コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
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- アイドルな彼氏に猫パンチ@
- 日時: 2011/02/07 15:34
- 名前: め〜にゃん (ID: AO7OXeJ5)
今どき 年下の彼氏なんて
珍しくもなんともないだろう。
なんせ世の中、右も左も
草食男子で溢れかえってる このご時世。
女の方がグイグイ腕を引っ張って
「ほら、私についておいで!」ぐらいの勢いがなくちゃ
彼氏のひとりも できやしない。
私も34のこの年まで
恋の一つや二つ、三つや四つはしてきたつもりだが
いつも年上男に惚れていた。
同い年や年下男なんて、コドモみたいで対象外。
なのに なのに。
浅香雪見 34才。
職業 フリーカメラマン。
生まれて初めて 年下の男と付き合う。
それも 何を血迷ったか、一回りも年下の男。
それだけでも十分に、私的には恥ずかしくて
デートもコソコソしたいのだが
それとは別に コソコソしなければならない理由がある。
彼氏、斎藤健人 22才。
職業 どういうわけか、今をときめくアイドル俳優!
なーんで、こんなめんどくさい恋愛 しちゃったんだろ?
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- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.522 )
- 日時: 2013/11/09 17:19
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
迎えに来た寝台車のストレッチャーに、夜勤の看護師2人と婦長、非番の田中が
母を「一、二の三っ!」でそっと乗せてくれる。
エレベーターを一階で降り、夜間玄関までの長い廊下を母と歩調を合わせみんなで歩いた。
乳癌を発病してから10年。その間ずっとお世話になったこの病院とも今日でお別れ。
もう、通うこともない…。
「本当に長い間お世話になりました。この病院で診てもらえて良かった。
私のせいで色々ご迷惑おかけして済みませんでした。
母の望み通りにして頂いて感謝してます。」
雪見は婦長を始め看護師一人一人に深々と頭を下げた。
田中がまた泣き出す。
きっと母の望みとは言え、容体の悪化を最後まで雪見に黙り通したことを後悔してるのだろう。
「もう泣かないで。これでいいの。これでいいのよ。ありがとねっ。」
少しでも田中の心を軽くしてやりたいと、雪見は笑顔を作って手を握りしめる。
どんなに心苦しかったことか。
いや、田中だけではない。婦長だって他の看護師だって、それでいいのかと悩んだはず。
そして一番は…ずっと口を開かない義妹ひろ実…。
なんて辛い思いをさせてしまったのだろう。
母さんは、なんて約束を嫁にさせてしまったのか…。
義母から最期のお願い、なんて言われたら、それを守らざるを得ないじゃないか。
頑固でわがままな母。
だけど…。
一番悪いのは…別世界に住む人と結婚してしまった私…なのかも知れない…。
何かに気付くように、そう思ってしまった。
今まで感じたこともない罪悪感が、その瞬間ジワジワと身体の端っこから湧き上がる。
自分が健人と結婚すると言うことは、この先も弟夫婦や親戚に、迷惑を
掛け続けることなのかも知れない…と。
「姉貴、車が待ってるよ。さぁ、母さんを連れて帰ろう。」
「う、うん…。」
雅彦の声が、暗たんたる闇の中から一旦救い上げてくれた。
取りあえずは家へ帰ろう。そしてじっくり話し合わねば…。
「じゃあ皆さん、お世話になりました。
落ち着いたら日を改めて、またご挨拶に伺います。
先生や他の看護師さんにもよろしくお伝え下さい。では失礼します。」
雅彦が下げた頭と一緒に雪見とひろ実も頭を下げる。
「雪見さん、頑張ってね。これからもずっと応援してるから。」
「婦長さん、ありがとうございます。はいっ!頑張ります!」
きっとその笑顔は、こんな別れの場面に似つかわしくはなかっただろう。
だが、この場を上手く完結させる手段として、そうするのがいいと思った。
自分の心を前へ転がしていくためにも…。
たとえ大切な人が亡くなっても、時間は止まってはくれないのだから。
整列し深く頭を垂れる4人の看護師に見送られ、母と雪見を乗せた車は
夜の暗がりにスッと紛れる。
もしこれが、人目につく日中の出来事だったらどうだろう。
入院患者や外来患者に目撃され、瞬く間に拡散されたかも知れない。
それをマスコミがすぐさま嗅ぎつけ、翌日のスポーツ紙にはこんな見出しが踊るはず。
『NY留学中の俳優・斉藤健人の義母死去』
まだ未入籍だから正確には『YUKIMI&』の母、なのだが、そう書くよりも
斉藤健人の名を出した方が百倍、いや一万倍売れる。
そのあと報道陣はNYのアカデミーに押し寄せ、義母の死に対してはもとより
結婚に関してやら何やらを質問攻めにし、健人は稽古どころじゃなくなる。
母の目にはそんな光景が浮かんだに違いない。
人様に、特に健人に迷惑かけることを最大限に嫌ってた母。
実の娘にさえもその死に際を漏らさず、健人の妻としてだけに全力を注ぐよう
身をもって私に伝えた母。
それはきっと、母さんの生き方の集大成でもあったんだね。
カメラ片手に世界中を飛び回ってた父さんを全力で支援し、見守り、愛し
笑顔で留守宅を守り続け、私達を育て上げた。
きっと私にも、そんな妻であれ!と教えたかったんだね…。
私も、母さんが父さんを愛したのに負けないほどの愛情を持ってるよ。
健人くんのためならどんな事でも出来る。
だから…ごめんね。
寂しいお別れになっちゃうけど許してね。
母さんの言う通りにさせてもらいます…。
「さぁ、母さん、家に着いたぞ。久しぶりの我が家だよ。
あ、そうか…。なんか寂しいと思ったら猫の出迎えがないんだな。」
「あ!みんな猫かふぇに預けてあるんだった…。
ねぇ…今日って何曜日?日曜の真夜中?
今ならまだ支配人が残ってるかも…。ちょっと行ってくるっ!
二人とも、母さんをお願いねっ!」
「お、おいっ姉貴っ!どこ行くんだよっ!まだ母さんを寝かせてもいないのに!」
雪見は転がるように玄関を飛び出して行ったかと思うとすぐさまタクシーを拾い
「南青山までお願いしますっ!」と、その場所を告げた。
「あーお願い!支配人さん、電話に出てー!帰っちゃわないでー!
………あ!もしもしっ!秘密の猫かふぇですかっ!?雪見です!」
日曜日のクローズは24時。
閉店から1時間半ほど経過してたが、日曜の閉店後は従業員のミーティングや
残務整理があると、以前みずきに聞いたことがある。
『秘密の猫かふぇ』入り口まで行くと、黒服を着た支配人が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、雪見さま。」
NYのマーティンを日本人にしたような、穏やかな笑みをたたえた支配人は
こんな時間の来店をとがめるわけでもなく、理由を聞くわけでもなく、
黙って雪見を店内に招き入れた。
「こんな時間にごめんなさいっ!
あの…うちで預けた猫を連れて帰りたいんです。わがまま言ってすみませんっ!
それと…。少しだけオーナー室をお借りしちゃ、ダメ…ですか?」
「えっ…?オーナー室…ですか。
…わかりました。いいでしょう。このカードキーをどうぞ。
ただし、猫ちゃん達を集めてバッグに入れておきますので、あまり長居はされませんよう。」
「ありがとうございますっ!じゃあ行ってきます!」
雪見はキーを受け取ると、猛ダッシュで長いトンネルと幾つもの部屋を駆け抜け、
脇目もふらずにオーナー室までたどり着く。
「ハァハァハァ…。(カチャッ)失礼しまーす…。」
何も変わらぬその部屋に入りドアを閉めた途端、雪見はプチンと何かが音を立てて切れ、
ベッドに腰を下ろしてポロポロと泣き出した。
部屋の温もり、匂い、気配から、在りし日の宇都宮勇治を感じる。
霊感なんて一つも持ち合わせてないが、宇都宮の方から寄り添ってくれてる気がした。
その時だった。カチャッ…。「ゆき姉…。お帰りなさい。」
「みずきっ!どうしてここへ?今、パリに行ってるはずじゃ…。」
「私も今日帰って来たの。寝ようと思ったら、ゆき姉が泣いてる姿が見えて…。
ここに来る気がしたから支配人に電話しといた。
お母さん…残念だったね…。ゆき姉も辛かったね…。」
「みず…き…。」
すべてお見通しのみずきに肩を抱き寄せられると、偶然心の出口を見つけた安堵感に
声を上げて泣きじゃくった。
まるで、迷子になった心が母の魂に出会ったかのように…。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.523 )
- 日時: 2013/11/12 20:33
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
「大丈夫?少し…落ち着いた?コーヒーでも飲もっか。」
「うん…。」
ひとしきりみずきの胸で泣いた雪見が「はぁぁ…。ごめんね。」と顔を上げたので、
みずきはニッコリ微笑んでティッシュの箱を差し出し、腰掛けてたベッドを立ち上がる。
そして棚の上から亡き父が愛用してたコーヒーミルを取り出すと、慣れた手つきで
ガリガリと豆を挽き出した。
「いい匂い。」
「そうでしょ?この豆は、お父さんが自分の好みに合わせて焙煎してもらった
宇都宮勇治オリジナルなの。
大好きなコーヒーにだけは、めっちゃうるさい人でね。
豆の挽き方やコーヒーの落とし方は、私、喫茶店をやらされるんじゃないかしら?
と思うほど、厳しく伝授されたわ(笑)」
そう笑いながらみずきは、大事に手入れされた年季の入ったサイフォンで
コーヒーをコポコポと落とし始める。
すると狭い部屋は瞬く間に幸せな香りで満たされ、雪見の顔にも柔らかな笑みがこぼれた。
「お父さんはね、この部屋にいる時は一日に何度も、このサイフォンで
コーヒーをいれてたわ。
手間が掛かると思って、私がコーヒーメーカーを買ってあげたんだけど、
手間を惜しんでちゃ旨いコーヒーは飲めないよ、って箱から出しもしなかった(笑)
理科の実験みたいで楽しいだろ?って、コーヒーいれてくれる時はいつもご機嫌で。」
「ほんとだ。実験そのもの。」
「あ、ゆき姉は科学を専攻してたんだっけ(笑)
そう言えば…この前のホワイトハウスでのインタビュー、見たよ。
ゆき姉、他のどの女優さんよりも綺麗だった!」
「そんなわけないじゃん(笑)でもありがと。」
みずきは科学という言葉から、科学者である学を思い出したらしい。
何もかも見えてしまうみずきには、隠し事しようにも出来るはずないが、
かと言って自分からあれこれ話すほどの話でもなく…。
「元カレ…ロジャーの娘から言い寄られたことがあるのね。」
「えっ?うそっ!?」
みずきから手渡されたコーヒーカップを、危うく落としそうになった。
NYのローラのことまで見えてるなんて!
て言うか、ローラが学を好きだったことがあるなんて!
「ゴメンっ!こんな時にする話じゃなかったね。ほんと私ったら!
あ、牛乳が無いからミルク2個入れて。
でも…どういう訳かロジャーの娘が強く頭に浮かんできて…。なんでだろ?」
「ねぇ!みずきはローラを知ってるの?」
「知ってるってほどじゃないけど…ロジャーとはハリウッドで何回も仕事したから。
彼が娘を凄く可愛がってて、よく現場に連れて来てたのは知ってる。
……えっ?あ…!ゆき姉と健人って…もしかしてロジャーと同じマンションに住んでた?
だからだ…。」
「えっ?だから…って?」
この際、ローラが学を好きだったなんて話はどうでもいい。
今一番知りたいのは、NYに残してきた健人がどうしてるかってこと。
ローラが…近づいてないか、ってこと…。
はぁぁ…。でもダメだ。私ってば、なに考えてんだろ…。
母さんが死んだ夜だって言うのに、頭に浮かぶのは母さんじゃなくて健人くんだなんて…。
あまりにも薄情すぎる自分に嫌気がさし溜め息が出た。
が、なぜか母の事は、ひとしきり泣いたことで自分の中でケリが付いた気がした。
いつまでも泣いてたところで母が生き返るわけでもないし、母はそんなこと
望んでもいない、と知ってるから。
こんなサバサバ感はやっぱり親子なんだと、フッと可笑しくなる。
それよりも、みずきの「だからだ…。」の続きを早く聞きたかった。
何を言い出すのか怖いに決まってるが、聞かないわけにはいかない。
それに彼女なら私のすべてを見抜き、的確な助言をくれるはず。
目を閉じ透視してるらしいみずきが口を開くのを、ドキドキしながら息をつめて待つ。
「……健人…。ローラと舞台をやるのね。」
「うん、そうなのっ!一ヶ月後にアカデミーの発表会でロミジュリをやるの!
凄いでしょ?留学早々、健人くんがロミオに抜擢されたのよ!
あ、ゴメン。ね、他には何が見えるの?健人くん、今どうしてるかわかる?」
「……ちょうど…どこかへ移動するとこ…かな?
みんなと一緒に…廊下みたいなところを歩いてるわ。
…あ、この子ね、ローラって…。ふーん…。
……ゆき姉。お母さんのことが済んだら、早く戻った方がいいよ。
前に住職に言われなかった?何があっても健人の手助けをしなさいって。」
「えっ?そう言えば…言われた。
たとえ何があろうとも、彼を支えていかなきゃダメだって…。
それが彼の成功に繋がるっていうようなこと、確かに言われたわ。」
「それって…ゆき姉のお母さんも、似たようなこと言ってなかった?」
「言ってた…。全力で尽くしなさい、って…。」
雪見は急にまた溢れてきた涙を拭きながら、バッグの中から母の手紙を取り出し
みずきに読んでくれるよう差し出した。
「……そう。お母さんは、健人に対してのゆき姉の役割をちゃんと知ってるわ。
…あの子が…健人くんの安らぎと勇気と力になってるのなら、こんなに嬉しいことはない
って言ってる…。」
「う…そ。母さんがいるのっ!?この部屋…に?」
「いるよ。あぁ、ゆき姉があんまり帰ってこないから、心配して探しに来たみたい。
『鉄砲玉みたいな子で困ってるんですよ。』って笑ってる(笑)
……ねぇ。お母さんとお話がしたい?」
「えっ?できるの?そんなこと。」
「………いいよ。私と手を繋いで。」
みずきは雪見に右手を差し出し静かに目を閉じて、何やら瞑想を始めた。
そして驚いたことに、次に発した口調は明らかにみずきのものではなかったのだ。
「雪見。あなた健人くんに、着いたよって電話したの?
母さんは心配なかったから用事を済ませたらすぐ帰る、って言ってあげなさい。」
「か…あさん…?母さん…なの?」
すぐにわかった。
そこにいるのは、みずきの身体を借りた母だと言うことを。
繋いだ手の温もりが母の温もりに思えて、涙が次から次へと溢れて落ちる。
「私…どうすれば…いい?」
「あなたの中で、答えはいつも出てるでしょ?
その通りにすればいいのよ。母さんはどこからでも全力であなたを応援するわ。
さぁ、健人くんに電話なさい。今なら大丈夫。」
「え…っ。今…?」
そう言ってみずきを見ると、母であるみずきはニコッと微笑んだ。
時計を見ると深夜2時半。
ニューヨーク時間は日本より13時間前の午後1時半だ。
もう午後の稽古が始まってるはず…。
でも…。
母の言葉を信じて、恐る恐る健人に電話をしてみた。
3回コールして出なかったら切ろう。稽古の邪魔はしたくない。
1回…。2回…。3…
「もしもし、ゆき姉っ!?お母さんになんかあったのっ!?」
「健人く…ん。ごめんね…。稽古の最中じゃ…なかった?」
泣いちゃダメ。泣いちゃダメっ!
だけど健人の声を聞いた途端、涙が溢れた。
「どうしたの?ゆき姉、泣いてるの?今そっち、真夜中だよね?
今どこ?病院?お母さん…は?」
健人くんが心配してる…。
その時だった。
みずきが怖い顔をしてこっちを睨んだ。
その睨み方をよく見たことがある。母さんだ。母さんが怒ってる!
「…ううん。母さんなら…大丈夫だよ。
ぐっすり眠ってた。病院に着いたの、夜中の12時だったから…。
今ね…『秘密の猫かふぇ』に来てるの。母さんちの猫を引き取りに。
弟が…。雅彦が母さん元気になるまでお世話してくれるって言うから。」
「そう。なら良かった。お母さんに何も無かったんなら安心した。」
健人は心底ホッとした声だった。
ごめんね…。
私…あなたの嫌いな嘘をついてる…。
また泣きそうになったが、今度は奥歯をギュッと噛みしめ我慢した。
愛する人を思ってつく嘘は、大概その先にあるものを見失ってつく嘘。
その嘘が、未来にどんな結果を招くとも考えずに…。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.524 )
- 日時: 2013/11/19 07:31
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
「健人くん…安心してくれた。でも…最初凄く心配そうな声出して…。
あんなに心配してくれてるのに…私…嘘ついた……。」
言ったそばから後悔してた。
いくら母の最期の頼みとはいえ、健人を思ってのこととはいえ、取り返しのつかない
大嘘をついてしまった…。
後から聞かされた健人はきっとこう言うだろう。
ついて良い嘘と悪い嘘があるよね…と。
「いいのよ、これで。健人くんが稽古に集中できればそれでいいの。
母さんのことなんかで邪魔したくない。
話す時が来たら、母さんの手紙を見せなさい。雪見は何も悪くないから。
あなたも早く用事を済ませて、健人くんの元へお帰り。
あ、その前に…ちゃんと武器を手に入れてから、ね。」
「えっ…?」
「あなたたち夫婦が世界で活躍する日を、父さんと一緒に楽しみにしてるわ。
身体に気をつけて頑張りなさい…。」
優しく微笑んだみずきがスッと繋いだ右手を離す。
別れ際の握手のように、最後にギュッと力を込めてから…。
「母…さん?母さんっ!行かないで!まだいっぱい話したいことがあるの!
母さんっ!!…私を…一人にしないで……。」
みずきの右手にすがって泣きながら、これが本当の別れなのだと実感した。
愛する父さんも母さんも、もうこの世にはいない…。
いくら泣いても、母は二度とそこへは戻って来てはくれなかった。
みずきが一緒に涙しながら撫でてくれてる背中が、温かくて母のぬくもりのようで。
ありがとう…。もう少しだけ…泣かせてね。
「お母さん…ゆき姉が帰って来るまで頑張れなかったのを、申し訳なく思ってたよ。
でも『健人くんに電話してくれたから安心した。』って…。」
みずきは雪見の背中をトントンしながら、穏やかな声で言って聞かす。
「母親の愛情ってさ、なかなか複雑で…。
自分が子供でいるうちは、理解しがたい事もあるよね。
私もずーっと、わからないことだらけだったなー。
赤ちゃんの時から我が子同然に、今の母さんに育ててもらったのに、
私ったら『血が繋がってないからわからないわよ!』なんて、酷いことも言ったりして…。
でもこれからは子を思う母さんの気持ち…やっと少しはわかってあげられるかな。」
「……えっ?」
ハッと泣き止み顔を上げると、みずきが濡れたままの頬をうっすら染めて
ニッコリと微笑んだ。
「えへへ。私ね…お母さんになるの。」
「うそっ!ホントにっ?赤ちゃんが出来たの!?
みずきがお母さん?当麻くんがお父さんになるなんて!
やったー!おめでとう、みずき!おめでとう!!嬉しい!嬉しい…。」
雪見はみずきに抱きついて、またもや泣いた。
自分のことのように嬉しくて、母への悲しみが一瞬で吹き飛んだ。
「ありがとう。もぅ、やだな。なんでゆき姉がそんなに泣くのよ(笑)
ほらほら、泣きやんで。そろそろ帰らないと弟さんたち心配してるよ。
あ、このことはまだ公表しないからナイショにしといてね。
健人には…きっと当麻が黙ってられなくて電話しちゃうだろうけど(笑)」
「うん、わかった。私の母さんのことも…ね。」
「わかってるよ。当麻にも言わないから。お互い秘密を握り合おう(笑)
隠し通すの辛いだろうけど…きっと健人もわかってくれるよ。だから頑張って。」
「ありがとう…。みんなを騙すのは心が痛むけど…母さんとの最後の約束、
こうなったら守り通してみせるよ。」
「その意気!お母さんが安心していられるよう、そうしてあげて。
あ、それから…。ローラになんか負けちゃダメよ。
手に入れられるアイテムは全部持ってた方がいい。わかった?」
「あ…!う、うん…。」
みずきはやっぱり何でもお見通しだ。
誰にも相談できない事も、みずきにだけは隠さず話せる。
それを知ってるだけで、なんて心が落ち着くのだろう。
でも…。
私は健人くんの安らぎに…なれてるだろうか…。
「すっかり遅くなってごめんなさい!
この子たちが本当にお世話になりました。ありがとうございます。
私、必ず恩返しさせてもらいます。大好きなこのお店のためにも…。」
店入り口の受付カウンター前で、五つのキャリーバックに入れた猫と共に
待っててくれた支配人は、泣きはらした目の雪見とみずきを見てもそれには触れず、
穏やかに微笑んだ。
「いいえ、雪見さまが撮して下さったパネル写真のお陰で、随分と猫たちが
新しい飼い主様の元へ嫁がれました。
無料の写真集も大変評判が良く、大口の寄付をして下さるお客様も大勢いらっしゃいます。
こちらこそ、窮地を救って下さった雪見さまに心より感謝申し上げます。」
深々と頭を下げた支配人に恐縮した雪見だったが、自分が少しでも店の役に立てたのなら
こんなに嬉しいことはないと、笑みがこぼれた。
「良かった…。元気が出ました。ありがとうございます。
今度はもっと時間をかけて写真を撮らせて下さい。
私に出来るのは、そんなことぐらいしかないけど…。」
「ゆき姉は次に会う時、今よりもっと有名なカメラマンになってるわ。
そしたらきっと今以上にお客様がいらっしゃって、お店も賑わいを取り戻すはず。
…って、えっと私の予想よ、予想!
ゆき姉ならきっとやってくれるだろうって言う、期待を込めてね。あはは!」
みずきの不思議な能力を何も知らない支配人が『え?』という顔をしたので
大慌てで取り繕ったみずき。
それが可笑しくて雪見がクスクス笑ったら、みずきも嬉しそうにニッコリ笑った。
「もう大丈夫ね。元通りのゆき姉になった。
私、しばらくはこの店にいるから、またいつでもお喋りしに来て。
お仕事…頑張ってね。」
「うん…ありがと。当麻くんにもよろしくね。健人くんも頑張ってるよって伝えて。
じゃ、また。」
雪見は、タクシーまで猫を台車で運んでくれた支配人に礼を言い、タクシーに乗り込んだ。
さぁ、母さんが待ってるお家に帰ろ。
「こんな時間まで、どこ行ってたんだよ!」
午前三時。案の定、雅彦に叱られた。
ひろ実も疲れ切った顔で玄関先まで出迎える。
「ごめんね!母さんは帰ってる?」
5匹の猫を放してやりながら思わず口走った言葉に、雅彦が「はぁ?」と小首を傾げた。
「あ…いや…母さんを寝かせてくれてありがとう。
ひろ実ちゃんも疲れたでしょ?このまま私がお線香の番してるから、もう二人は寝て。」
「姉貴…。本当に誰にも知らさないで母さんを葬るのか?それでいいのか?」
「母さんの火葬は明日のお昼だっけ…。
私…今日札幌に飛んで、おじいちゃんとおばあちゃんを連れてくる!」
突然の思いつきだったが、そうしないと一生後悔する気がした。
もう高齢で出歩くこともままならない祖父母だったが、私が迎えに行けば
きっと一緒に来てくれるはず。
だが…。
「おじいちゃんとおばあちゃんは…来ないと思います。」
「えっ?」
ずっと口をつぐんだままだったひろ実がやっと口をきいた。
「お義母さん…札幌にも手紙を書いてました。
自分の状況と、葬儀は上げないから来なくていいという事を…。
そして、おじいちゃんから届いた返事が…これです。」
ひろ実は一枚の葉書を差し出した。
そこに書かれた薄墨の文字に、涙がポタポタ落ちて滲んでしまう。
おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんね…。
娘でいてくれてありがとう。
どうせすぐにあの世で会えるよ。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.525 )
- 日時: 2013/11/22 19:49
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
母のそばで夜を明かした早朝。
母も大好きだったコーヒーを丁寧に落として枕元に供え、線香をあげてから
札幌の祖父母宅へ緊張しつつ電話を入れた。
受話器を取った祖父は、その声が雪見だとわかると即座に全てを察し、
迎えに行くから母を見送ってやってくれ、との再三の説得にも頑として答えを曲げず
「いいんだよ、これで。」と繰り返した。
「逆縁の時はね、親は火葬場へ行かないもんなんだ。
それにお前の母さんは、小さい頃から言い出したら聞かない子でね。
お前もそれは、よーく知ってるだろ?約束破ったら叱られちゃうよ。」
逆縁…。寿命の順序に逆らって、親よりも先に子が死ぬこと。
親として、こんなに辛く悲しいことはないだろう。
だけど祖父は電話の向こうで、静かに穏やかに笑ってる。
心がそこにたどり着くまでに、どれほどの涙を流したのか。
想像するだけで胸が苦しくなり涙が…涙が止まらない。
「泣くのはおよし。誰も悪くはないんだ。
ただあの子の…お前の母さんの寿命が、ここまでと決まってただけなんだよ…。
こっちこそ済まないね。
娘の最後のわがままで迷惑かけるかもしれんが、どうかよろしく頼んだよ。」
祖父は、最初から最後までずっと穏やかだった。
母のことを「娘」と呼び、父親として娘の最後の願いを全うしてやりたい。
今はただそれだけ…という気がした。
だが…。
声一つ聞こえなかった祖母はきっと…隣の部屋で泣いてたことだろう…。
ごめんね、おじいちゃん、おばあちゃん…。
母さんは私と雅彦夫婦でちゃんと見送るから…。
明日のお昼、空に登った母さんを札幌から見上げてやってね…。
翌日は、母を見送るに相応しい快晴。
雲一つ無い空は、きっと神様が母のために障害物を置かず、真っ直ぐ
グングン登って行けるよう配慮してくれたからだと思った。
こんな日は母さん、お布団と洗濯物をいっぱい干してから仕事へ行ってたなぁ…。
喪服を着て玄関を出、眩しい空を見上げてそう思い出す。
だがいつまでも感慨にふけってる場合ではない。これからが大事なミッション。
誰かに見つからぬうちに、早く車に乗り込もう。
人目につかぬよう配慮してくれた移送サービス会社によって、無事自宅を出た車は
母との最後のドライブに、郊外目指して走り出す。
父さんの時と同じ景色を眺めながら…。
到着した火葬場は、まるでそこがアウトレットモールかのような人出。
人って毎日、こんなに大勢亡くなるんだ…。
着いた瞬間思ったのはそんなこと。
悲しんでるのは自分だけじゃないんだと思うと、ほんのちょっぴり心が軽くなった。
足早に母との別れの部屋に入る。
これで本当に本当にお別れ。
たった身内3人と係員だけに見守られ、母は厚い扉の向こうにスーッと押し出された。
さようなら…母さん…。
またいつか 未来で会おうね…。
泣き腫らした目を隠すためのサングラスと「変装用にひとつ持ってた方がいいよ。」
とヘアメイクの進藤が以前くれたショートヘアのウィッグのお陰で、騒がれることなく
静かに静かに母との約束を果たすことが出来た。
一番重要な任務を終え、肩の力が抜けて急に睡魔に襲われた雪見は雅彦に車の鍵を借り、
母の支度が整うまで車内で仮眠することに。
すぐに深い眠りに落ち、しばらくすると夢を見た。
そこはニューヨークのアパート。
健人がランニングから汗をかいて戻るとキッチンには…私じゃない誰かがいる。
…ローラだ。
彼女はまるで自分の家のように、自然に冷蔵庫から水を取り出し健人に差し出す。
それを健人は「サンキュ♪」と言って受け取り、喉仏を大きく動かしながら
ゴクゴクと飲み干した。
「ケントの喉ってセクシーよね。この瞳も、このホクロも、この唇も…。」
ローラが白く細い人差し指で、ひとつずつなぞって行く。
指先が唇の輪郭を描いて止まると…あろう事か健人はローラを引き寄せキスをした…。
コンコン!
「姉貴!準備出来たって!」「…えっ?あ…今行く。」
車の窓をノックする音でハッと目覚めた。
その夢の続きを覚えていない。
これだけで終わる夢ではなかったのだが、なぜか記憶から抹消されていた。
自分の中の防御装置が作動して、辛うじて破壊されることを防いだのだろう。
夢とは、自分の潜在意識や記憶が見せるもの。
母が死んだというのに、心はすでにニューヨークへ飛んでいた。
骨を拾いながら、もう涙は出てこない。
それが母である実感もなく、母はまだ元気で家に居るような気がしてた。
「父さんが死んだ時…母さん私達に『父さんはまだ外国で写真撮ってるのよ、きっと。』
って言ったの覚えてる?」
「あぁ、覚えてるよ。子供心に、母さんがそう言うんだからそうなんだ
って、悲しいとはあんまり思わなかったな。」
「そうだね、悲しくなかった。今までと何も変わらないや、って…。
母さんもきっと…仕事か買い物にでも行ってるんだよ。
ねっ、そうだよね、母さん…。」
白い欠片を一つ残らず取ってやろうと思ったが、3人で拾い切るには時間がかかり
最後は急かすように係員が手早く骨壺に納めて、母は白い風呂敷に包まれた。
「さぁ、帰ろう。猫たちが家で母さんの帰りを待ってるよ。」
係員に改めて礼を言い、3人は細心の注意を払って雅彦の車に乗り込んだ。
午後3時。ニューヨークは夜中の2時か…。
健人くん、稽古で疲れ切って爆睡してるだろうな…。
そう思った時だった。黒いバッグの中でケータイが振動し出した。
えっ?健人くんからだ!
膝の上に乗せた四角い箱が、車の揺れでカタンと音を立てる。
母に「余計なこと話すんじゃないよ!」と先に釘をさされた気がしてドキッとした。
「もしもし…健人くん?まだ起きてたの?」
「うん。なんか眠れなくて…。ゆき姉の声が聞きたくなった。」
甘えた声を出す健人に胸がキュンと鳴る。
「私は元気だよ。健人くんこそ、お稽古が大変でしょ?
疲れてるだろうし明日も早いんだから、もう寝ないと。」
母の事などおくびにも出さず、健人の気持ちが落ち着くように穏やかに言って聞かせた。
「ゆき姉が隣りにいないと眠れない。」
「そんなわがまま言わないの。ホンギくんは?」
「あいつはバイトから帰ってすぐに寝た。酒に付き合ってもらおうと思ったのにさ。
あーあ。ゆき姉だったら、いつでも一緒に飲んでくれるのになー。」
まるで子供のわがままみたいで、可愛くて可愛くて仕方ない。
出来ることなら今すぐ瞬間移動して、ギュッと抱き締めてあげたいよ。
「ねぇ、いい子だから今日はもう寝て。
明日は何時起き?朝、電話で起こしてあげるから。」
「ほんと?起こしてくれるの?やった!じゃあ6時半に起こして。」
「了解!6時半ね。じゃあ、おやすみ。いい夢見てね。」
「ゆき姉の夢見るよ。ゆき姉も俺の夢見てね。じゃ、おやすみ。」
さっきも健人くんの夢見たよ…とは言えなかった。
どんな夢?と聞くに決まってるから。
でも安心した。私のこと、ちゃんと好きでいてくれてる…。
つい、顔がにやけてしまったのを、ルームミラーで雅彦に目撃されたらしい。
助手席のひろ実と二人で、何やらクスクス笑ってる。
「ねぇねぇ。健ちゃんって、いっつもそんなに甘えてくるの?
前はクールキャラじゃなかったっけ?あのイケメン俳優斉藤健人なのに。」
「えっ?」
前の座席の二人はもう我慢が出来ず、お腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。
ひろ実の笑い声を聞いたのは、いつ以来だろう。
やっと母の呪縛から解け、元通りの明るいひろ実に戻った気がした。
良かった…。いいんだよ、ひろ実ちゃん。それで…。
今まで母さんのことで悩ませてごめんね。
「こっちは俺たちがちゃんと守るから、姉貴は早く健ちゃんとこ帰ってやれよ。」
「そうよ、早く帰ってあげて。
私達…神戸のマンション売って、お母さんちに引っ越すことに決めたから。」
「うそ…。本気で言ってるの?」
「本気だよ。異動願いも受理されてる。
ひろ実とずっと話し合ってたんだ。こうするのが一番だって。
あの家は父さんと母さんの思い出が詰まった家だから、手放すわけにはいかないよ。
それに、せっかく猫たちが我が家に戻ったのに、またどっかにもらわれて行くんじゃ
可哀想だろ?」
「いい…の?それで…。ひろ実ちゃんも…?」
「あぁ、いいんだ。家族が増えるんだから、一軒家がいい。」
「え…っ?うそ…赤ちゃんが出来たの!?あんたたちもっ!?」
嬉し泣きにポロポロ泣いてたら、「あんたたちも?って他にも誰かいるの?」
と聞かれて焦った。
みずきと当麻くんのことは、まだトップシークレット。
でも、おめでとう!
母さんと父さん、きっと手を取り合って喜んでるね。
- Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.527 )
- 日時: 2013/11/29 14:39
- 名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)
木箱に入った母を自宅に連れ帰り、夕方から三人プラス五匹の猫たちで弔いの宴を開いた。
雅彦夫婦が買い出しに出かけ、母の好きだった鍋の材料を買い込んで来たので
雪見とひろ実が手際よく準備し、みんなで席に着く。
「食べよっか。今夜は母さんのお通夜だよ。
おじいちゃんの故郷の道南の街じゃ、遺骨にしてからお葬式を上げるんだって。」
「えっ?そんな風習の土地もあるんだ。
じゃあ、お義母さんのお通夜が今日でもいいんだね。良かった…。」
ひろ実はホッとした顔をした。
普通の手順を踏まない義母の葬送に、少しでも理由付けが欲しいのだろう。
ごめんね。心苦しい思いさせるよね…。
「あ、でも…今日は母さんのお通夜って言うより、二人のお祝いだな。
きっと母さんなら『私のお通夜なんかより、ひろ実ちゃんと雅彦をお祝いしてやって。』
って言うに決まってる。
今頃父さんと母さんも、天国で初孫に乾杯してるよ。
そーだ、二人にワインを供えてあげよう。」
居間続きの和室の仏壇に、取り分けた寄せ鍋と冷えた白ワインを二人分供える。
線香を上げ手を合わせてから立ち上がると、傍らのタンスの上に目が行った。
母が一度も見ることのなかった雪見、健人、母の三人で写した写真だ。
母が最初で最後、見に来た『YUKIMI&』のライブ。
その楽屋で、元高校写真部だった当麻に撮してもらった記念写真。
アングルも表情も良く、プロとして当麻を大いに褒めたベストショットだったが
母はこの写真を一度も目にすることなく逝ってしまった。
退院して家に戻った時に喜ばせようと思ったのにな。
そんなサプライズしないで、早く病院に持って行けば良かった…。
この母さん、めちゃめちゃ可愛い顔して笑ってる。
健人くんのこと、自慢の息子が出来た♪って、飛び切りの笑顔で…。
後悔と共に涙が滲んだ。
考えれば考えるほど後悔なんていくらでも思いついて、思い出せば思い出すほど
母に会いたくなった。
会って後悔を一つ残らず解消したい…。
そう思った時だった。
以前母に言われた言葉がポッと頭に蘇った。
『後悔の多い人生に実りは少ないよ。
だって振り向いて立ち止まってばかりいたら、人生なんてあっという間に過ぎて行くもの。
終わってしまったことをクヨクヨ考えて、何の得があるの?
それよりも、後悔を振り切って進み続けなさい。
同じ場所で足踏みしてるより、ずっと色んなものを手に入れられるから…。』
大学を出て、取りあえず入った会社で悩んでた時に母が言った言葉…。
この言葉に背中を押され、私はカメラマンへの道に人生の進路を変えた。
そう…後悔なんて何の役にも立たない。
だから前に進まなきゃ…。
飲んで食べて笑って、弟夫婦を祝福しつつ母の思い出話をするという、おかしな通夜。
だがきっと母は、これで満足してくれた事だろう。
私達三人も腹を割って語り合い、やっとスッキリ心が収まった。
最後に納骨の事や猫の世話など今後のことも確認し合って夜7時、宴はお開きに。
「ひろ実ちゃんも雅彦も疲れたでしょ?
今夜は二人でのんびりしなさい。私はマンションに戻るから。
明日の朝、また来るよ。そしたら二人は神戸に帰っていいからね。」
洗った茶碗を片付けながら雪見が言うと、雅彦はすんなりそれに同意した。
「うん。じゃあ、そうさせてもらう。さすがにこれ以上は休めないや。
引っ越しの準備もしなきゃならないし、会社も引き継ぎ業務があるから。
姉貴の方こそ、用事が済んだらとっとと健ちゃんとこ戻れよ。
母さんが自分で望んだことだ。この家に一人ぼっちにされたって文句は言わないさ(笑)」
「そうだね。きっと私がいつまでもここに居たら、母さんが追い出しに来るかもね(笑)
あ、私がニューヨークに戻った後の猫の世話は、忘れずに友達に頼んでおくから。
いつも私が撮影旅行中に猫を頼んでる親友だから、合い鍵渡すけど心配しないで。
口が堅い人だし、私の良き理解者なの。
…って今何時?7時半?やばっ!向こうは朝6時半だ!健人くんを起こす時間!
悪いっ!じゃあ帰るね。あとはよろしくっ!」
バタバタと玄関を出て行った姉を、弟は「相変わらずだなぁ。」と笑って見送った。
だが、本当に大変なのはこの先だよな…と、姉の平安を祈らずにはいられない。
健ちゃん…。頼むから姉貴の嘘を許してやってくれよ…。
雪見はタクシーを拾って乗り込みながら、急いで健人に電話した。が…。
「あれぇ?お話中だ。珍しいな、こんな朝っぱらから。誰と話してるんだろ…。
まぁ、寝坊しないで起きてるんだから、いいんだけど…。」
って、まさか…ローラ?
「あのぅ、お客さん、どちらまで?」
運転手の声も耳に入らぬほど動悸がしてきた。
健人を信じてる。だけど…。
あーヤダヤダヤダ!
健人くんを疑うのも嫌だし、そんなこと思う自分もイヤっ!
健人くんが悪いんじゃない。自信が持てない自分が悪い。
何者にも心を乱されない、揺るぎない自信を手に入れなくちゃ…。
自分の中で答えが定まった。
そうと決まれば早く事務所へ行って伝えたい。
小野寺常務は出張中だけど、今野さんは今の時間、まだ事務所にいるだろう。
「すみません、桜丘町までお願いします!」
と、その時、健人からの電話が鳴った。
「もしもし、ゆき姉っ?ヤバイよ!ビッグニュース、ビッグニュース!
なんと、みずきに赤ちゃん出来たって!当麻が親父になるんだってぇー!!」
いきなり耳に飛び込んできた健人のハイテンションな声に、一瞬言葉が詰まる。
安堵と同時に可笑しさがこみ上げ、思わずクスクスと笑ってしまった。
「ちょっ!なーに笑ってんだよっ!」
「ごめんごめん!健人くんが予想外にテンション高かったから(笑)
あ、おはよ!当麻くんが起こしてくれたのね。良かった♪」
「良かった♪って…それだけっ?何その薄いリアクション。
ふつーはもっと大騒ぎする場面でしょ?
あ、もしかして…もう知ってたのかよっ!みずきから聞いてたんだー!
なんで俺には教えてくんないのさ!
怖いわぁ!他にも聞かされてないことがありそうで(笑)」
心臓が止まるかと思った。
笑ってるから気付いてる訳ではないとわかっていても、血の気が引いた。
だが動揺してる場合ではない。雪見、落ち着けっ!
「あ、ごめーん!だってみずきが、健人には当麻が電話すると思うから
って言うから、先に言っちゃ悪いと思って。
ほら、私から先に聞いてたら、絶対リアクションがつまんないじゃない。
当麻くんは健人くんの驚く声を楽しみに電話してきたわけだし、
健人くんだって親友から直接聞いた方が思いっきり嬉しかったでしょ?」
「まぁ…ね。
じゃあさ、お祝いは何あげよっか?男か女かって、いつわかるもんなの?
あ、優や翔平とも話し合わなきゃ。
てか、あいつらから何にも言ってこないとこみると、まだ知らないんだな。
うひゃー!言いたい言いたい!」
電話の向こうで健人がはしゃいでる。
その声が明るければ明るいほど、恐怖がつのる。
あなたが私の嘘を知った瞬間、訪れる闇の恐怖に…。
つくのもつかれるのも嫌いな嘘を、まだ私はついている。
一番ついちゃいけない私が、嘘をついてる…。
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