ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人

作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

【 ⅩⅡ 孤独 】――2―― page3


 ――セントシュタイン、リッカの宿屋。

 タンタンタンタン、と、キルガはせわしく人差し指をテーブルに打ち付けていた。
彼にしては珍しく、苛立っているのだ。正しくは、不安な思いを不器用にも苛立ちにしか変えられないことに、
本人は気づいていないのだ。

 万が一はぐれたら、リッカの宿屋に集まろう。あの約束が、果たされるとは思わなかった。

 キルガはあの黒騎士と戦ったシュタイン湖の草原に倒れていたらしい。セリアスとシェナは偶然か幸いか、
セントシュタインの街の中に落ちてきた。彼らの下敷きになって負傷者が出なかったのは本当に不幸中の幸いであった。
三人は天の箱舟に乗って落ちたためにそんなにばらばらになることはなかったが、マルヴィナは違う、
彼らよりずっと先に[ひとりで]落ちているのだ。しかも、とんでもなく高い位置から。
 ……師であるイザヤールに痛手を負わされ、竜から襲撃を受け、さらに箱舟から落ちる。
天使とはいえ、あれに無事に耐えられるとは――……。

「っ!!」

 その忌々しい考えを、愚かしい考えを、キルガはやや乱暴に左の拳を額に打ち付けることで、消し去った。
 マルヴィナが、そんな簡単に死ぬはずがない。彼女は生きている。ちゃんと、戻ってくる。

 ――でも。

 遅すぎや、しないか?

 もし、……もし、彼女が、戻ってこなかったら。
そんなはずはない、そんな馬鹿なことがあるはずないと思いながらも、キルガは思ってしまうのだ。
根拠が、ないから。
「……キルガ」
 セリアスが後ろから、キルガの名を呼んだ。彼の前の席に、がたりと音を立てて座る。
「……心配だけど、あまり思いつめると、お前までまいっちまうぜ」
「……それは、そうだが」
「海に落ちていないかとか、獣に食われてないかとか、そんなことまで考えかねないだろ」
 キルガは黙った。……考えかけていた、とは言えなかった。
「……シェナも最近、元気ないしな」
 シェナは一人、借り部屋にこもっていた。大丈夫かと声をかけると、何でもない、大丈夫といって笑ってみせるが、
視界から彼らが外れた途端に表情が暗くなることを彼らは知っていた。
「……やはり、ガナン絡みなんだろうか」
 キルガはふと、そう言っていた。セリアスの表情が強張る。
「セリアスのことだ、気付いているだろ? シェナが、ガナンの名に妙に反応していることは」
「…………………………」セリアスは答えに窮したが、肯定していることはキルガには見て取れる。
「……何か、関係があるんだろう。……さすがにもう、そうでないとは言えない」
「まさか」セリアスは、少しだけ厳しい目を向けた。「シェナがガナンの仲間なんじゃないかとか、思ってないよな?」
 キルガは、一瞬だけ黙った。
「さすがにそれはないかとは思う。……マルヴィナが、気付かないはずがない」
「……ならいいけどよ」
 セリアスは、いつの間にか浮きかけていた腰を戻す。
「……まぁ、な。昔ガナンに捕まってたとか、そういう類ならありかもしんないけどさ」
「…………………………………………………………」
 セリアスが呟いた言葉に――キルガは、ふっと目を開いた。二秒の間、そして、
がたんっ!! と音を立て、キルガは椅子を蹴り立ち上がる。
もちろんリッカやルイーダ含む宿屋内の全ての視線を集めてしまい、キルガは固まってから咳払いを一つすると、
できるだけ静かに椅子に座り直し、セリアスに『耳を貸せ』のジェスチャーをする。
「……セリアス。それ、当たりかもしれない」
「…………。アレ? なんかこんな会話前も――」
「そうすると、いろいろ説明もつく……それかもしれない」
「って聞けよ!」
「まぁいずれ」
「いずれっていつ!?」
 セリアスと話していながら、キルガはつい笑った。セリアスはおっ、と表情を変化させる。
「ようやく笑ったな、キルガ」
「え。………………あ」
「こら。戻るな。どうせ仲間一人足りない時に笑うなんて不謹慎だとか考えていたんだろうけど、
そんなんでお前が変わっちまうことなんかマルヴィナは望んでないだろうよ。ほれ、笑う笑う」
 促されて一度真顔に戻ったのを笑顔に変えられるわけではないのだが、
それでもキルガはここ数日ぶりに表情が和らいだのを感じた。
「まぁ、さ」
 セリアスはそのついでに、自分より少し下にあるキルガの鼻を、ぺちーん、とはじいた。
「てっ」
「マルヴィナなら、そろそろ帰ってくる。あんなことがあったからって、そこで死んじまう奴じゃない……
それはお前だってわかってるだろ?」
「…………………………」キルガは黙った。その通りだ。
マルヴィナはあんなことのあった後に死ぬほど、弱くない。

「……俺の勘だって、悪くはないんだぜ」
 セリアスのおどけた、それでも真剣な言葉に、キルガはひりひりする鼻を押さえ、微笑った。




「……そうかもね」


   ***


 ――それは昼下がり。
午睡の時間の終わった頃。

 ナザムの村娘ラテーナは、香草を摘みにいつものように泉にいた。
が――今日は。その香草を思わず、地面に落として目を見開いた。

 目の前に。
目の前に、大きな白い翼持つ男が、大怪我を負って倒れているのである。
翼……風変わりな、服。金色の少し長めの髪。目は閉じていて、覚ます雰囲気はない。
「あの……っ」
 声をかけても、届くことはない。ラテーナは唇を引き締め、翼持つ男に駆け寄る。




 これは、三百年前の話。
わたしとあの人が出会った、その日のこと。




 村の、その時からほとんど何も変わっていない、村長の家。
「それじゃあ……あなたは本当に、天使なのね」
 その男は――天使は、頭に包帯を巻かれていた。マルヴィナと、同じように。
だが、その頭上に、光輪はない。天使の姿が見えないのは、光輪があってこそなのである。
すなわち、それがない今――その天使は、人間にも姿が見えることになる。
だが、そんなことを知らないラテーナは、感動と歓喜に顔をほころばせる。
「この村は昔から、エルギオス、って守護天使に守られているって、聞いていたけれど。
まさか本当に存在して、目の前にいるなんて!」
 ラテーナは笑い、家の中から、教会のある方向を見た。
光輪なき天使が、何とも言い難い表情で顔をそむけたのは、その時の彼女は気づかなかった。




 ……あの人が、わたしの大切な人。
ずっと探している、たった一人の、天使。




 村に、紅い鎧の兵士たちが並んでいた。
紅い兜、紅い鎧、紅い小手、紅い脛当て、紅い鉄靴。全身を血に染めたような、生々しく不気味な集団だった。
野次馬たちが、じりじりと後退しつつも、村の入り口をふさいだ。その中に、ラテーナもいる。
父である村長セイハンが、進み出た。相手の兵士の中からも、ひとり違う姿の者、
紅いことは変わりないがどこかもっと凶悪で、もっと危険そうな施しをされた武装の兵士が出てくる……代表者だろう。
 両集団の前で、対峙する二人。
「……何か用か」
 村長セイハンの、押し殺したような、異常に低い声。
「うちには、金目のものはありゃせん。とっとと出て行かれるがよろしかろう」
 あぁ、何も挑発しなくたって! ラテーナはぐっと唇を噛んだ。案の定、その兵士は、
けけっ、と妙な笑い声をあげる。
「残念ながら、そうはいかねぇんだなぁ」
「この世の全てはガナン帝国のもの」
 もうひとり、現れた。最初に言葉を発した軽薄そうな兵士と、大体同じ格好。
だがこちらのほうが、冷たく堅い雰囲気を姿から醸し出している。
「そーゆーこと。ぜーんぶ、俺らのもんさ。こんなちっぽけなごみ溜めみてぇな村でもなぁ!」
 村の者たちが、憤る。勝手なことを! 出ていけ! ここはお前らみたいな奴らの来る場所じゃない!
飛び交う声、つぶて。だが、村長はあくまでも、表情を変えない。
「そうとて、出せる物がないことに変わりはない」
「そぉかぁ?」
 軽薄な側が、言葉の端に笑みをのせて、言う。「そうでもねぇぜ。たとえば、そこにいる娘とかな」
 ラテーナは、目を見張った。わたし!? 身体中に、雷が走ったようだった。
「娘を差し出せと言うのか!?」
「さっきもドミールで一人な。なんかすげぇ賢者っぽいし、使えそうなんだわ」
 質問には答えず、軽薄兵士。堅そうな側は、黙っているのみ。
じり、と、ラテーナは後退した。後ろの住民に当たり、思わず目をそらす――と、その腕をねじ伏せられる!
「うっ!!」
 住民が慌てて逃げる。ラテーナはもがいたが、どうにもならない。
セイハンがラテーナの名を呼び駆け寄ろうとするが、他の兵士に邪魔される。拳が振り上げられる。村長が危ない――





 ―――――――――――――――――――――!!!





 言い表せない轟音と共に、その兵士を、[本物の]雷が襲った。
目を見張るラテーナ、雷を喰らい次々頽れる兵士たち。腕をつかんでいた兵士には、最も大きな雷が襲った。
ラテーナは尻もちをつき、そのままじりと後退り、そして雷の生じた場所を見る――
 ばちり、と手から音を立て、そこに怒りの形相で立っていたのは、翼持つ者の陰――

「貴様、まさか、天使……っ!? ――くそっ、退却だ、退却しろ――――――――――ッ!!」




 ――意識が、途切れる。






 マルヴィナは、しばらく固まっていた。
流れ込んできた記憶。倒れていた天使。守護する者の名、そう、

 エルギオス―――――――――――――――!!

 間違いない。彼は、あの天使は、エルギオスだ。
師匠の、師匠。すなわち自分の――大師匠!

 行方知れずとなっていた、『大いなる天使』の姿!!

『わたしのせいで、彼は――……』
 ラテーナは、呟いて……だが、気をとりなおすように、マルヴィナに向き直り、笑った。
『返してくれて、ありがとう。お礼に、わたしにできることを、何でもするわ』
「えぇっ!? そんな、……」
 そんなこと気にしないで――と言おうとして、思いとどまる。
「……えっと。じゃあ、一ついいか?」
『……? どうぞ』
 マルヴィナは少し考えると、先ほどのティルとの会話をまとめ直し、そして言った。
「あの……魔獣の洞窟に、入りたいんだ。その封印を、解いてくれないか?」
 ラテーナはその要求に、少し意外そうな顔をする。
『構わないわ。……でも、なんだか意外ね。そんな願いで良いの?』
「それが今一番の願いだし、天使が欲をかきすぎるのもどうかと思うから」
『……そう。やはりあなたも、天使だったのね』
 ラテーナは言い、首飾りに目を落とした。目を細めたその様子に、マルヴィナは何かを感じたが、
それを詮索したりはしなかった。 
『いいわ、先に行っているから……あの封印を解く呪文なら、ちゃんと覚えているわ』
 ラテーナはそう言うと、森の向こうへ歩いて行った。

 記憶を見せられた時間は、どれほどだったのだろう。いつしか、朝日が近くの山に近づいていた。