惚れていた。
同い年や年下男なんて、コドモみたいで対象外。
なのに なのに。
浅香雪見 34才。
職業 フリーカメラマン。
生まれて初めて 年下の男と付き合う。
それも 何を血迷ったか、一回りも年下の男。
それだけでも十分に、私的には恥ずかしくて
デートもコソコソしたいのだが
それとは別に コソコソしなければならない理由がある。
彼氏、斎藤健人 22才。
職業 どういうわけか、今をときめくアイドル俳優!
なーんで、こんなめんどくさい恋愛 しちゃったんだろ?
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- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.548 )
- 日時: 2014/06/07 08:43
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
「おっ!やっと気付いたか?良かった…。心配したぞ。」
「……え…っ?ここ…って…?」
うっすら開いた目に写る真っ白な天井を、雪見はボーっと見つめてる。
ここはニューヨーク?健人くんとベッドに寝転がって見る天井も白かった。
でも違う。あの部屋の天井はもっと高い。
じゃあ…どこ?健人くん…は?
「病院だよ。トークショー終わって引き上げてる最中に廊下でぶっ倒れて、
救急車で運ばれたんだぞ?覚えてないのか。
ビックリして俺まで卒倒しそうだったわ(笑)」
今野に聞かされ、やっと記憶が蘇る。
そうだった。あの時…。
苦手なトークを何とかクリアした…ってホッとしたら、急に身体から力が抜けて
目の前が真っ暗になって…。
でも救急車で運ばれてたなんて…。みんなに…迷惑かけちゃった…。
『人に迷惑掛ける』という行為が、自分も母同様一番嫌いなんだ…。
沈み込む自分の心を俯瞰して、ぼんやりとそう思う。
それを知ってか、今野はやけに明るく笑いながら言った。
「しっかし、ただの過労で良かったぞ!
いや、良くはねぇけどよ、重大な病気で入院されるよりは百倍マシだ(笑)
一晩点滴して回復したら帰ってもいいそうだ。」
「あの…私、もう大丈夫です。それにこれからパーティーが…。」
身体を起こそうとしたのだが、頭がクラッとしてまた目をつぶる。
「いーから寝てろっ!夜のパーティーはとっくにキャンセルしたよ。
『スミスソニア』だって、倒れた奴に無理してでも来いとは言わなかったから安心しろ。
明日の取材も午後に変更してもらったし、今夜は思う存分寝ていいぞ。
俺は美人ナースに挨拶して帰る。また明日の朝来るよ。じゃあ、おやすみっ!」
今野が病室を出て行こうとした時だった。
「今野さんっ!!」
雪見に呼び止められ、そんだけ大声出せるなら大丈夫だな、と安堵しつつ振り向いた。
「健人くん…には?」
「あぁ、今稽古中だろうから昼休みにでも電話入れとくよ。」
「言わないでっ!下さい…。私ならもう大丈夫ですから。
健人くんに…余計な心配かけたくない。お願いします…。」
懇願する雪見の瞳があまりにも真剣過ぎて、今野は少々心配になった。
『こいつら…夫婦として大丈夫なんだろうか…。』と。
「そっ、そう…か?まぁ…本人が大丈夫ってんなら黙っとくか。
頼むから体調管理だけはしっかりしてくれよ。この先もスケジュールは詰まってんだ。
どうにかしてやりたいが、俺じゃどうにもならん。
とにかく移動時間もこまめに寝て、栄養あるもん食って。
健人はあれだけ売れて忙しくなっても、体調管理は完璧だろ?
お前も見習ってプロに徹しろ。」
「はい…。本当に済みませんでした。明日からまた頑張ります。」
決して叱ることをせず、穏やかに言って今野は病室を後にした。
ぱたりとドアが閉まる。
雪見は寝たまま頭だけを少し動かし、その部屋をぐるりと見回した。
白い壁に掛かる時計が午後10時10分を指している。
ニューヨークは午前9時10分か…。
目前に迫った発表会の稽古に、真剣な眼差しで励む健人が頭に浮かぶと、
夢でいいから逢いたい…と雪見は再び瞳を閉じた。
………ゆき姉…
どれほど時間が経ったのか。
夢うつつに誰かに名前を呼ばれた気がした。
…ゆき姉っ?
『………えっ?健人…くん?今、健人くんの声が聞こえた。
うそ…来てくれた…の?』
夢には出てきてくれなかった人が来てくれた!
雪見は嬉しくて、まだ半分夢の中にいる自分を叩き起こした。
そして目をパチッと開け、声のした方に首を向けると…。
「ゆーきねっ♪」
「えっ?しょ、翔ちゃん!?」
なんと、ベッドの横に立ってたのは健人ではなく、ニコニコ顔の翔平だった!
「あ。もしかして健人だと思った?思ったよね?
よしゃああ!健人の物まね、ゆき姉のお墨付き頂きましたぁ〜!
今度テレビで初公開しよーっと。」
レパートリーがまた増えたぞ♪とご機嫌な翔平。
ところが。声も発せずボーゼンとする雪見を見て慌てた。
「うそっ!ほんとにショックだったのぉ?
…え?まさか泣くとかやめてよ?ゴメンゴメンっ!!
いや、ホテルに顔出したらさ、ゆき姉が救急車で運ばれたって聞いて。
そんですっ飛んで来たわけよ。で…大丈夫なの?」
翔平は「これ、お見舞い。」と花かごを床頭台に乗せ、ベッド脇の椅子に腰を下ろす。
「どうして…ホテルに行ったの?」
「ちょっと。俺の質問聞いてた?(笑)
ホテル?あぁ俺も招待されてたから。ほら、一応俺も『スミスソニア』の顧客なもんでね。
あなたの、高ーいウエディングドレス買ったお客様だから。
ま、一人で買ったわけじゃねーけど(笑)」
「そっか…。その節はありがと。」
大袈裟にふんぞり返ってふざけてみたものの雪見は笑いもせず、反撃もせず。
やっぱりか…と思った翔平は、ここが夜の病室であるにも関わらず、
更にテンション上げて話し続ける。
「いえいえ、どーいたしまして。
ほんとはさ、トークショーでカミカミなゆき姉見て笑いたかったんだけど、
仕事が押しちゃって。
まぁパーティーに駆け付ければ、セクシードレス姿ぐらいは拝めると思ったのに、
すでにあなたはいなかった(笑)」
「残・念・でしたっ!カミカミなんかじゃなかったもんねー。
それに翔ちゃんにセクシードレス姿なんて、見せないよーだ!」
「良かった…。いつものゆき姉だ。」
「…えっ?」
やっと雪見らしく食いついてきたのを、翔平が安心したように微笑んで見てる。
だが、すぐ真剣な眼差しに置き換え雪見の顔を覗き込んだ。
「みんなが心配してるよ。最近のゆき姉、忙し過ぎだって。
前みたいに笑わなくなったって…。
みずきも当麻も、優も心配してた。でも…もちろん一番は健人だけどね。」
「健人くん…が?」
「あいつ、ゆき姉に関してだけは、からっきし情けない男だって知ってた?
まぁ健人が情けないと言うよりも、天下の斉藤健人をあそこまでグダグダにすんだから
浅香雪見が恐るべしなんだよな、きっと(笑)」
「グダグダって…。健人くん、お芝居うまくいってないのっ!?
もうすぐ発表会なのに…。」
雪見の顔が曇ってしまったのを見て、翔平は再び慌てふためいた。
「ちげーよっ!違います!そーじゃなくてさ。
あいつはさ、ゆき姉が可愛くて可愛くて仕方ないんだよ。」
「可愛い…?」
「そ!過保護な母親みたいな?いや、娘を溺愛する父親か?
とにかく。
俺らはこの世界の忙しさに慣れてるし、忙しいにしてもONとOFFを使い分け出来る。
でもゆき姉は、素人がいきなりこの世界の忙しさに飲み込まれたようなもんだから。
で健人が心配になっちゃうわけよ。
ゆき姉、ちゃんとご飯食べてるかな…とか、辛い思いしてないかな、とか
寝れてないんじゃないか、って。
あんまり心配すっから、オカンか!って突っ込んどいたけどね(笑)」
ドキッとして涙がじゅわっと湧いてくる。
そこまでお見通しならば健人に弱音を吐いて、もう全てを白状して楽になりたい…。
取調室で自供寸前の犯人みたいに、心が重荷を下ろしたがった。
が、ギリギリのところで冷静な自分が待ったをかける。
いや、今、話すわけにはいかない。せっかくここまで来たのに…。
母さんとの約束、どうしても守らなきゃ…。
発表会まであと少し…。あと少し…。
「もーぅ!健人くんって心配性だなぁー。ほんとオカンみたい(笑)
私が元気だって言っても信用しないから、翔ちゃんから言っといて。
あ、でも私が救急車で運ばれたなんて言ったら、ぶん殴るからねっ!」
いつもと変わらぬ口調で笑いながら言うので、翔平はまんまと信じ込んだ。
「そっか。わかった。あとでメール入れとくよ。
そーなるとさ、やっぱセクシードレス写真も一緒に送りたかったなぁー。
健人も元気ビンビンになるやつ(笑)」
油断してたら点滴した手で、胸にグーパンチをお見舞いされた。
痛かったけど、やっぱゆき姉はこうでなくっちゃ。
大切な友の大切な人は、俺らにとっても大切な人。
いつも笑顔でいてくれるようにと心から願いながら、消灯後の薄暗い廊下を
足早に立ち去った。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.549 )
- 日時: 2014/06/10 17:23
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
翔平の出て行った病室に、夜の静寂が舞い戻る。
どうやら左手の点滴には、まだまだ続きがありそうだ。
こんな所で寝てる場合じゃないけれど、囚われの身とあっては致し方ない。
潔く諦めて、長い夜をやり過ごそう。
でも…。
やっぱり今夜も眠れそうにないや…。
身も心もクタクタなはずなのに、眠ろうとするといつも昼間の出来事を反すうしてしまう。
あのトークはあれで良かったのか。
あのドレスは綺麗に着こなせてたのか。
緊張し過ぎて記憶に無いが、ランウェイは上手く歩けてたのだろうか…。
何一つ自信を持てず、良いのか悪いのかさえ判らず、地に足の着かない
無重力状態にある自分を、この先どうコントロールすればよいのか。
行き先の見えない旅に出てしまったことを、今やっと後悔し始めた。
健人くんに…会いたいな。
……え?………そーいえば…私のケータイっ!!
どこーっ?どこどこっ!?
急に起きあがったもんだから頭がクラクラした。
だがそれどころじゃない。ホテル入りしてからケータイを開いてない。
もし健人からメールが来てたら、返信しないと心配するではないか!
えーっ!私のバッグ、まさかホテルの控え室に置きっぱ!?
どーしよぉぉー! ……あ、あったぁぁぁぁ!!
翔平が置いた花かごの下のロッカーに、バッグは入ってた。
左手は使えないので右手一本でバッグをまさぐり、やっとケータイを探し当てる。
部屋は綺麗に出来るのに、ナゼかバッグの中はすぐにグチャグチャ。
『そこは健人くんと似てるんだよなぁ♪』と、幸せを感じてる自分がおめでたい。
ベッドに腰掛け急いでケータイを開く。
片手でのケータイ操作が苦手で右手親指がつりそうになるが、健人から
たくさんの着信と留守電、つぐみからも二件のメールが入っててビックリ!
とっさに健人に何かあったんだ!と思った。
今、何時っ?いや、時間なんて関係ない!
今すぐ電話しなくちゃ!!
雪見は留守電も聞かず、つぐみからのメールも開かずに、ドキドキしながら
健人に電話を入れた。
国際電話のもどかしいこと。
とにかく一刻も早く声が聞きたい。早く…出てっ!
呼び出し音を聞きながら、ふと時計に目をやると11時半。
向こうはまだ10時半か…。稽古の時間だ…。
ハッと我に返り、慌てて電話を切る。
落ち着いてよく考えよう。落ち着いて…。
もし健人くんに何かあったら、今野さんにも連絡が入るはず。
今野さんが何も言わないんだから…大丈夫、大丈夫。
そうだ、まずは留守電を聞かなくちゃ。
NY時間の朝5時半過ぎから12件もの着信。13件目の留守電メッセージ。
それはどう考えても尋常ではなかった。
胸が苦しくなるほど鼓動が早まり、恐る恐る再生ボタンを押して第一声を待ち構える。
と、いつもと変わらぬ健人の柔らかな声が…。
『……もしもし。ゆき姉?
元気…かな。
いや、元気だとは思うけど…
ちょっと声が聞きたくなって。
………。
なんか早くに目、覚めちゃったから
電話してみたんだけど…。
仕事中…だよね。ごめん。
うん…また電話するわ。
………。
仕事頑張れよ。
あんま無理しないで。
なんかあったら…いつでも相談乗るから。
じゃあ…ね。』
『じゃあ…ね。』の後にまだ何か重大な話が続くかもと、しばらく耳をそばだてる。
だがメッセージの再生はそこで終了。
健人くんに何かが起きた訳じゃなかった…。
よかった……。
そう思った瞬間、ポトポトポトと涙が滴り病衣を濡らす。
それだけで泣くに充分な理由だったが、安堵した後には健人の優しさが心に居座り
更に涙に拍車を掛けた。
翔ちゃんが言ってた通りだ…。
いつもと変わんない声だったけど、私のこと心配してる…。
ごめんね……。
言葉を選びながら、心配にはやる心を隠しながら吹き込んだであろう声を、
何度も何度も再生しては涙する。
今夜はとことん泣いてやろう。
明日からは笑顔で頑張れるように。
離れていても健人くんが安心していられるように…。
泣きつかれたその夜は、久しぶりに朝まで熟睡できた。
目は腫れぼったくて重たいが、心の重しは相当軽くなってる。
朝6時の検温と血圧測定にやって来た看護師が、残り少ない点滴液を指差して、
「これが終わったらもういいですよ。」とにっこり微笑み出て行った。
さぁ、また新しい朝が始まった。今日も明日も仕事は詰まってる。
次に健人くんに会う時は、少しは自信をお土産に持って帰れるかな…。
点滴が外れ自由の身になり、着替えて病室を後にする。
キャップを目深にかぶり、うつむいて足早に通り過ぎた大病院の一階ロビーは、
受付開始を待つ多くの患者ですでにざわついてた。
母さんが入院してた病院の朝も、こんなんだったな…。
つい最近まで目にしてた光景が蘇り辛くなる。
でもそれらは遙か昔の出来事のようにも思え、ならばいっそ健人が知らないという事実も
遙か彼方に紛れて欲しいと心から願う。
しばらくすると、会計を済ませた今野が車に戻って来た。
エンジンをかけながら言ったセリフに驚き、雪見は喜びの悲鳴を上げる。
「よしっ!じゃあ元気の出る朝飯でも食いに行っか。
道案内してくれよ。『秘密の猫かふぇ』とやらに。」
雪見の周りには、いつも愛が咲き乱れてる。
すべては健人が蒔いた優しさのこぼれ種に違いない。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.550 )
- 日時: 2014/06/14 00:59
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
「いらっしゃいませ、浅香さま。お久しぶりでございます。
今野さまも、ようこそ『秘密の猫かふぇ』へ。」
母が亡くなった夜に来た時には顔を合わせなかった顔なじみのイケメン黒服が、
受付でにこやかに二人を出迎える。
彼はこの店一番の猫好きで、雪見が行くといつも猫談義に花が咲いた。
「こんにちは。まさか今日来れるなんて思わなかったから、すっごく嬉しい!
猫ちゃん達はみんな元気?」
「はい、元気にしてますよ。
あ、ここに置いてた写真集、もう全部売り切れてしまいました。
撮したのが浅香さまだとお分かりになると、皆さま本当に凄い金額を
募金箱に入れて下さって…。
お客様にも、浅香さまにも感謝申し上げます。」
猫思いの彼は深々と頭を下げ、雪見に礼を言った。
「そう!良かったぁ。じゃ、また新しいのを作らなきゃね。
暇見て猫ちゃん、撮しに来ます。
今日は朝ご飯食べる時間しかないんだけど、奥のカフェはもう開いてるかしら?」
「はい。あちらで、みずきオーナーもお待ちかねでございます。」
「うそっ!みずきが来てるの?キャーッ!嬉しいっ!!
今野さん、行こ行こっ!」
「お、おぅ!」
キョロキョロ周りを見回し『またしても場違いなとこに来ちゃったぞ、おい。』
と気後れしてた今野は、雪見がその場から歩き出してくれホッとした。
そんな雪見は、さっき車の中で今野とした会話を思い出しながら先を行く。
今野さん、『秘密の猫かふぇ』って行ったこと…ありましたっけ?
あるわけねぇだろっ!そんな秘密の高級クラブ。
うちの事務所で買い取ったから知ったようなもんで、サラリーマンの俺には
縁もゆかりもないわ。
じゃあ…どうして?
頼まれてたんだよ、健人に。
えっ…?
お前が疲れ切ってピンチの時、少しの時間でいいから連れてってくれって、
この前ニューヨークで会員カードを渡されたのさ。
うそ…。
本当はよ、本人以外ダメらしいが、健人の留学中は俺が使えるように、
みずきに交渉したんだと。
ひどくねぇか?
マネージャーの俺に、仕事サボって猫かふぇ連れて行けって言うんだぜ?(笑)
あ、会員カードの貸し借りは、事務所にはナイショだからな。
健人の優しさを改めて噛みしめ、胸が一杯になる。
速度を落とすと涙が落ちそうで、雪見は歩幅を拡げて長いトンネルを
ぐんぐんと突き進んだ。
「ゆーき姉っ♪待ってたよ。」トンネルの出口でみずきは待ち構えてた。
「みずき…。」
ここにも優しい人が…いた。
その笑顔を見た途端雪見の瞳からは涙が溢れ、みずきに抱き付き声を上げ泣いた。
何も言わなくてもわかってくれてる。
みずきには自分の心を誤魔化さなくていいんだ…。
そう思うだけで、どれほど心が解き放たれることか。
またみずきも、雪見の心と身体が弱ってるのは今野の電話以前に見抜いてたので、
少しでも早く修復してやりたくてギュッと抱き締め、自分のパワーを
注入するイメージで念を送った。
みずきの不思議な力を知らない今野には、抱き合って再会を喜ぶ二人にしか見えないだろう。
そんなに大泣きするほどのことか?と、少々呆れ顔で抱擁が終わるのを待っている。
しばらくして、雪見の心が力を蓄えたのを感じ取ると、みずきはニッコリ微笑み腕を解いた。
「ほらほら、もう泣き止んで。」
「…あ。ああーっ!みずき、お腹に赤ちゃんいるのにギューッてしちゃったぁ!!
大丈夫?ねぇ赤ちゃん大丈夫っ!?」
「あははっ!大丈夫よ。心配しないで。
これぐらいでどーにかなる赤ちゃんなら、もうとっくにどーにかなってるわ。
この子のパパはハグが好きだから(笑)」
「そっか、良かったぁ。当麻くんきっと、お母さんと赤ちゃんを二人まとめて
ハグしてる気分なんだよ。
絶対いいお父さんになる!楽しみ。元気な赤ちゃん…産んでね。」
「うん、ありがと。
あ…シェフが腕により掛けて作ってくれた朝ご飯が冷めちゃうわ。
さぁ、早く食べましょ。今野さんもどうぞ。」
みずきは、赤ちゃんのことで雪見に負い目を感じさせたのでは…と心配になり
すぐに心を読んだが、そんなふうでもなくホッとした。
みずきに案内され着いた席には、テーブルいっぱいにお洒落で美味しそうな朝食メニューが
ずらりと並んでた。
「キャーッ!美味しそう♪豪華な朝ご飯!」
「ゆき姉の好きそうなもの、見つくろって作ってもらったのよ。
どう?少しは食欲出てきた?」
「えっ?お前、今まで食欲無かったのか?それで痩せて倒れた…ってわけ?」
今野が初めてそれに気付き、雪見を問い詰める。
みずきは『シマッタ!また余計なこと言っちゃった!』と、慌てながら
今野に飲み物を聞いた。
「今野さんはコーヒーがいいですか?
あ、北海道直送のしぼりたて牛乳も、濃厚でとっても美味しいですよ。」
「おっ!牛乳が美味そうだな。コーヒーは食後にもらうよ。
なんか高級ホテルの朝飯みてぇだ。よし、ご馳走になるか。
…おい、これうめぇぞ!食ってみろ。」
嬉々と食べ出した今野を見て、雪見とみずきがクスッと笑って目配せ。
雪見も「食べよ食べよ♪いただきまーす!」とフワフワのオムレツにナイフを入れた。
いつ以来だろう。食事をこんなに美味しく感じるのは。
帰国して食欲が無くなってからは、サプリメントだけで済ますこともあって…。
健人くんと一緒にいた時は、あんなに食べることが好きで料理も好きだったのに…。
今の自分が情けなく、涙がジュワッと滲む。
だが『いけない、いけないっ!』と急いで焼きたてクロワッサンを頬張り
涙の気をそらした。
せっかくみずきが立て直してくれたのに、また落ちてしまうではないか。
余計なことは考えないでおこう…。
食べながら三人で他愛もない話に大笑いしたり、足元に寄ってきた子猫を抱き上げ
頬ずりしたりするうちに雪見は、細胞の隅々にまでしっかり栄養が行き渡った気がした。
「おっ、もうこんな時間か。そろそろ帰ろう。
お前は家でシャワーして着替えるだろ?俺は事務所でひと仕事してから、
12時前には迎えに行くよ。
みずきも今日はありがとな。うまい朝飯食わしてもらったよ。
雪見も元気になったみたいだし…助かった。」
「いえいえ、ちゃーんと今野さんにツケときますから(笑)」
「嘘だろっ!?俺の給料、全部吹き飛んじまうよぉ!」
みんなで大笑いしてるところに、突然今野のケータイが鳴った。
今野は「おっ、やっと来たか?グッドタイミングだな。」と雪見を見ながらニヤリ。
みずきもその電話が誰からなのか、何の用件なのかを即座に感知したらしく、
雪見をニコニコと見つめてる。
「??? な…に?」
「おぅ、お疲れっ!待ちくたびれたぞ。ずいぶんかかったな。
…うん。うん。……そうかそうか。
よしっ!じゃあー決まりだなっ。おめでとう!
俺はこれから事務所に戻って、常務と諸々手配を進めるよ。
雪見?ここにいるよ。今、例の猫カフェで朝飯食ったとこ。
あぁ心配すんな。午前の仕事が午後に変更になって、時間空いたから来ただけだ。
ちょっと待てよ、今代わるから。」
今野がケータイを突き出し「ほらっ。健人から。」と言うのでビックリ!
「えっ?健人…くん?」
半信半疑で受け取ったケータイの向こうから「もしもし、ゆき姉っ?」
という本物の健人の声がした。
その声がいつもと大きく違うのは、やけに興奮気味だということ。
13回目に吹き込まれた留守電ともまるで違う、明るく弾んだ声なのだ。
「ゆき姉、聞いてっ!俺、映画が決まったよ。
あ…連絡遅くなってゴメン。正式に決まるまでにちょっと手間取ったんだ。
俺、来年公開の…ハリウッド映画に出ることになった。」
「う…そ…。」
それは健人の夢が、またひとつ実現した瞬間だった。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.551 )
- 日時: 2014/06/28 01:38
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
「ほんと…に?…ハリウッド映画に…健人くん…が…。」
「ゆき姉、おめでとうっ!私も嬉しい!」
みずきが抱き付き祝福する。
雪見は、ただただ泣くよりほかなかった。
聞きたいことは山ほどあるし、おめでとうだって百万回言いたかったけど、
次から次へと溢れる涙に言葉を遮られ、嗚咽にしかならない。
そんな雪見を、電話の向こうの健人が『まーた泣いてるし。』と優しく笑う。
今野は「良かったな。でも、もうそろそろ泣き止んどけ。
次の取材の写真写りが悪くなる。」と笑いながら肩をポンと叩いた。
いいよ、何とでも笑えばいい。
私の涙はこんな日のために、あるのだから…。
健人は泣いてる子供をあやすように、穏やかな声で話しかける。
それを雪見は、うん、うんとうなずきながら黙って聞いた。
『ゆき姉に早く教えたかった。でも色々クリアしなきゃならない事があって。
ごめんね、今まで黙ってて。
ほんとは留守電に入れとこうかと思ったけど、やっぱ直接伝えたかったから…。
少しは元気…出た?』
健人はやはり気付いてた。翔平の言ってた通りに。
だが、元気のない理由を問うでもなく、何も相談しない事をとがめるでもなく、
今現在の状態だけを気遣った。
それこそが彼の愛。
自分の感情よりも相手の心情を優先する。
私から話さない限り、彼は聞いてはこないだろう。
だから…話さない。
こんな時に私ごときに足踏みする必要は、どこにもないの。
あなたは真っ直ぐ自分の道を進むのよ。
それが私の愛だから…。
「うん、元気出た。ありがと。ほんとにおめでとう。
あーもぅ!嬉し過ぎて何から聞けばいいのかわかんないや。
ねぇ、どんなお話なの?主役は誰?健人くんはどんな役?」
『でた!得意の質問攻め(笑)ゆき姉はやっぱ、そうでなくっちゃ。』
健人が安心したように笑ってる。
『アクション映画だよ。刑事物の。
俺はね、なんと主人公のバディ役!俺も刑事なの。凄くね?』
「…えっ?うそーっ!!それって準主役ってこと?ほんとに?キャーどうしよう!!
ハリウッドデビューでさえ驚きなのに、準主役とか嬉しすぎて頭がパニック!
で、主人公は誰っ?有名な人?あ、監督は誰なんだろ?」
涙はとうに引っ込み、今は聞きたいことが泉のように湧いてくる。
あれも聞きたい、これも聞きたい。ドキドキワクワク。
だけど今はもう時間がない。
取りあえず大まかな話だけ聞いて、あとはいつもの時間に電話し直そう。
「ねぇ、監督は誰?誰?」
『監督は…。』
健人が、ほんの一瞬置いた間で、心臓がドクンドクンと強く打ち出す。
それは期待に高鳴る胸なら良かったが、本能が感じ取ってしまった恐怖感。
次に吐き出される言葉が脅威に思えた。
『監督は…ロジャーヒューテック。』
「……ロジャー?…ロジャーが監督…なの?」
名前を聞いた瞬間、胸騒ぎが当たったと身震いした。
いや、それどころか益々鼓動は速まり、胸騒ぎの震源地がそこではないことを知らせる。
ロジャーヒューテック。
今ハリウッドで最も勢いのある人気俳優。
だがそのビッグスターは…ローラの父親でもあった。
『…そう。ロジャーが初めて監督する作品。主演もロジャー。
俺は…その相棒役に抜擢されたんだ。』
雪見の反応を予測してたかのような、淡々とした声。
最初の弾んだ声はとうに消えてた。
本当は即座に「凄いじゃないの!」と喜ぶべき場面。
あんな大物俳優がメガホンを取る初監督作品に、星の数ほどもいたであろう
選考対象者の中から、日本人若手俳優 斉藤健人が準主役に選ばれたのだ。
これが正式に発表されたなら、日本のマスコミはビッグニュースとして
大々的に取り上げるだろう。
それほどまでに凄い話。
健人の未来を決めるかもしれない、夢に描いてたハリウッドデビュー。
しかし。
雪見には、降って湧いたような話が腑に落ちなかった。
発表会の舞台を観て声が掛かったなら納得できる。
きっと健人演じるロミオは世界を魅了するはずだから。
でも…。なぜ…。
日本での人気と実力を買われての大抜擢、と素直に喜べない自分を嫌悪する。
健人だって、手放しで喜ぶ私の声が聞きたかったろうに…。
だが、胸のざわつきの原因を突き止めねばならない。
意を決して恐る恐る口を開いた。
「共演者…は?あとは…誰が出るの?」
『ホンギもオーディションに合格したよ。あとは◯◯と◯◯と…ローラ。』
健人は何人もの名前を羅列したが、雪見の耳には入ってこなかった。
震源地を突き止め、足がすくんで動けない。
それを素早く察知したみずきが雪見の肩をギュッと抱いたので、辛うじて立ってはいられたが
再び襲ってきためまいは当分治まりそうもなかった。
そのあと自分は、なんと言って電話を切ったのだろう。
どんな顔して次の仕事をこなしたのか。
ただ、最後に健人が「大丈夫だから。」と言った声だけが今も耳に残る。
大丈夫だから…。
私もそう言ってあげれば良かった…。
それから一週間後の6月4日。
母の四十九日を迎え、弟の雅彦は有給を使って妻ひろ実と上京。
雪見もスケジュールの詰まった忙しい中、何とか二時間空けてもらって実家に駆け付け、
菩提寺の僧侶にお経を頂いて、簡素ながらも法要を執り行った。
何も知らない今野には、母の定期検診に付き添いたいから、と嘘をついて…。
「よぅ!姉貴、久しぶりっ!
随分売れて忙しそうだけど、よく時間作れたね。」
「当ったり前でしょ?49日に顔も出さないんじゃ、父さんに叱られるに決まってる。
どう?引っ越し準備は進んでる?ひろ実ちゃん、お腹の赤ちゃんは元気?
荷造りなんて、ぜーんぶ雅彦に任せて、ひろ実ちゃんは赤ちゃんのことだけ考えてね。」
「大丈夫ですって!(笑)それよりお姉さん、また痩せたんじゃ…。
ちゃんとご飯…食べてます?」
ひろ実がそう言うと、雅彦も心配げに目を向けた。
「…私?食べてる食べてる!最近忙しいとすぐ体重落ちちゃうの。
でも痩せ過ぎてモデル首になったら困るから、一生懸命食べてるよ。心配しないで。
それにね、あと十日もしたら、またNYへ行けるから♪
健人くんの発表会があるの。私が出るわけじゃないのに、もう今からドッキドキ(笑)」
姉が嬉しそうにしてるので、二人ともホッとする。
が、発表会ということは、それが終わったら健人は留学を終え帰国。
いよいよ、母が亡くなったという事実を話す時がやってくるのだ。
NYへ行けるからと、単純にウキウキしてる場合じゃない。
「なぁ、姉貴。健ちゃんにお袋のこと…どうやって切り出すつもりだ?
遺言通り、何とか発表会までは隠し通せそうだけど、その先が一番の難関だぞ。
帰国して、どのタイミングで伝えるか…。」
「あぁ、帰国…ね。えーっと…まだ当分帰って来れなくなっちゃった。」
「え?ええーっ!?二ヶ月半の留学じゃなかったの?
帰って来れなくなっちゃった、って…まさか犯罪でもっ!?」
「バッカじゃないのぉお!?誰が犯罪者よ?違うからっ!
向こうで映画の撮影があるのっ!
健人くん、ハリウッドデビューが決まったのっ!!」
「う、う、うっそぉぉぉおお!!!健ちゃんがハリウッドデビュー!??」
「あ!言っちゃった…。まだナイショね。マスコミ発表あるまで絶対口外禁止!
まだ帰って来られないの。
母さんはきっと、それなら言っちゃダメ!って思ってる…。
だから…引き続き協力お願いね。いや、お願いしますっ!」
それは必死にフルマラソンを走り、やっとテープが見えたー!と喜んだのも束の間、
ゴールテープをスススッと、まだまだ先へ移動させられたかのような虚脱感。
浅香家の重要機密事項は引き続き厳重に鍵を掛けられ、三人で死守することに。
嘘の延長戦突入に、写真の中の母は少し申し訳なさげな目をしてた。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.552 )
- 日時: 2014/07/07 20:36
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
四十九日と納骨が済んでから六日ほど。
実家から母の気配が完全に消え去り、雪見はその寂しさを紛らわすように
写真の仕事に没頭する日々が続いてた。
ちょうど陽が落ち、カーテンを閉めて明かりを付ける頃。
「ゆーきねっ♪また来ちゃった。」
ドーナツの箱を手にしたつぐみがスタジオのドアを開け、ヒョコッと顔を出した。
最近、しょっちゅう空き時間や帰り道に立ち寄っては他愛もないお喋りをし、スッと帰る。
雪見が他の仕事でスタジオに居ない時でも、何故か秋人と喋って帰るようだ。
「あ、お帰り!やった♪私の大好きなドーナツ。
ちょうどお腹が鳴ったとこだったの。ありがと!今、コーヒー入れるねっ。」
「あれっ?シュートさん…は?」
「秋人くん?あぁ、今日はもう一段落着いたから、さっき早上がりしてもらったの。
ここんとこ、ずーっと忙しくてお休みあげられないから。
…あ。もしかして…ガッカリしてる?」
なんとなくそんな気がして、ニヤニヤ顔を覗き込んだら、正直に赤面したつぐみが
必要以上に大きな声で反論した。
「なっ、なんでガッカリしなきゃなんないの?
ただ、シュートさんの好きなシナモンロール買って来たから聞いただけっ!」
「へぇ〜。秋人くんってシナモンロールが好きなんだー。
ぜーんぜん知らなかったなー。ねぇ、どんな流れでそんな話になったの?
もしかして…秋人くんみたいな人がタイプ?いいよいいよ、応援するよ♪」
「ちーがーうっ!!」
ぷくぅーと膨らませた頬が可愛くて、「ごめんごめん!」と笑いながら
両手で優しくほっぺを包んだ。
わかってるよ。私のこと、心配して来てくれてるんだよね?
少しでもリラックス出来るように、そばにいてくれるんだよね。
ありがとう。やっぱりあなたは健人くんの、そして私の可愛い妹です。
雪見はコーヒー片手にお喋りしながら、残りの仕事をサクサク片付けていく。
忙しさは相変わらずだが、つぐみがここに顔を出すようになってから、
精神的にも体調的にも元の自分を取り戻しつつある。
まぁ一番の原動力は、あと5日で愛する人の元へ飛んで行けるということに尽きるのだが。
早く会って、この前のことをちゃんと詫びたい。
ご馳走たくさん作って、ハリウッドデビューを心からお祝いしたい。
とっておきのワインを開けて、一緒にお風呂も…入っちゃう?キャッ☆
顔がニヤけそうになり、慌ててコーヒーカップで覆い隠す。
と、つぐみがドーナツを頬張りながら、急にドキリとすることを言った。
「ねーねー。お兄ちゃん、もうすぐ留学終わって帰ってくるんだよね?
そしたらこっちでも、結婚式するんでしょ?
まさか、婚姻届出しておしまい!とか言わないでよね。
私、結婚式に着ていくドレス、もう買っちゃったんだから。」
健人は、まだ家族には話してないらしい。
ハリウッドデビューが決まり、引き続き映画の撮影に入るということを。
だが、ドキリとしたのはそこじゃない。
『婚姻届』という言葉にだった。
寝室の引き出しに眠ったままの婚姻届。
本当はNYへ持っていき、二人だけの挙式で神父様に永遠の愛を誓い、
その場で署名捺印するはずだったのに、健人が結婚指輪と共に忘れて行った婚姻届。
そこには本人よりも先に証人二人の署名がしてあって、一人は健人の母、
そしてもう一人は…すでにこの世にいない雪見の母。
つまりその婚姻届は、提出前に証人死亡のため記載に不備があるとみなされ、
届け出ても受理されない、という事。
そんな恐ろしい事実を白状する日が少し遠のいたことを、心のどこかがホッとしている。
「うーん、健人くんねぇ…。残念ながら、まだ帰って来れないの。
だから…結婚式は未定だな。ゴメンねっ。」
「えーっ!嘘でしょ!?どうしてっ?どうして帰って来れないの?
お兄ちゃんとゆき姉…いつまで離ればなれでいるの…?
やっと…一緒になれると思ったのに…。」
えっ?と思った時には遅かった。
健人によく似た大きな瞳が潤んだかと思うと、瞳に比例した大粒の涙がポロリとこぼれた。
「…え?ちょっ、ちょっと!つぐみちゃん?
どーしたのっ?なんで泣くの。やだー!どーしちゃったのぉ?」
雪見はオロオロしながらつぐみを抱き締め、よしよしと頭を優しく撫でた。
いつも健人がしてくれるように。
「だって…。」
そう言ったきり、つぐみは口を閉じた。
わかってる。わかってるよ、ありがとう。
私達のこと、心配してくれてるんだよね?
大丈夫。離れてたって大丈夫だから…。
雪見は自分にもその言葉を言い聞かせた。
大丈夫、大丈夫…と。
「うーん、じゃあ…健人くんに直接聞いてみて。なんで帰って来れないのか。
あ、今ちょうど起きる頃だ。つぐみちゃんのモーニングコール、きっとビックリするよ。」
雪見がいきなり兄に電話し出したので、今度はつぐみが慌てた。
「ダメダメっ!お兄ちゃんの寝起き、最悪だもんっ。
電話なんかしたら、怒られるに決まってる!」
「大丈夫だよ(笑)じゃあ、最初は私が出てあげるから。」
実のところ、自分もドキドキしながら電話した。
あれ以来、やっぱりどこか気まずい。
健人の仕事相手に対して、あんな反応をしてしまったのだ。
呆れられても、がっかりされても仕方ないと思ってる。
だが健人は、いつもと変わらぬ優しい声をしてた。
「…あ、健人くん?おはよ。まだ…寝てた?もう起きる時間だよ。」
『……ゆき…姉?うーん…おはよ。あれ?仕事…じゃないの?』
「今日は一日中カメラマンの日。ずっとスタジオで仕事してるの。
で、久々にモーニングコールしてみた。
あ、ちょっと待ってね。今お客様が来てるんだよ。
健人くんが日本に帰ってくるのを楽しみにしてた人。
まだ帰ってこれないって言ったら凹んじゃって(笑)
だから帰国が延びた訳を、直接話してあげて欲しいんだ。」
「ちょっ、ゆき姉っ!凹んでなんかないからっ!」
兄には、どうしても素直になれないらしい。
きっと世界の斉藤健人になったとしても、それは変わらないのだろう。
『…誰?つぐみ?つぐみが来てんの?あいつ、ちゃんと勉強してんのかな。』
「大丈夫だよ。この前も、ここで難しそうな宿題やってたし。
ほんとは…まだ言っちゃダメなんだよね?
でも本当に凄いことだから…。家族にとって、こんな嬉しい知らせは無いと思うから…。
それと……。この前は…ごめんなさい。」
『…えっ?』
突然雪見に謝られ、健人は戸惑った。
自分の方こそ、いきなり報告したのを申し訳なく思ってたのに。
『俺も…謝ろうと思ってた。
こんな話が来てるってこと、ゆき姉にずっと黙ってたから…。
でも…これからも、こういう形でしか伝えられないと思うんだ。
どうか、わかって欲しい。』
きっと心苦しい日々が続いてたのだろう。
そんなこと、ちっとも謝る必要なんてないのに。
あなたを心から誇りに思うのに。
「ううん。健人くんが謝る理由なんてどこにもないよ。
仕事の出来る男は公私混同なんてしない。
この先も、私のことなんか気にしちゃダメだよ。
絶対凄い映画にしてね。楽しみにしてる。
健人くんが帰ってくるまで、私も仕事頑張るから。
もっともっと努力して、世界の斉藤健人に相応しい人になるから…。」
『うん。じゃあ俺も負けない。』
遙か一万一千㎞を飛び越え、魂だけはしっかりと抱き合った気がした。
あと5日で本当に抱き合える。
早く、早く会いたい…。
「ねぇ。世界の斉藤健人って…何のこと?」
「…え?」
すっかり忘れてた。
つぐみのために電話したことを。
兄から直接聞いた嬉しい知らせに、つぐみの絶叫がこだました。
さぁ、そろそろ帰って荷造りを始めよう。
発表会が無事成功するよう、母からもらったお守りをトランクに忍ばせて…。
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