ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人
作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

【 Ⅸ 想見 】――2―― page2
面影はどこにもない。
よくよく見てみれば愛嬌のあった顔は、今や別の物となっていた。
手の甲に乗るほどしかなかった身体は巨きく膨れ上がり、あどけなさのあった眸は生々しく光っていた。
ずらりと鋭い犬歯が並ぶ。かすり傷程度しかつけさせなかった爪は、硬く、大きく、
今では人ひとり切り裂くくらいを簡単にやってのけそうなほどであった。
「ば……化け物っ」
侍女が思わず叫んだ言葉に反応したアノンは、ぎるり、とその侍女に目を向けた。
もう一度盛大な悲鳴を上げた侍女はそのまま失神する。
部屋を揺らし、水飛沫を上げ、足音を立てて。アノンは――アノンであったものは、沐浴場の井戸へ向かう。
明らかに自分より狭いはずのそこへ――飛び込んでいった。
「………………………………」
皆が皆、あまりの急展開に絶句した。
沈黙が破られたのは、ようやくマルヴィナとシェナが状況を確認できるほど冷静になった時である。
何かが変わっている気がした。何か、何かが、欠けているような――
「―――――女王は?」
シェナの呟いた声は、静かなそこに、大きく響いた。
ユリシスの姿がなかった。マルヴィナが沐浴場の入り口を確認する。しっかりと、鍵がかけられていた。
「まさか」
全員の目が、今度は井戸に殺到する……。
「おっす、久しぶりだなぁ、キルガ!」
一方、何も知らない締め出された二人。
キルガの一番の目的であった、“聖騎士団修道院の様子を見に行く”は、今ようやく実現されたのであった。
「お久しぶりです、マリレイさん」
「おうおう。今回の賭けも、俺の勝ちだ」
「は?」
いやこっちの話、とはぐらかすマリレイの横からすかさず精霊オルンのツッコミが入る。
『おめえがまた戻ってくるかどーか、賭けてやがったのさ。ったくしょー懲りのねえ』
「………………………………これで僕が賭けの対象にされたの、三回目ですよ」
「いや五回目だ」マリレイ、あっさり打ち砕く。
「まず怪我してたお前が目を覚ますかどーか、立ち上がれるようになるまで何日か、紹介の日に何人
若い女が集まるか、槍術で何人勝ち抜くか、んで、今回の賭けだな。二つ目以外は全部勝ってんだぜ」
「……………………………………………………」自慢げに話されても困る。
「………………あの、賭け、好きなんすか?」
セリアスが何となく居心地の悪さを感じ嘴を挟む。マリレイは慇懃に笑うと、あったりめえだ、と頷く。
「俺たちゃ中年男の聖騎士は砂漠の民と槍とダンスと賭けをこよなく愛す! これ、基本だぜ」
「いや俺バトルマスターなんで。基本とか言われても」
「む? むむむ? ……おお、おめさん、バトマスかよ! あーこりゃ、いい人選じゃねーか!」
「………………………………?」
セリアス、フリーズ。
「だからな。聖騎士とバトマスだ。知らねぇのか? この二つは、対にして同じ存在だ。だからさ」
キルガは、目をしばたたかせる。なんだそれ、と首を傾げた。
が。
「…………あぁ! なるほど、すげぇや。そんな考え方もあるんすね!」
セリアスが難題を解いた時のような、清々しい表情でそう答える。キルガは唖然とした。分かるのかよ、と。
「いやー、何かいいこと聞いた気分だなぁ。ありがとうございますっ」
「はっはっは、褒めても何も出さんぞ」
「セ、セリアス」キルガは満面の笑みのセリアスをつつく。「どういう意味だ? それ」
「え? キルガ、分かんねぇの?」
「全く」
「意外だなー。……でも、これは、俺がさらっと言っちまうと意味ないと思うぜ。少しは考えろ」
「…………………………だよな」
キルガは溜め息をつく。そういえば、ハルクさんに言われた“攻撃こそ最大の防御”の意味もまだ分かっていない。
このままでいいのか自分、と自分自身にツッコんでから――キルガは、思い出した。修道院を訪ねた理由を。
「……そういえば、ハルクさんは……」
その名を出した時、マリレイは、あー……、と歯切れを悪くした。
「……まだ、だな。まだ、帰ってきてねぇよ。……俺たちも、待ってんだがな。あの人の槍の一喝をさ。
……何で首にされちまったんだろな」
確かにその通りだ。納得いかなかった。……だが、それは今更だ。
「そう、ですか」
キルガはそれだけ答えた。
そのしばらくの後。
「っキルガさ――ん!! セリアスさ――ん!! お見えでしたら、お返事お願いいたしま――――っす!!」
……そんな声がした。
それは、先ほどのあのジーラであった。
「とわあぁぁあぁああ――っ!!」
奇妙な悲鳴を上げ、どででばっきんどかぐしゃかーん、などの音を立ててマルヴィナは転がり落ちた。
地下へと続く梯子がヌルリと滑り、ついでに手も滑ったのである。
……沐浴場から続く、井戸の中。
逃げたアノンとおそらくともにいるであろうユリシスを探すべく、マルヴィナとシェナはそこへ飛び込んだ。
行く前に、荷物をまとめ出て行きかけるジーラに、キルガとセリアスへの言伝を頼んだ。
特別許可で入れるようにしてくれ、と。
……が。実際中に入ってみると、かなり入り組んでいる。一体誰が何の目的で作ったのだろう。
合流するまでに時間はかかりそうだし、第一むんむんの湿気にヌメヌメの床、悪寒を与えるしか使い道がなさそうである。
実際、マルヴィナはこうやって滑ったわけである。
「うへぇ……ドロドロだぁ。気持ち悪……」
「だいじょーぶマルヴィナぁ?」
まだ降りて来ていないシェナが、上から覗き込んでくる。
「身体的には大丈夫だ。精神的には最悪だ。……気をつけなよ? 本気で滑るから」
「んー、まぁ、慎重――」
ずるり、と不吉な音が聞こえる。
「わきゃあああっ」
次いでシェナ、標準的な悲鳴を上げ、どどどぽきっどすっどっしーん、などの音を立ててマルヴィナの上に落ちる。
「重っ」
「失礼なッ」
思わず素直な意見を述べたマルヴィナに、すかさずシェナチョップが入る。
「痛っ。仕方ないだろ本当の事な――あ、イヤ」
「…… 闇力呪文_ドルクマ_ でも食らう? マルちゃん」
誰がマルちゃんだ、と抗議したかったが、先に殺されそうなのでいいえスミマセン、と謝っておいた。
マルヴィナとシェナが地下水路奥部でそんなアホな会話をしていたころ、キルガ、セリアス、そしてジーラは、
井戸に入って間もなく、集まってきた魔物たちに囲まれていた。
「そ、そんな。こんな所に、魔物がいたなんて……」
ジーラは後退りする。キルガは聖騎士として、ジーラの防衛を第一に考えることにした。
「セリアス、どうする? 戦うか?」
「いや……俺ら二人で、回復なしでこんだけはキツいだろ。……隙見て、突破する」
「従おう」キルガは、万が一を考えて、とりあえず槍を手にしておいた。
セリアスがきっかけを作る。魔物に攻撃する素振りを見せ、輪を乱す。そこに生じた隙を狙い――走る!
「っしゃ、上手く――」セリアスが叫んだ時、ジーラが脚をもつれさせ、その場に倒れた。魔物が狙う。
「その行動を後悔しろっ」キルガは気合一閃、魔物を薙ぎ払う。
やるじゃん、と言ってから、セリアスも加勢した。
絶命した同士に怯んだ魔物たちを置き去りに、ジーラを助け起こしてからその場から去る。
「申し訳ございません」ジーラが小声で謝る。
「気にすんな、助かったからいいじゃないか」セリアスは自然にフォローする。
「だけど……無理はするなよ。本気で、城内で待っててもいいんだぜ?」
「いいえ」
きっぱりと、断る。「大丈夫です。女王さまのご安全が第一ですわ」
「……」セリアスは黙る。そして、さっきから気になっていたことをついに、問う。
「……何で、そこまで女王に尽くそうとするんだ?」
セリアスは確かに聞いた。女中たちの本心を。
“女王がいなくなってせいせいした”
“おべっか使わなくて済む”
“これで国も安泰だ”―――……
「女王さまは」
ジーラは、唇をかむ。
「……ユリシスさまは、孤独なお方なのです」
……そして、走りながら、語りだす――。

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