ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人

作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

【 ⅩⅢ 聖者 】――2―― page2


 ――行くんじゃなかった。
セリアスは、表現できない思いを巡らせながら、外へ出た。


 泣き崩れたまま動かないシェナにかける言葉が見つからなかった、否、かけるべきでないと思った。
それ以前に――彼女を、ひとりにしてやるべきだと、思ったのだ。
……そう、行くべきでは、なかった。

 “ ―凄く、凄く嫌いだった― ”

 シェナの言葉に、偽りはなかっただろう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 その前に言葉が足りなかっただけで。



 そう。
彼女も、ディアのことを、どこかで好きだったのだろう。
 ・・・・・・・・ ・・・・・
 好きであるゆえに、嫌いだった。

 好きになってしまう彼が、嫌いだった。

「………………っ」
 セリアスはかぶりを振った。里長の家の前、少し離れた位置にある小さな墓。
そこに刻まれた名は、ディスティアム。
その前にしゃがみ込み――セリアスは、その名を、じっと見た。
 ディアの面影が――彼にも、見えた気がした。
……お前、あいつを、どう思ってんの?
影は、そう言っているようにも思えた。

「……俺は、」
 彼が紡ぎだそうとした言葉は――しかし、声にはならなかった。




 ――その日の深夜。

 ………………………………。

 何かが、呼んでいる。

 ………………………………。

 何かが、呼んでいた。
「………………………………っ」
 マルヴィナは、眸を閉じながら――その『呼び声』が気になって、寝付けずにいた。
むくりと起きて、頭を振る。睡眠薬は全く効かない。……耐性でもついたのか?
 マルヴィナは立ち上がり、羽織物を着て部屋の外に出た。足音を立てないように、階段を下りる。
いつもは聞こえてくるはずのセリアスのいびきが聞こえなかった。彼にしては珍しく、起きているのだろうか。
帰ってきた彼は、これもまた珍しくどこか元気がないように見えた。気になって声をかけると、
いや、大丈夫、と答えられたが、何でもない、とは言わなかった。
 ……いつも明るい彼が見せたあの表情――心配するなという方が、無理だった。
だが、その表情に隠されたのは、訊かれることを拒絶するような、何かの思い。
訊けるはずが、なかった。

 シェナの容体はよくなってきている。また、これからの予定を考えなければ――
思っているうちに、外に出てしまった。
空を見上げる。真っ暗な空。火山の光で星は見え辛い。

 ……三百年前。シェナがガナンに捕まり、ラテーナも狙われた。
恐らく、ガナンがナザム村に来る前に捕らえた賢者というのが、シェナ。
 ……それから、三百年、彼女は何処も変わっていない、とラスタバやケルシュは言う。
空白の時間? 一体、何があったのだろう。聞くところ、竜族の時間は天使とほぼ同じだ。となると、
五百五十年生きた者は、師匠やキルガの師ローシャ、
そしてラフェット―師匠を思い出したとき、また暗くなった―よりも、少し若いくらいである。
そう考えると――どう考えても、歳が合わない。
何があったのだろうか。……でも、訊いても、いいのだろうか。
そこまでずけずけと、訊いてしまってもいいのだろうか。ガナン帝国絡みのこととはいえ。
 ……そう、ガナン帝国。すべての元凶は、ここだ。
三百年前の悪行を、多くの人々から聞き出した。
内戦。革命。戦争、戦争、戦争―――……。
争いばかりの、国。ドミールの民は帝国を、別称で呼んだ。

『魔帝国ガナン』

 あの国の皇帝は、魔物だ。
そう言って名づけた、異名。



“ ―願い下げなのは、こっちも同じだ― ”
“ ―仲間を……わたしらの大事な仲間を侮辱する者に、もう用はない― ”
“ ―どうだっていい、とにかく仲間を侮辱する者に、手など借りない!― ”


 光竜グレイナルに、そう啖呵をきったことは、後悔していない。けれど。
けれど、本当に、自分たちの力だけでどうにかできるのか。
女神の果実を七つも奪われ、師匠が手を貸し、完膚なきまでに打ちのめされた闇竜がいる、あの帝国に。

 ……でも、もし。
    ・・・
 もし、あの人がいたら?



       ・・
 額に触れる。彼女がいたら。  ・・
この傷をあっさりと治して見せた、彼女がいたら――


 ――――彼女?


 あれは、女だったのか?
「…………………………え?」
 マルヴィナは顔を上げ、あたりを見渡した。
何のために? 分からない。けれど、何故か、そう、何故か――……。





「――――――――――――――――――――!!」





 ぴん、と。何かが、弾かれた。
否、何かに、弾かれた。
そんな感覚。そんな気配。だけどそれは、それは――……!!

 振り返る、風が吹く、髪が躍る、暗闇の中、目を見開き、四肢を封じ、警戒をして、対峙する。


 ――そこに立っていた、黒外套と。


「あなたは―――……!」
「あぁ」


 黒外套は、口元だけで、





「初めまして、か――わたしの名は、チェルス」




 笑う。




 今まで、いきなりの展開、なんてことは何度もあった。
けれど――ここまで本当にいきなりすぎる状況は、なかったと思う。

 そう思えるほどに、マルヴィナは混乱していた。


 ……チェルス。
マルヴィナの出生の鍵となった者。



 ……の、はずだった。



                フード
 人目を気にするようにかぶられた頭巾、ざっくりと切りそろえられた前髪は――黒?
辺りが暗すぎて、よく見えない。けれど、見えないけれど――
 ・・・
 見える。

 彼女の姿が、見える。
 ……霊であるはずの、姿が、はっきりと。
「あなたが、わたしの――……」
「ようやくだね、マルヴィナ」
「………………………………」
 マルヴィナは、答えなかった。だが――胸中では、はっきりと言った。



 ――違う。

 何か、違う。
分からない、何か、だけでははっきりしない。けれど、これだけは言える。・・・彼女は、

 目の前にいる者は、チェルスじゃない!

(………………)
 胸中でも黙り、マルヴィナは相手に気付かれぬよう、深呼吸した。
            ・・
「……あぁ、初めまして。マミから訊いている。あなたのことは」
「……む」  ・・  ・・・・
「……だから、マミ――マラミアだよ。……まさか、仲間の通称、忘れていたりしないよね?」
 いきなり、鎌をかける。大胆に、切り込んでゆく。
「……あぁ、マラミアか――そういえば、そんな通称だったな。正直、忘れかけていた」
(……………………ちっ)
 内心で、舌打ち。綺麗にかわされた。……本当は、チェルスのことを教えてくれたのは、マイレナだ。
けれど、マイレナより、マラミアの名を出した方が、相手の反応をうかがいやすいのではないかと――
そう、咄嗟に考えた。
だが、所詮浅知恵だと思い知らされる。これじゃ駄目だ。何かないか。
いや、そもそも、相手が偽物なら―偽物だと、確信はしているが―狙いは何だ?
自分に最も関わりがあるだろう者の名を語る奴は、何者で、何が目的なのだろうか。
 考えろ。考えろ――奴の化けの皮を剥がす何かはないか。何か――

(……駄目だ!)

 何も、思いつかない。こういう時、頭の回転の速いキルガやシェナを羨ましく思う。
自分は、何も思いつけない。どうする。どう、する――……?
「……あなたのことを、訊いていいか」
「……ん? ……あぁ、だけど――記憶は曖昧だよ。さっきみたいにね」
「……………………っ」マルヴィナは唇を噛んだ。

 ―― 一か八か!!

「あなたは――」





「はいはい、茶番劇はそこまで」

 マルヴィナが言葉を発するより前に――上空から、気の抜けた一つの声がかかった。

 マルヴィナが驚く、だが、黒外套の驚きはもっと大きい。「なっ――まさか!!」その声が低くなっていて、
マルヴィナは連続してぎょっとなる。
「アンタ帝国の奴? 人間? ま、下っ端だろうね。わたしの『子孫』から何聞き出したいのかは知らんが――」
 マルヴィナは、その姿をようやく見出した。
教会の上、竜を模る像の横。もう一人の、黒外套――だが、そちらは。
「あんたはお呼びじゃあない、さっさと帰って叱られていなッ!!」
 言うが早いか、その黒外套は右手を勢いよく払った。ごう、と音がする。刹那生じた、それは真空波!!
「がっ!!」
 過たず偽外套を襲った真空波が消えたとき、マルヴィナはみたび、驚きの声を上げる。
「あなたは……カルバドの!」
 たった一撃で傷だらけとなったそいつは、カルバドでマルヴィナが逃がしたガナンの者だった。
そいつは悔しげな、自棄になったような表情をすると、這う這うの体でそこから逃げ出した。
「ちょ、待――」
「追わなくていいよ、マルヴィナ」
 ばさりと外套を翻し、黒外套はそう言った。「あの女装野郎は、もうそろそろ見捨てられる」
「え、でも」
「助けるべきじゃない。――奴は魔物さ」
 その言葉に、自分の言葉を、飲み込んだ。訪れた静寂を境に、マルヴィナは、教会の上を見た。
 ――見える。彼女も、見える。けれど、今度は、今度こそは――……!


「“マタアトデ”――」


 その、言葉は。





        ・・・・・
「……今度こそ、初めまして。わたしが、“天性の剣姫”マルヴィナの“記憶の先祖”にして
“蒼穹嚆矢”の称号を持つ者――」

   フード
 その頭巾を、おろして。





「――名は、チェルス」





 本物は、そう言った。