ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人

作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

【 Ⅹ 偽者 】――3―― page2


 茶色の陰が横ぎる。それを追うように、蒼い影もまた、動く。
この動きは、何度繰り返されただろう。

 戻って、カルバド。集落の中央の広場で、ナムジンと魔物が一対一で戦っていた。
魔物――即ち、ポギーである。
互いに目が険しい。叫ぶ遊牧民。期待の眼差し、歓声。余計な緊張を与える。

 が、遊牧民たちのその緊張が高まった時――ナムジンの前で、ポギーは仰向けに、倒れた。
今日一番の歓声が起こる。ナムジンは今更吹き出した汗を拭い、一瞬間を開けてからすとん、とへたり込んだ。
「ナムジン様が勝っただ――!」
 言わずともわかることを、説明癖の多い遊牧民の何人かが叫んだ。
族長が高らかに笑う。よく響く――と言うより、上から降りかかるように感じるほどの大きな笑い声であった。
ここで彼は、よくやったとでも言うのだろう。
シャルマナは――口元の薄布のせいで表情が分かりにくいが、おそらく口の端は持ち上がっていることだろう。

 ――いよいよだ。

 ナムジンが泣き笑いを作り、何かを言いかけた時――ポギーが、びくりと動いた。それは、誰もが見て取れるほど。
 まだ生きているとか、不死身かとか、そんな声が上がる。が、族長はそれを見て、どこかまだ笑ったまま、
大詰めだ、止めをさせと言う。ナムジンは顔を上げる。遊牧民たちの視線が集まる。
 間をおいて、ナムジンが、ナイフを振り上げる――

 緊張の一瞬――





「今だッ!!」





 誰よりも、族長より、民たちより、いっそう大きな声で、ナムジンは叫んだ。


 勢いよくポギーが跳ね起きる。ナムジンの降ろされかけたナイフは方向を変えられ、狙いは――シャルマナへ。
ナイフとポギーが、二方向からほぼ同時にシャルマナを襲う。不意を突かれ、咄嗟にシャルマナはバリアーを張った。
辛うじて、シャルマナの方が早かった。バリアーに邪魔され、ポギーは手前で動けなくなる。
破られまいと必死に抵抗するシャルマナ、唖然とする草原の民。
「最早これまでだ、シャルマナ! 正体を現せ!」
 ナムジンは叫ぶいなや、腰に吊っていた筒の中の液体――アバキ草を、そのままシャルマナにぶっかける。
バリアーが消え、ポギーが飛びのき、マルヴィナたち四人がナムジンの元へたどり着く。
バリアーの反動に巻き込まれて膝をついていたラボルチュが声を上げる。
「ナムジン、貴様正気か!?」
 誰もがそう思うだろう。臆病で、優柔不断だった息子が、いきなり[暴挙]のようなものに出ているのである。
 が、ナムジンは、その彼に鋭く言いかえした。
「あなたが信じたものの正体を、その目でお確かめください!」
 言われずとも、そうしてしまう。
シャルマナ……シャルマナがいた場所から、毒々しい濁った紫の煙が立ち込める。
遊牧民たちはもう説明する気になれない。誰もが、目の前のありえない、悍ましい光景を見つめることしかできていなかった。
 高くも低くも聞こえる呻き声が轟く――立ち込めていた煙が、一瞬にして散った。
中にいたものの姿を見て、何人かは失神した。何人かは声を失った。最も多かったのは、やはり――“恐怖に叫んだ”。

 人間の何十倍あるだろうか、至る所の肉が垂れ下がった、ぶよぶよに膨れ上がった紫の魔物、粘り気のある唾液、
痺れを感じさせる瘴気。
紛れもない、それは、魔物。
術師シャルマナの、本当の姿――……。



「化けの皮がはがれたな、シャルマナ」
 想像していたものの数倍もおぞましい姿に、先ほどより吹き出す冷や汗を何とか悟られまいとしながら、ナムジンは言う。
大人一人分の顔ほどもある目が、揃ってナムジン、ポギー、マルヴィナたち四人を睨みつける。
「おのれ人間……貴様らごときに、何故わらわが……!」
「俺らは人間じゃねーよ」
 ぼそりとセリアスがいい、後ろからすかさずシェナに蹴られる。
「何故と言われても」奮い立つように、答える。「これは結果だ。彼女たちが作ってくれた好機を利用しただけのね」
 マルヴィナがナムジンの肩を叩く。笑みさえ浮かべて、頷いて見せた。
「貴様ら……このわらわの姿を見て、生きて済むと思わぬことじゃ!」
「生憎ながら、思ってはいない。……わたしらが手にしているものが、目につかないか?」
 剣と、槍と、斧と、弓、そして、短刀。ポギーは、その爪。
いずれも、武器――



「僕らは、お前を斃す、シャルマナ」
 ナムジンが言い――本当の戦いが、はじまる。


 セリアスが隙をつくらせる。キルガとシェナが守備の援護呪文を唱える。
マルヴィナは、敵の視界から外れる位置に動いた。
 今回は、魔術を操る者との戦闘である。物理的な攻撃を主体とするものと違い、魔術師は、多彩な攻撃、
あるいは援護の魔法を使ってくる。ただ無謀に突っ込んで行くだけでは、邪魔な負傷の元になりかねない。
だからこそマルヴィナは、初めは動かずに、仲間たちと、敵の動きを観察する。
そうしてから、参戦するのだ。



 固唾をのんで観戦する遊牧民たちの中に、その場を静かに離れたものがいた。
誰にも気づかれていないことを確認し――そのまま、包の陰へ隠れる。
しばらくの静寂が続き――しばらくして、その者の小さな声が聞こえた。
「……はい、間違いありません。はい……あぁ、いえそれはまだ……どういうわけか、先程から動いておらず……
はい? ………………。……御意」
 無線から聞こえる声に向かって敬礼し、その者は通信を切る。
「…………実力、か……あんな小娘の、どこを警戒しろと……」
 溜め息を吐かんばかりの表情で呟き、その場で、繰り広げられる戦闘を観察する。
その視線の大半は――やはりまだ動かない、マルヴィナへだった。



が、ようやく彼女は動き出す。
シャルマナが 爆発呪文_イオラ_ を唱えた時、叫んだ。
「シェナ、攻撃呪文を! セリアスとナムジンは下がって、キルガはシェナの防衛、ポギーは……」
 言いかけて、ポギーにはどう伝えたものかと考えてしまう。轟く爆発の威力を盾で軽減し、マルヴィナは
ごめんとりあえずナムジンについていて、と言ったが、爆音が邪魔して伝わったかどうかは定かではない。
ともかく、その音が収まりかけた時、シェナからの攻撃呪文がシャルマナに向かった。闇力呪文_ドルクマ_。
過たずそれはぴしゃりと敵に当たり、シャルマナは低い音――いや、声で呻いた。隙が生じる。
そこを、残った四人と一匹が狙う。隙が出来た時、シャルマナは先ほどから右の手に握る杖を振り回していた。
その動きに注意すればいい。
手の振られた方向にいたのは、セリアスだった。それを難なくかわし、一気に間合いを詰める。
 決める――



 そう、思った時、皆の武器の動きが、いきなり減速した。
視界がぐにゃりと歪んだのである。
「なっ……こ、れって」
「幻惑呪文_マヌーサ_ ……!」
 対象者を幻で包み、視界を邪魔することで、肉弾戦のミスを誘うもの――かつてマルヴィナも、
魔法戦士の時に使ったものだった。
「う、くそっ……そんな呪文持ってたのかよっ」
 セリアスが悪態をつく。
「悪い、わたしのミスだ」マルヴィナが唇を噛む。
「そんなのは関係ない、……シェナ、悪いが少しの間、攻撃を頼みたいっ」
 キルガの声に、シェナの了解の声が聞こえる。どうやら幻惑を免れたのは彼女だけらしい。
「……急いだほうがよさそうね。……………………」
 シェナは呟くと、両の手に力を込めた。息を吐く。腕を伸ばし、手を顔の位置まで上げる。
(上手くいくかは分からないけれど――)
 ぶつぶつと、長い、今までの何よりも長い呪文の前唱を詠む。
長いまつげが持ち上がり、シェナはカッと目を見開き、唱えた。
早口で、彼らには聞き取れなかったその呪文は、先程の闇力呪文と同じ系統のものだった。が――先ほどより大きく、
先程よりも強い力を感じる。

 それは、闇大呪文_ドルモーア_ 、闇呪文系統上位クラスの魔法であった。

「決、まった……!」
 シェナが疲労からくる冷や汗を滲ませて言った。シャルマナの叫びが、再び聞こえた。
これで終わった――そう思ってほころんだ頬を、一瞬のうちに締める。
 終わっていない。
まだシャルマナは、立っていた。
どうやら、初めての呪文であり、また相手がとんでもない巨体であるため、急所を微妙に外したらしい。
 マルヴィナはまずい、と唇を噛む。シェナは膨大な魔力に疲労してしまっている。
一撃必殺の攻撃だったのだろう。だが、それはかなわなかった。
 残るものが次なる攻撃を仕掛けなければならないのに、
視界が歪んだ状況では、攻撃どころか、防御も思うようにいかない。
(……わたしも一発勝負を決めるべきか……?)
 だが、決まらなかったら? こちらに不利な状況をつくることになる。
やるべきか、否か。


(……やろう)


 マルヴィナは、そっと決意する。
(シェナが決意したんだ。……わたしだって)
 マルヴィナは、いっそのことならと目を完全に閉じ、息を整えた。
脳裏に、二つの陰を思い浮かべる。唇に、手を当てる。


(………………来い、聖狼……!)


 そして、長い口笛を一つ、高らかに吹いた――。