コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

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アイドルな彼氏に猫パンチ@
日時: 2011/02/07 15:34
名前: め〜にゃん (ID: AO7OXeJ5)

今どき 年下の彼氏なんて
珍しくもなんともないだろう。

なんせ世の中、右も左も
草食男子で溢れかえってる このご時世。

女の方がグイグイ腕を引っ張って
「ほら、私についておいで!」ぐらいの勢いがなくちゃ
彼氏のひとりも できやしない。


私も34のこの年まで
恋の一つや二つ、三つや四つはしてきたつもりだが
いつも年上男に惚れていた。

同い年や年下男なんて、コドモみたいで対象外。

なのに なのに。


浅香雪見 34才。
職業 フリーカメラマン。
生まれて初めて 年下の男と付き合う。
それも 何を血迷ったか、一回りも年下の男。

それだけでも十分に、私的には恥ずかしくて
デートもコソコソしたいのだが
それとは別に コソコソしなければならない理由がある。


彼氏、斎藤健人 22才。
職業 どういうわけか、今をときめくアイドル俳優!

なーんで、こんなめんどくさい恋愛 しちゃったんだろ?


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Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.372 )
日時: 2012/01/29 08:52
名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)

開演十五分前のステージ袖。

当麻に健人、雪見を中心にして、このライブツアーに関わるすべてのスタッフが
肩を組み、大きな円陣を作って気合いを入れる。
それを離れた場所から、そっとみずきが祈るようにして見守っていた。

ふと顔を上げ、みずきの視線に気付いた雪見が、隣の今野に何やら耳打ちしてる。
すると、大きくうなずいた今野が組んだ肩を一旦解き、みずきに向かって手招きをした。

「おいでっ!みずきちゃん!当麻の隣りに入りなよ!」

「えっ!?私…が?私が入ってもいいんですか…?」
自分を指差したみずきは、今野の言葉が信じられなくてボーッと突っ立ってる。

「早く早くぅ!おいでよ、みずきっ!!」
雪見が笑顔で大きく手招きすると、周りのスタッフ達もみなニコニコしてみずきを見た。

「…うんっ!」

当麻の隣りに駆け寄るみずきは、笑顔が途中から半ベソに変わった。
雪見の心遣いが嬉しくて、みんなの笑顔が優しくて…。
そんなみずきを、当麻がよしよし!と頭を撫でる。

「なーに泣いてんのっ!みずきも私達のサポートスタッフでしょ?
しっかり当麻くんのメンタル面を、サポートしてくれなきゃ困るんだからっ!」
雪見が口調とは裏腹に、本当の姉のような眼差しでみずきの事をそっと包んだ。

「ありがとう、ゆき姉…。ありがとう、みなさん!」
みずきが涙を拭い、輪の左右に向かって頭を下げる。
そんな彼女を、みんなが温かい気持ちで迎え入れた。


一方、全員の視線がみずきを向いてる時、健人だけは隣の雪見を見てる。
こんな優しい素敵な人が、俺の彼女なんだ!と誇らしげに。

綺麗で可愛くて優しくて、料理がめちゃめちゃ美味くて家庭的で、だけどちょっとドジ。
才能があって賢くて、だけど決してそれを自慢しないし人を見下したりもしない。
行動力があって、いつも俺のために全力で尽くしてくれて、一緒にいると
素に戻れて癒やされて、ホッと安らげる人。

知れば知るほど、大好きで大好きで。
この人を嫌いな人なんて、この世の中にいるのだろうか?と思ったら、
急にそれが不安に変わった。

そう言えば最近、ゆき姉を見る男性スタッフの目が、以前とは違ってきた気がする。
ブログの人気も相当なものだし、このツアーが始まって、ゆき姉が日本中に
知られるようになったら、あっという間にファンも拡大することだろう。
今までは自分だけのゆき姉だったのに、これからは『みんなのゆき姉』になってしまう…。
そう思うと、ツアーを始めるのが怖くなった。

「どうしたの?健人くん。なんでそんな顔で私を見てるの?」

「い、いや別に…。何でもない。」
そう言った後、健人はハッと気が付いた。

もしかして…ゆき姉も俺に対して、ずっとこんな気持ちで毎日を過ごしているのか。
一番近くにいてお互い愛し合っているのに、完全には自分のものではない不安…。
だとしたら、なんて可哀想な思いをさせてるんだ、俺は…。


健人がそんな事を考えてようが何しようが、お構いなしに時は近づく。
みずきを加えた大きな円陣は、ツアー初日の成功をみんなで誓い合って
再び雄叫びを上げ、輪が解き放たれた。

とうとう、その時はやって来た!
『YUKIMI&SPECIAL JUNCTION TOUR 2O11 絆』の幕開けだ!!



♪曲がりくねった道の先に 待っている幾つもの小さな光
まだ遠くて見えないけど 一歩づつ ただそれだけを信じてゆこう

真っ暗闇から息の合ったアカペラのハーモニーが聞こえる。
次の瞬間、一斉にライトがステージ上の三人を照らし出すと、ホールを揺さぶるほどの
悲鳴に近い大歓声が湧き起こった。

オープニング曲には、迷わずこの歌を選んだ。
三人の思い出の曲、絢香×コブクロの「WINDING ROAD」だ。

出だしこそ緊張気味で、少し硬いハーモニーになってしまったが、アカペラ部分を
歌い切ってしまったら、もうこっちのもん!
そのあとはカラオケボックスかのようなノリで、楽しそうに歌い上げた。


「初めましてー!北海道にやって来たよーっ!
めっちゃ雪が綺麗で感動した、スペシャルジャンクションの斎藤健人ですっ!!
しっかし、さすが北海道!寒いっす!みんなもこの寒さの中、外に並んで
待っててくれたんでしょ?ありがとねっ!
これから僕がみんなの心と身体を温めてあげるから、多少とちっても
広い心で受け止めてねぇー!」
お茶目な笑顔でペコンと頭を下げ、健人がトップバッターで挨拶をする。

「みんなに会える日を、本当に楽しみにしてましたっ!
スペシャルジャンクションの三ツ橋当麻です!
いや、健人も言ってたけど、ほんとさっすが北海道だよ。
札幌なんてこんだけの大都市なのに、雪がこんなに積もっても少しも騒ぎに
ならないんだから!東京なんてほんの二㎝も振れば大混乱!
もう、とんでもない騒ぎだもんね!改めて北海道民に敬意を表します!
今日は雪かきで疲れた身体を、癒やして帰って下さいねぇー!」
当麻も無事一曲目を終え、ホッとしたのか饒舌に語って手を振った。

最後に順番が回ってきた雪見はと言うと…。
緊張感から解放されたのと、こんな大ホールが満席であることに感動し、
胸がいっぱいになって言葉がすぐには出てこない。
客席から「頑張れ!ゆきねぇ〜っ!!」と大きな声援が飛ぶ。
その声に益々雪見の目が潤んだ。

健人と当麻が黙って寄り添う。
雪見は一つだけ深呼吸をして心を落ち着かせたあと、まずは深々と頭を下げた。

「ありがとうございます!初めまして!『YUKIMI&』です。
ごめんなさいね、スタートからこんなグダグダで。
みなさんの顔を見た途端、もう胸がいっぱいになっちゃって…。
でも、ここからは頑張って行きたいと思います!
今日はみなさんの心にずっと残るような、素敵なライブをお届けしようと、
今まで三人で一生懸命リハーサルを重ねて来ました。
トークもたっぷり挟んでいきますので、どうか最後まで私達にお付き合い下さいね。
では二曲目は……」


どうやら無事にスタートを切れたようだ。
ステージ袖で見守るスタッフたちも、一様にホッと胸をなで下ろす。

みずきの大きな瞳は今度は涙ではなく、尊敬と感動の眼差しでキラキラと輝いていた。






Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.373 )
日時: 2012/01/31 19:18
名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)

ライブのちょうど折り返し地点。
ホールの中は、札幌中の雪を解かすことができそうなくらいの熱気が充満していた。

すでに、三人で歌った曲が三曲、それぞれソロで歌った曲が二曲づつの
計九曲を歌い切り、ここらで小休止。
ツアー前から世間で話題を呼んだ、ブレイクタイムがやってきた。
なんと会場全体でお酒を飲みながらの、トークと歌のコーナーである。


ライブでやって欲しい事をアンケート調査したところ、リクエスト第一位は
『ほろよいトーク』であった。
三人が飲みながらお喋りしてる姿を、生で見てみたい!という声が、
圧倒的に多かったのだ。

当麻のラジオ番組の、今や名物コーナーでもある『ほろよいトーク』。
月に一度、ゲストと当麻がお酒を飲みながらお喋りを楽しむコーナーなのだが、
元々は健人と雪見がゲストの時にやった『予測不能の飲み友パーティー』
という企画が大好評だったため、のちにタイトルを替え定番コーナーへと昇格させた。

それ以外にも、デビュー発表記者会見の席上でも酒を振る舞うなど、
この三人には、すっかりお酒にまつわるイメージが定着してる。
まぁそのお陰で三人揃ってチューハイのCMに起用され、オンエア開始の
新年早々から驚異的な売り上げらしいし、そのビール会社が今回のツアーの
メインスポンサーにもなってくれたのだが。


今回はステージ上をカラオケボックスに見立て、テーブルとソファー、
それにカラオケセットが用意された。
このコーナーは、それぞれの会場で違うシチュエーションの飲み会シーンが
再現される事になっている。
そしてもうひとつ。そこで歌われる歌だけは、当日その場で本人が選曲するので、
何が歌われるのかは誰もわからない、シークレットなお楽しみコーナーでもある。

三人がソファーに腰掛けると同時に、黒服の店員に扮したスタッフが、
飲み物のオーダーを取りに来た。

「俺、ビール!」当麻が真っ先に声を上げる。
それに続いて健人と雪見も、まずはビール!と、結局三人とも同じ物を注文した。

「ちょっとぉ!三人でチューハイのCMやり始めたばっかなのに、誰も
チューハイ頼まないのはまずいでしょ!」
当麻が健人と雪見をにらむ。

「自分だってビール頼んだくせに!大丈夫!すぐ次を頼むから。
あ!店員さーん!面倒くさいから、チューハイも全種類くださーい!」
雪見の声に、ステージ袖にいる今野やスタッフがギョッとした。

「おいっ!まさか雪見のやつ、本当に全種類飲むつもりじゃないだろうな!?
何種類あると思ってんだっ!」
今野が慌ててる。

「うーん、ゆき姉ならあり得るかも。気配りの人だから、スポンサーさんに
サービスする気がする。」
隣でみずきがうなずきながら、ニヤリと笑った。

会場のファンには、スポンサー提供の缶チューハイかソフトドリンクを
入場の際に手渡してある。
どうせなら、健人たちと一緒に飲んでる気分を味わってもらおう!という
雪見の粋な提案だった。
それに賛同したスポンサーも太っ腹である。
まぁ、これだけの人数が、これからお得意様になると思えば安いものかも知れないが。

「みんな準備はいい?じゃ、お疲れ様でしたっ!カンパーイ!」

「カンパーイ!!」

健人の乾杯コールに、会場中のファンが声を一つにして「乾杯!」と応じ、
手にした缶を高々と掲げる。
すでにぬるくなってしまったドリンクも、大好きなアイドルと一緒に飲んでると思えば、
それは最高に美味しい一杯に違いない。
しかも、みなオーバーヒート寸前で喉がカラカラだった。

「うんめーっ!!生き返ったぁ!もう喉が乾いて死ぬかと思った!」
当麻がビールをゴクリゴクリと喉を鳴らして飲み、はあぁぁ…と一息ついた。
健人と雪見も同様に、ビールを一気に飲み干した。

「うーん、美味しいっ!けど申し訳ないな!私達だけ冷たいの飲んで。
この熱気だもん、みんなのはホットドリンクになってるんでしょ?
ごめんねー!家に帰ったら冷たくて美味しいやつ、思う存分飲んでねっ!」
雪見が客席に目をやって、申し訳なさそうに肩をすくめる。

「あ!だけどもちろん未成年者のお酒はダメだよ!俺と約束ねっ!」
健人が、会場中に散らばってるであろう未成年のファンに向かって、
諭すように優しく言うと、あちこちから「はーい!」と手が上がった。

「でもさ、俺らが全国ツアーだなんて、夢みたいな話だよね!
だってつい最近まで俺と健人はただの俳優で、ゆき姉なんか猫カメラマンだったんだよ?」

「ゆき姉なんか、って何よ!ゆき姉なんかって!まぁその通りだけど。
私は今も、これは夢だと思ってる。だからあんまり緊張してないのかも。
現実だってわかったら、怖くて歌えないもん!」
そう言いながら雪見は、早くも次のチューハイをプシュッと開けた。
いつまでも夢の中にいるために。

「ゆき姉、ほどほどにしといてね!まだライブは半分残ってんだから。
そー言えば、みんなロビーの写真展見てくれた?俺たちメチャ格好良くね?
いや、言い方間違えた!格好良く撮れてると思わない?
やっぱね、ゆき姉は凄いカメラマンなんだなーって、改めて思った。」

健人はトークの端々に、さりげなく雪見を褒め称える言葉を口にした。
実際そう思ってるのは勿論だが、もっとみんなに雪見の才能を認めてもらうために。

『引退までにもっと有名になれ!誰も文句の付けようがない健人の嫁さんになれ!』

雪見は今、今野に言われた言葉の通りになれるよう、必死に頑張っている。
その手助けをしてやりたいと思った。
一人でも多くの人に、雪見を好きになって欲しかった。

だが本心は、誰にも雪見のこと、知ってもらいたくなど無いのだが…。


矛盾する気持ちと戦いながら健人は、雪見の歌う姿をただぼんやりと見つめてた。


Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.374 )
日時: 2012/02/02 08:44
名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)

お酒の力は偉大なもので、カラオケボックストークと歌のコーナーは、
会場も一体となっての大盛り上がりである。

ファンはまるで自分達が健人や当麻、雪見と親しい友人であり、三人と一緒に
プライベートでカラオケボックスに来てるかのような、リアルな錯覚を覚えていた。
だが健人らは、あまりに盛り上がりすぎて時間の配分を忘れてしまった様子。

「あいつら、いつまでカラオケやってるつもりだ!もう時間が押してきてるぞ!
おい!もう閉店だからって伝えてこい!」
そう言って今野が、さっきの黒服スタッフの背中をドンッと押した。

「えーっ!もう閉店なのぉ!?この店、閉まるの早くね?」
少し酔った当麻が、スタッフに文句をたれる。

「そうおっしゃられても、店長が…。」
いつの間にか今野は、このカラオケ店の店長になったらしい。
二人の芝居がかったセリフに、会場中がドッと湧いた。

「しゃーないよ、当麻!じゃ、あと一人一曲ずつで次に行こ!
まず俺が歌っていい?ラストソングはこれにしたっ!」

健人が選んだのは高橋優の『ほんとのきもち』だ。
「君が好き」と言う歌詞に、聞いてるファンは自分が言われたような気がして、
思わず胸がキュンとする。
それは雪見も同様で、健人からのメッセージだと思ったら、「私も大好きっ!」
と、後ろから抱き付きたい衝動に駆られた。

歌い終わってホッとした表情でソファーに戻った健人が、次に雪見を指名する。
「なに歌うの?決まった?」

「うーん、そうだなぁ…。よしっ!あれにしよう!」
そう言いながら雪見がボタンを押したのは、いきものがかりの『ありがとう』だった。

その歌に健人への今の想いをすべて託し、心を込めて歌う。
二人の仲を知ってる者は、雪見の愛の大きさを改めて思い知り、何も知らない観客は、
ただただ雪見の歌声に魅了され、感動の涙を浮かべていた。

この歌が雪見からのメッセージだと解ってる健人は、涙をこらえるのに必死で、
きっと挙動不審だった事だろう。
しきりと天井のライトを見上げたり、雪見の歌など聞き飽きた風を装って、
首を回したりしてるのだから。
それに気付いた当麻は、必死に笑いをかみ殺していた。

歌い終わり、割れんばかりの拍手に笑顔で答えながら、また健人の隣りに腰を下ろす。
「あー気持ち良かったぁ!え?なに?もしかして健人くん、また泣いてんの?
なんでいっつも私の歌で泣いちゃうのよ!しょーがないなぁ、まったく。」
雪見は笑いながら健人の頭を、よしよし!と撫でてやる。

お酒が入ってなければ健人をかばい、泣き顔を隠す配慮をする雪見だが、
缶チューハイをほぼ全種類制覇してしまった今の雪見に、そんな気配りはない。

「あのねー、みんな!健人くんってね、一見クールそうに見えるけど、
ほんとは映画見ては泣くし歌を聴いては泣くし、結構泣き虫さんなんだよっ!
それにねぇ、甘え…」

「ストーップ!!」
これ以上バラされてはたまらん!と、慌てて健人が雪見の口を手でふさぐ。

「はいはい!当麻が歌う時間なくなるだろっ!いいからゆき姉は水飲んで、
少し酔いを覚ましなさいっ!まだ後半が残ってるっつーのに、まったく。
で、当麻は最後になに歌うの?」

「俺のラストソングはこれって、決めて来たんだ。」

ステージ上のモニタースクリーンに題名が映し出され、イントロが流れると、
会場中から悲鳴と拍手が巻き起こる。
当麻がこのコーナーの最後に選んだ一曲は、サザンオールスターズの
『いとしのエリー』だった。

健人はやられたぁ!と思った。次の大阪公演で歌おうと思っていたのだ。
まぁ仕方ない。そんな駆け引きも、このコーナーのお楽しみのひとつなのだから。

ステージ袖に目をやると、みずきはあと一歩でステージというギリギリ手前に立ち、
当麻の歌に聴き惚れてる。
勿論会場中も同じ状態で、健人は自分のファンまでもが当麻ファンになりはしないかと、
少々不安になった。

「やっぱ、当麻の歌には勝てないや…。」

思わずそんな言葉が、健人の口からぽろりとこぼれる。
それを雪見が前を向いたまま、静かにたしなめた。

「歌ってさ、勝ち負けじゃないと思うな。
どんなに上手に聞こえても、心がちっとも伝わってこない歌もいっぱいある。
当麻くんは今、みずきのために歌ってるから心に響くの。
健人くんの歌だって、ぜーんぶ私に届いたよ。ありがとねっ。
私は健人くんの歌が一番好き!みんなも絶対健人くんの歌が好きだよ。
だから…それでいいんじゃないのかな。」

そうか…。ゆき姉の言う通り、それでいいのかも知れない。
自分じゃずっと、歌に完全な自信なんて持てなかったけど、俺は俺でいいんだ…。
役者が一人ずつ違う演技をするのと同じで、歌もそれぞれ違っていいんだ。

健人は、またゆき姉が俺を救ってくれたと思った。
いつも最後にゆき姉は、霧の中で迷う俺の手を引いて、進むべき道へと
案内してくれる。
この人と共に生きてゆけば、どんな道が目の前に現れても怖くはないだろう。

「ありがと、ゆき姉!俺、やっとスッキリした!
なんかさ、ずーっとモヤモヤしたまんま歌ってたけど、ゆき姉のお陰で
この先はもっと堂々と歌える気がする。
よしっ!あと半分頑張って、美味い打ち上げの酒を飲みに行こう!」

「いや、私はもう飲めない!てゆーか、トイレに行きたーい!」

「え?ええーっっ!?」


スポンサーのために全八種類の缶チューハイを、味の解説付きで飲み干した雪見は、
低アルコール飲料だったお陰で大して酔ってはいないが、トイレの事まで
考えちゃいなかった。

だって、喉がカラカラだったんだもんっ!














Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.375 )
日時: 2012/02/04 14:28
名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)

無事歌い切った…。
終った…。
トイレに駆け込んだのが、何とかバレずに済んだ…。

二度のアンコールに答えた後も、いつまでも鳴りやまない拍手と歓声。
三人はそれぞれの安堵感を胸に、繋いだ手と手を高々と頭上に掲げ、会場を見渡した。

みんなの顔が輝いてる。
健人のファンも当麻のファンも、少ないだろうけど雪見のファンも
ここにいるすべての人が、一つの絆で強く結ばれてる!

そう実感すると、お互い顔を見合わせ嬉しそうに笑った。
それから会場に向かって手を繋いだまま深々とお辞儀をし、もう三人が
再びステージに戻ることはなかった。



「えー、皆さんのお陰で、ツアー初日を無事終える事が出来ましたっ!
ほんっとに、ありがとうございますっ!
あと四ヶ所、この勢いのまま突っ走りたいと思うんで、どうかよろしくお願いします!
じゃ、お疲れ様でしたっ!カンパーイ!!」

「カンパーイッ!お疲れぇ〜!」「お疲れっ!」

健人が代表して挨拶した後、今宵の宴が札幌ススキノにステージを移して始まった。
場所は大きな割烹居酒屋。宴会ができる広い個室の掘りごたつには床暖房も完備され、
雪を踏み締めやって来る客にとっては、ホッとくつろげる空間だろう。
今日は思う存分北海道の美味い物を堪能し疲れを癒やして、明日からの鋭気を養おう。

「二日連チャンのススキノって、なんか贅沢な感じだねっ!ひっさしぶりのオフな気分!
このウニ、激ウマっ!ホタテもヤバイ!東京で俺が食ってんのって何なの?」
健人が、新鮮な刺身の舟盛りに真っ先に箸をつけ、はしゃいでる。

当麻はと言うと、スタッフ一人ずつと乾杯したあと自分の席に戻り、最後にみずきと
「お疲れっ!」と小さくグラスを合わせた。

部屋の中いっぱいに広がる笑い声とニコニコ顔。
安堵や達成感、心地よい疲労感やら冷めやらぬ興奮を一緒くたにして、
同じ時を過ごした仲間同士の絆が、ここでも強く結ばれていた。

そんな光景を、雪見はただボーッと頬杖ついて眺めてる。
目の前のご馳走にも、なんと酒にも口を付けずに…。

「おいおい、どうしたっ!なんでお前がまだ一杯もビールを飲み干してないんだっ!?
腹でも痛いのか?さては、すでに飲み疲れかぁ?」
たまたま遠くの席から雪見の様子を目撃した今野が、慌ててジョッキを片手に
雪見の隣りへと割り込んで来た。

「え?あぁ、別にどこも痛くなんてないですよ。
今、ブログの内容を考えてたんです。飲む前に更新しようと思って。
飲み出しちゃうと書きたい事、忘れる可能性があるから。」

「おっ!さすがだねぇ!だったら安心した!
お前さんが飲んでないとみんなが心配するから、チャチャっと更新しちまえ。
で、健人はもうブログをアップしたのか?」
今野は、さっそくケータイを取り出して打ち始めた雪見を横目に、その
向い側に座る健人を見た。

「え?」

健人は、たった今運ばれてきた北海道の冬の味覚、「タチ天」と呼ばれる
真鱈の白子の天ぷらに目が釘付けで、今野の話などまるで聞いちゃいなかった。

「お前、ライブでファンと約束しただろっ!
今日からブログを閉める三月いっぱいまで、毎日更新しますっ!って。
いきなり約束破る気してんのかぁ!?食ってないで、とっとと更新しろっ!」

「もう少ししたら、やろうと思ったのにぃ。」
健人は、「早く宿題をやりなさーい!」と叱られた小学生のような言い訳をして、
渋々ケータイを手に取った。

健人は言葉を発信する時、とても時間がかかる。
インタビューもそうなのだが、質問や自分の思いを伝える事に関して、
慎重に言葉や言い回しを吟味する。
決して難しい文学的表現をするわけでもないし、活字にすると何のことはない
普通の言葉だったりするのだが、それでも安易に口にはしない。
それは自分の発した一字一句が、周りに多大な影響を与える事を知っているから。

だから、ほんの数行のブログであっても、本当に時間がかかるのだ。
特に今日はツアーの初日。伝えたいことは山ほどあって、とてもじゃないが
とっとと発信なんて無理なのだ。

「だからホテルに戻って、ゆっくり更新したかったのに…。
打ち上げで二人揃ってケータイいじってたら、みんな白けちゃうよなぁ…。」
ブツブツ言いながらも、健人は必死に言葉を選び指を動かした。

一方雪見は、その時の感情やインスピレーションで、ポンポン言葉を打ち込んでいく。
ブログは鮮度が大事!と思っているので、その時思ってる事をひたすら文字に置き換える。
なので健人に比べると、文字数は多いし格段早い。
その時も、健人が「うーん…。」と言ったきり指が止まったところで、
雪見が「出来たーっ!」と万歳した。

「うーん!スッキリしたぁ!これで心置きなく飲めるぅ!じゃ、いただきまーす!」
それから雪見は遅れを取り戻すかのように飲んで食べて、当麻やみずきとお喋りした。
だが、一人ぽつんとケータイとにらめっこしてる健人が可哀想になり、
そっと健人の隣りに席を移動する。

「ねぇ?まだかかりそう?」

「うーん、あと少しなんだけど…。
今の気持ちをみんなに伝えたいんだけど、うまい表現が見つからない。」
健人は、すでに気の抜けたビールを一口だけ含み、また「うーん…。」と唸った。

「どれどれ?」雪見が健人のケータイを覗き込む。


『ありがと、みんなっ!』

無事、ツアー初日の札幌公演が終了!
今、打ち上げでススキノ来てます。
ウニがうまっ!ホタテに泣きそう!!
北海道民は毎日こんな美味いもん食ってんのかぁぁぁ!
ちょっと嫉妬。
けど凄いパワーで応援してくれたから許す。
っつーか、これがパワーの源なのね。かなり納得。
次は大阪行きます、2月10日です!
お好み焼きパワー全開で応援してや!待ってんでぇ!


「健人くんらしいよ、すっごく!あとは写真で表現すれば?
私が写メしてあげる!当麻くんとみずきも一緒に入って!写すよー!」
そうして写した写真と共に、無事健人のブログも更新された。

写真は時に言葉よりも饒舌だ。
たった一枚の絵の中に、今のすべてが詰め込まれる。

プロのカメラマンとプロの役者が表現した今の気持ちは、きっとみんなの心に
届いたことだろう。

まぁ、ブログを読んだ北海道のファンは、今頃健人に向かって
「毎日ウニなんて食べちゃいないからっ!」と突っ込んでるとは思うが…。



Re: アイドルな彼氏に猫パンチ@ ( No.376 )
日時: 2012/02/05 17:06
名前: め〜にゃん ◆qUW4buJWjM (ID: nVQa3qMq)

「あー、飲んだし食ったぁ!もう腹いっぱい!あとはホテル帰って寝るだけだぁ!
今野さん、明日は何時に出発でしたっけ?」
打ち上げ会場の入ったビルから外に出た途端、ぶるっと身震いしながら当麻が聞いた。

「明日は朝八時にホテル出発だ!みんな、遊びすぎて寝坊しないように!
遅れた奴は置いてくからなー!じゃ、各自解散ッ!お疲れぇ!」

「お疲れ様でしたっ!さ、ホテルに帰ろう!さすがに疲れたぁ。」
当麻はみずきと共に、一番最初にタクシーに乗り込む。
その後に今野と当麻のマネージャーが続き、四人はホテルへと戻って行った。

あとに残ったスタッフたちは、まだホテルには戻る気がないらしい。
いくつかの固まりに分かれ、次にどこへ行こうかと相談中のグループもあれば、
早々と「俺、いい店知ってる!可愛い子がいっぱいの店!」「いいね、いいね!」
とワイワイ歩き出すグループも。
その中でも若い男性スタッフグループが、まだ外に出て来ない健人を待つ雪見に
声を掛けてきた。

「雪見さん!雪見さんも一緒に行きませんか?どっか歌えるとこ。
雪見さんに歌って欲しい歌、いっぱいあるんだよなぁ!
俺、すすきのマップってゆーやつ貰ってきたから…。」
酔ったスタッフたちが、しきりに雪見を誘ってる。
それを雪見は一生懸命断るのだが、酔っぱらいとはしつこい人種で、
なかなか諦めてはくれなかった。

「ごめんね!今日はもう歌えないや。ライブで張り切り過ぎちゃったから、
これ以上歌うと喉がヤバイかも。みんなで行って来て!」

本当はまだ一晩中でも歌えそうな気がするが、今この人達と歌いに行く気は毛頭ない。
それに、歩道の真ん中を占拠してワイワイ言ってる彼らは、周りの酔客からも
白い目で見られ始めた。
健人が外に出て来る前にここから移動させないと、健人も騒がれちゃう!
色々言い訳を並べて雪見は、スタッフの背中をグイッと押した。

「ほら、早く行かないと朝になっちゃうよ!
あんまり遅くなんないでホテルに戻ってね!じゃ、いってらっしゃい!」
みんなを送り出し、やれやれと思ったところへ、やっと健人が外に出てきた。

「おっそーい!何やってたのぉ?もう凍え死ぬかと思ったぁ!」
雪見が口を尖らせて文句を言う。

「ごめんごめん!さっき飲んだ酒の中にさ、めっちゃ美味かったのがあったから、
お店の人に聞いてたの。
なんかすげぇ珍しい酒らしいんだけど、今度捜してゆき姉のじいちゃんに
送ってあげようと思って。」

「えっ?うちのおじいちゃんのために、わざわざ聞いてくれた…の?」

思いも寄らぬ健人の言葉に、雪見は感動した。
美味しいお酒を飲んで、真っ先に酒好きなおじいちゃんを思い出してくれたなんて…。

「健人くん、大好きっ!!」

嬉しくなった雪見が健人の腕に、ギュッとしがみつく。
健人は、いつもの黒縁眼鏡にオシャレなニットキャップを目深に被っていたが、
誰かに見つかりはしないかと、ヒヤヒヤしながら左右を確認した。

だが、ここは札幌。夜中の十二時半を回ったところ。
東京と違い、自分たちの生活空間に芸能人などいない設定で暮らしてる人達は、
たとえ隣りに立つ人がイケメンだとしても、よっぽど顔丸出しのオーラ全開でいない限り、
その人が芸能人だとは考えもしない。
無論健人も、誰に気付かれることもなく、その場にたたずんでいられた。

「ねっ!デートしよう!東京じゃ出来ない普通のデート!」

「えっ?普通のデート?」
雪見はニコニコして健人の顔を見上げてる。

「そっ!健人くん、こないだどっかの雑誌のインタビューに答えてたでしょ?
普通のデートがしたいって。こんな時間だから、買い物や映画は無理だけど、
人目は気にせずに、手つないで歩けるよ!ほら、行こう!」
雪見はサッと健人の手を握り、「あったかーい!健人くんの手!」と、
はしゃぎながら歩き出した。

普段は何にも言わないけど、ちゃんと俺の記事とか読んでくれてるんだ…。
それが雪見らしくてクスッと笑ったら、なんだか胸がキュンとした。
よしっ!誰にも邪魔されない、念願のデートを楽しもう!

健人はお酒の勢いもあって、そうと決めたら結構大胆に振る舞った。
つないだ手を自分のコートのポケットに入れ、信号待ちで立ち止まると
後ろから雪見をギュッと抱き締める。
そうかと思うと雪玉を作り雪見の背中にぶつけたり、人の途切れた隙を見て
素早くキスしたりした。

雪見はそのたびに、誰かに気付かれはしないかとドキドキするのだが、
健人は一向にお構いなしで嬉しそうにしてるので、喜んでくれてるなら
それでいいや!と思うことにする。

歩きながらじゃれ合いながら、二人はたくさんおしゃべりをした。
今日のライブのことや、次に行く大阪のこと。
特に、四月に行くニューヨークへの思いを健人は、目を輝かせ
熱く語った。やっと念願が叶う!と。
そしてもちろんお互いの未来の話も照れずに出来たのは、
東京ではあり得ないシチュエーションの、真夜中デートのお陰だろう。


「ねぇ!ところで、どこに向かって歩いてんの?俺たち。」
健人が散々歩いた信号待ちで、今頃になって雪見に聞いてきた。

「え?ホテルに向かって歩いてるに、決まってんじゃない!
だって今からなんて行くとこないし、さっきのお店から真っ直ぐ歩いて
二十分もあればホテルに着くんだよ!
真冬のデートなら、それぐらいが丁度いいでしょう。」
雪見が何を今更!と健人を見て笑う。
が、健人は衝撃的な事を言った。

「さっきから、もう一時間は歩いてるけど?」

「え?う、うそっ!?ホテルは…?」

「ぜんぜん見えてこないけど…。っつーか、ここ、どこ?」


その瞬間、二人の頭の中には、あの竹富島でのアクシデントがプレイバックした。
あの時と同じ状況になぜか陥ってる。
いや、『なぜか』という表現は適切ではない。理由ははっきりしてる。
雪見はそういう人だから。方向オンチだからに他ならない。

ただ一つあの時と状況が違うとしたら、それはここが極寒の地、北海道だということ。
前回は迷子になろうとも、せいぜい虫に刺されるくらいで命には別状なかったが、
たまたま目にしたビルの温度計は、なんとマイナス10度を表示していた。


「う、うそだろーっっ!!」

















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