ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人

作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

【 Ⅵ 欲望 】――1―― page2


「はぶくしゅん!」
 というのは、水をいきなりかぶったマルヴィナの相も変らぬ珍妙なクシャミである。
「……マルヴィくしゅんっ、髪の毛、髪の毛。怖いよ」
 シェナがマルヴィナの海水をたっぷり含んでだらりんと柳の木のように垂れ下がった髪を見て言ったが、
そういう彼女の銀髪も目や頬にぺったりくっついてだらーん、と垂れ下がっている。二人とも十分に怖かった。
セリアスのぼさぼさ頭はぺったんこになり別人を見ているようである。
キルガはというと、美青年の特権か、『水も滴る何とやら』の状態である(セリアスが舌打ちしていた)。
ちなみに、サンディも海水をもろにかぶっている。マルヴィナのフードに再び戻ったことから、
化粧がすごいことになっていることが大体想像できた。

 ……ともかく、クシャミを連発しつつ、マルヴィナは(八つ当たりしても仕方がないのだが)海を憎らしげに睨む。
その先には、その海の中に膝まで入った少女と、さらに奥へ戻る黒く大きな物体があった。
 浜辺には大量の魚がぴちぴちと威勢よくはね、その周りでは人々が我も我もとばかりに先を争って魚を手にしていた。
「…………なに……アレ…………」
「おや、旅人さんかい?」
 マルヴィナたち四人が黒い物体に絶句しているところに、魚を籠に入れた老人が声をかけてくる。
茶色で、ところどころがつぎはぎの、お世辞にもきれいとは言えない服を着た男である。七十代くらいだろうか。
老人は、マルヴィナたちの返事を待たず、話し始める。話好きなのだろう。
「驚いたろう。今のはぬしさまってぇ海の神さまだ。この村は、ほれ、見たとおり貧しくってなぁ。
だが、今は、ぬしさまに祈りをささげりゃああやって魚を届けてくださるのさ」
「……祈り?」
「ほれ。あの子だ」
 老人の指先をたどる。先ほど、海の中に入っていた少女だ。
太陽に煌めく桃色の髪を、低い位置で二つ結びにしていた。あちこちにつぎを当てた皮のワンピースを纏っている。
海水で濡れた足についた白い砂を払いながら、たちまち減っていく魚をおどおどと見つめていた。
「オリガって名でな」老人が続ける。
「あの子の父親は、少し前に漁に出て、一年前の地震で嵐に飲み込まれて帰らぬ男となったのじゃ。
一人になったオリガを憐れんだのじゃろう、それ以来ぬしさまが現れて、まぁ、こうなったわけじゃ」
 話好きの老人は、一人うんうんと頷く。

 ……一年前の地震。……あぁ、あれから、もう一年がたっているのか……。

 マルヴィナはいまだ海水を含んだ髪の毛をぎゅーっ、と絞ると、眉をひそめた。
「……一つ思うんだけれど」
 手についた海水をパッパッと払い、降ろす。
「……あのぬしさまとやらを呼んだオリガの分の魚は? あの子一匹もとっていないじゃないか。
呼んでもいない人間が魚をしこたま取っているって、どういうことだ?」
 最後にマルヴィナは、老人に一瞥をくれる。ビクッ、と震えた老人は、あさっての方向を見て、乾いた笑声を上げた。
「あ、あぁ~……いや、さぁなぁ……ははは」
 そしてさっさと逃げ出してゆく。……意外と速かった。
「……自分だけ良ければ、か……」
 キルガが呟いた。セリアスとシェナが、頷き、ため息をついた。
「……闇」マルヴィナが突然、呟いた。「……欲望は闇。やがて人の心をむしばむ……悪魔だ」
 マルヴィナは、口の中で、ある一つの歌を歌い始める――。


   対の存在 光と闇
   光は闇を求め 闇は光を求める
   闇滅べば 光は滅ぶ
   だが 光滅ぶとも 闇滅びることはなし
   光は闇の内にあってこそ輝く
   しかしいずれは消滅す……


 歌い続けたが、マルヴィナはついに唇を閉じた。あまり好きではない歌だった。
マルヴィナは歌が好きだ。好きな歌を、思い通りに歌える自分の歌声も好きだった。
好きでもない歌は、思い通りに歌えない、否、歌いたくない。だから、やめた。
「……光は、あり続けなきゃならない」
 しっかりと歌を聴いていた三人(サンディは何処かへ行っていた)に、マルヴィナはそう言った。
「ただ、輝いちゃいけないんだろうな……
光が輝くということは、必ずどこかに闇があるってことだから……この歌みたいに」
「……てことは俺は、マルヴィナとは違う意見なんだな」
 セリアスだ。
「……俺は、逆だ。輝き続けないといけないって思う。もしやめちまったら、光は輝くことを忘れる。
大きな闇ができた時……輝けなくなる。……少しの闇は必要、……じゃないかもしんないけど……
いや、そう言ってるのと同じか……」
「……ああ……確かにこの歌、どっちの意味としても捉えられるね。
ラフェットさまも、難しい歌教えてくれることで」
「ああ、ラフェットさんだったのか」
 言ってから、まぁイザヤールさんが歌とか教えるわけないか、と思い直す。
「……ちなみに、二人はどう思う?」
 いきなり話を振られ、だがゆっくりと、噛みしめるように答える。
「……僕には、分からない。どっちが正しいのかは」
 先に言ったのは、キルガだった。
「私も同感」続いて、シェナが。「二人の意見、どっちももっともなんだもの」
 沈黙がおちた。波の音が、静かに流れ込んでくる。
「いつか、答えがわかるのだろうか」
「……さぁね。……分かるといいね」
 物悲しい、波の音が。



 浜の桟橋に停められた舟に向かって、四人は歩く。が、人影がほとんどない。
舟は憂鬱そうに、寂しげに、波の動きに身を任せてゆらりゆらりと揺れていた。
「……どういうこと?」
「……大体、想像ついていたけれど……もう、海には出ないつもりなんじゃないか……?」
 キルガ、ぽつり。
「は?」マルヴィナ、即座に反応。
「あのヌシに頼り、魚をもらっている……食べ物があるからって、漁をやめたんじゃないか?」
「………………なんか……東南の大陸に行けないことより、そのぐうたらさに腹が立つ……」
 マルヴィナが露骨に顔をしかめる。
「……いやマルヴィナ、予想だから。とりあえず、村長に」
「あ、あのっっ!!」
 キルガの話し途中に、別のか細く高い声がする。舟を眺めていた四人は、後ろからしたその声に同時に振り返った。
「あ、さっきの」マルヴィナが言い、
「あ、えと……」いきなり計八つの目に見つめられてドギマギする少女……それはオリガであった。

「……いきなり、すみません。あの、……旅人さん、ですよね?」
「付加疑問文? ……そうだけど」
 なにやら難しい(セリアス曰く)単語を伴い答えたのはシェナである。
「あ……いきなり、ごめんなさい。わたし、オリガっていいます。
あの……夜になったら、わたしの家に、来てくれませんか」
「えっ? わたしはいいけど、みんなは」
 マルヴィナの問いに、
「あぁ、いいよ」
「どっちなと」
「判断に任せるー」
 ……三者それぞれの意見がいっぺんに返ってくる。
三人がそれぞれ何と言ったのかはいまいち理解できなかったが、とりあえずみんな了承しているということは
分かったので、マルヴィナはオリガに、彼女の家を尋ねた。
村の東。一番小さい家です、と自分で言う。そこ、自覚しちゃダメだろ、と思ったが、もちろん声には出さなかった。
「……分かった。夜だな。……ところでさ。今乗るわけじゃないんだけれど、この舟、
東の大陸に行く……って聞いたけど」
 その瞬間、オリガの表情は曇る。それを見て、マルヴィナは言わんとすることが何となく想像できたため、
「じゃなくて、村長! 村長は、どこにいるか知っている?」
 なんとかかんとか、そう言ったフォローを入れた。オリガはパッと顔を上げ、南を指す。
桟橋の向こうの、海の中に建った家である。これまた大きい。オリガの家の何倍だろう、というほどの大きさでる。
 その貧富の差に、マルヴィナは、はぁ、とため息をついた。