ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人

作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

サイドストーリーⅢ   【 記憶 】1


 ――生まれた。

 里長にして修道女である老女シェルラディスは、紅く塗った唇の端を持ち上げた。

 ――そして、失った。

 だが、すぐに、言い表せない悲しみに端は下がった。


 喜ぶべきなのか。それとも、哀しむべきなのか。
         ・・・・・
 里長である以前に母親である彼女には、孫の誕生は喜べるものだが
娘の死は悲しむことであった。
……けれど。
ここに、誕生したことは間違いない。            ・・・・・
命を秤にかけるわけではない、だが、誕生した孫は、間違いなく選ばれた者―――


 “真の賢者”なのだ。



 この里の者は人間ではない。
種族としてはマイナーではあるが、知る人は知る、彼らはいわゆる『竜族』である。
が、その見た目はエルフやドワーフと言った今はおとぎ話となった種族のように特徴だったことはなく、
あえて相違点を上げるなら人間よりはるかに強く、
はるかに長寿である者である、と言うあたりのみであった。
 竜族――だが、竜の血が混ざっているというわけではない。単に、彼らが崇めているもの、
他国で言えば神のような存在が、竜なのだ。
崇めるものの下僕、という意味で、彼らは自らを『竜族』と呼ぶのだ――確かにこんな理由なら
マイナーであっても仕方がないのかもしれない。



 シェルラディスは、音もなく立ち上がると、教会の扉を開き、里の頂上の里長の家すなわち、自宅へ戻る。
修道女のローブは長すぎ、この長く急な階段は昇りづらく降りづらい。
だが、そんなことは気にはしない。

「花の恵みに祝福を、地の誘いに祈りを。お帰りなさいませ、シェディ様」

 古めかしい挨拶をする、里の者たち。その意味は――『新たな命が誕生し、一つの命が地に還る』
――シェルラディス、通称シェディが感じ取ったものを証明した言葉だった。

 冷たくなった娘の横で、何も知らない温かな赤子は、泣き疲れて静かに眠っていた。




「間違いないのですね」
「えぇ」
 シェルラディスは短く答えた。そして、あえて言う――
「魔導師と、僧侶。同じにして対である存在が結ばれ、子が誕生した瞬間に命を落とす――間違いありません。
……あの子こそが、次なる『真の賢者』……しかし」
「その教育、ですな」腕を組んだのは、里長に代々使える騎士、ケルシュダイン、通称ケルシュである。
「癒しの面は足りてはおりますが……本来の賢者の存在は、後列攻撃型。
魔術を教えるとて、この里に『あの方』に教えられるほど魔術に長けたものはいません」
「それでも」シェルラディスは、ぴしゃりと言った。「やらねばなりません。時間が、ないのです」
 時間がない――その意味を知るケルシュは、だが顔を伏せ悲しみに暮れることはせず、
今彼女が望む姿であり続ける。
「いっそのこと、かの“賢人猊下”殿を呼び寄せるか……」
 言っておきながら、それは無理だなと思い直した。
“賢人猊下”マイレナ、その名は世界に広まりつつあった。僧侶でありながら、魔術も極め、
賢者となり『神の領域』の魔法を今にも手に入れそうな女傑――もちろん、もう一人、
“蒼穹嚆矢”の名も知られつつある。
が、この二人は、恐ろしく他人と係わることを嫌うことでも有名だった。
おそらく、否確実に、とある一人を教育してくれ、と言ったところで断られるだろう。
 うぅむと考え込むケルシュに、修道女は微笑んだ。
「御安心なさい。私が、やれるところまでやってみます」
「な、しかし、シェディ様」
「私は」目を閉じる。
「若かりしときには魔術師だったのです。あなたが物心つくころにはすでに、修道女ではありましたが」
「その話は、初めてです」ケルシュは答えた。「ですが……何故?」
 シェルラディスは、笑った。「大切な人を守れなかったから――ではダメかしら? ケルシュ」


   ***


「けうしゅ、けうしゅ」
 それから時は流れる。
赤子だった姿も時がたてば変化し、その顔を見るだけでは男か女かまだ区別がつきづらいが
れっきとした女である幼児は、盛んにケルシュの名を廻らない舌で呼ぶ。
 ケルシュは何と――と言う名の困ったことに――幼児の世話係に任命されてしまった。
されてしまった、とは言うが、もちろん指名したのはシェルラディスである。
ケルシュの必死の拒否はもちろん、シェルラディスの裏のある笑顔と一言によりすべて封殺されたのだが。
シェディ様のあの性格が、この子にも移らなきゃいいんだが、と密かに思う。
何故なら彼女の娘、この子の母親も、優しい笑顔で何度もケルシュの急所を
さりげなくぐっさりつく発言をする女性だったのだ。……恐ろしや、遺伝。
 ……だが、幸いにしてこの子は、自分になついてくれている。
……父親も、母親もいない。
時間がない、と言ったように、里長の寿命も、長くはなくなっている。
 ケルシュは話し方こそあえて中年のように言い気を引き締めてはいるが、本当はまだ
人間で言う二十歳程度なのだ。

 ……守ろう。

 ケルシュは、そっと思った。
いつかこの子が一人になった時――自分だけは、ちゃんとこの子を守り続けよう。

 小さな、小さな手で自分の指を握らせながら、ケルシュは笑――


「う、ヨダレ!?」



 ――うことはできなかった。




 子供の成長ははやい。
その子は、もうそろそろ、少女、と呼んでもいいころにまで成長した。
「おばあさまぁ」
 少女は走って、シェルラディスのもとへやってくる。
「あら、気を付けて。転ばないようにね」
「ころばないよ!」
 少女はちょっぴり膨れ面をして、シェルラディスのローブの裾を引っ張った。
「あぁ、引っ張らないの。……あら」
 シェルラディスはその手を離させると、消えた里のたいまつの前に立ち、
指先に小さな火を灯したいまつに点けた。火は揺れながら、本来の仕事を果たす。
その様子を見て少女は、首を傾げてみせる。
「おばあさま、まほうって、そんなにだいじなものなの?」
「あら」シェルラディスは笑った。「難しいことを言うのね」
「だって」少女は膨れた。「かんたんなの、ばっかなんだもん。ちょっとつまんない」
 それはあなたの才能が素晴らしすぎるからなのよ――という呆れ気味の言葉はさすがに言えない。
 少女はその年でありながら、初歩魔法を見る見るうちに完成させ、その上級魔法も吸収していっている。
間違いなく、見たことのないほどの天才だった。シェルラディスもかつては、
天才だ、秀才だと騒がれたことはあったが、ここまで早く魔法をものにはしていなかった。
あまりにも早すぎて、その身にそれ以上多くの魔法を詰め込むのはかえって危険だった。
鍛錬は欠かさないようにとはいってあるが、それでもこの新しいこと、難しいこと好きな少女は最近、
同じことの繰り返しに不満を抱きつつあるのだ。
 それが分かっているからこそ――修道女は、優しく諭す。
「良い? 魔法というのはね、今あなたがおぼえているものより、ずっと多くて、ずっと難しいの。
……もっと多くの魔法を覚えたい?」
「おぼえたい」少女は即答した。「だいじなひとをまもれるんでしょ?」
「……えぇ」少しだけ詰まってから、シェルラディスは答えた。
「おぼえたい。それで、おばあさまとか、ケルシュに、おんがえしするんだ!」
「あらあら」シェルラディスは目をしばたたかせる。「あなたは一体何歳なの? もう」
 少女は笑われたことにまた膨れ面をし、シェルラディスはその頭をなでる。
「大事なものか、そうじゃないかは、あなたが決めること。
でもね、もしあなたが、これからももっともっとたくさんの魔法を覚えたいのなら」
「ちゃんとべんきょうしなさいって、ことでしょ?」
「大正解!」
 屈んで、少女を抱きしめる。少女も喜んで、くっついた。
「大丈夫。あなたなら、できるわ」
「うん。がんばる。がんばって、里のみんなをまもるんだ!」
「本当にあなたは何歳なの?」立派過ぎる目標に、もう一度苦笑した。