ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人

作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

【 ⅩⅡ 孤独 】――1―― page1


 マルヴィナは茫然とした表情のまま、しばらく目を開けたり閉じたりする。
ピントが合ってきた――そして、先ほどの声の主の少年を見る。
「……大丈夫?」
 マルヴィナはしばらくそのままその少年を見て――そしていきなり状況を若干理解して勢いよく起き上がり、
「っ」
 頭の痛みによってそのままぱたんと倒れこむ。
「あっ、だめだよ、まだ起きちゃ! けが、治ってないでしょ」
 言われて、改めて気づく。頭に、いかにももうすぐ外れそうな包帯が緩めに巻いてあった。
きっと、慣れない人が手当てしてくれたのだろう。マルヴィナは少しだけ苦笑した。
もしかして……と、マルヴィナは思ったことを尋ねてみる。
「これは……君が?」
「あ、うん。……やっぱり、下手かな?」
 聞かれて、まさか子供とはいえ親切に手当てしてくれた人に対して悪い意味での正直なことを言うわけにもいかず――
と思っていると、いきなり包帯がずるりと滑り、二人の間にポサリと落ちた。
 二人は呆けた表情でそれを見、そして顔を見合わせ……ぷっと吹き出す。
が、少年の表情が、マルヴィナの晒された頭部を見て曇る。そんなに思わしくないのだろうか、とマルヴィナは
自分の背嚢を探し、鏡を取り出して(シェナにせめて女の子は云々と言われて持っているのだが、せいぜいが
太陽に反射させて火を起こすのを手伝うのに利用される程度である)傷を確認し……顔をしかめた。
晒されていたその頭部に見えたのは――右の眉の上から、左の髪の生え際までざっくりと深く刻まれた、生々しい傷である。

 これはさすがに、治らないかもしれない……マルヴィナは、大袈裟でもなくそう思った。
まず、傷の具合からして、負ってから二日ほどは経過しているだろう。にも関わらず、塞ぎ切っていない。
それほどまでに傷は深いのだ。しかも、炎症を起こしかけている。
まずいな、とマルヴィナはそっと思った。そういえば、熱っぽさもあったのだ。
相当ひどい打ち付け方をしたか、妙なところに当たったか、天使の力が薄れてきているのか……いや、最後はないだろう。
なんだかんだ言って、こんな傷を負いながらも生きているのだから。
「……大丈夫?」
 同じことを言って、少年が再び覗き込む。マルヴィナは慌てて頷くと、簡単に手当てし、包帯を巻きなおし始める。
「えっとね……ぼくはティルっていうの。で、ここはナザム村だよ」
 ここは何処かと、その途中に聞くと、少年ティルは親切に教えてくれた。
ナザム村――確かエルシオン学院の抜き打ちテストで、マルヴィナが埋められなかったところだ。
確か地図の南西にあり、さらに西に行くと、崖の上に里があったはずだ。
ドから始まったのは覚えているのだが、頭がぼうっとしてまとまらない。
 次いでマルヴィナは、ほかに三人、旅人がいないかと、ティルに尋ねた。一人だけいるよと言われ
一瞬ほっとした表情をしたが、その一人とは数日前から滞在しているという全くの別人だった。
となると、皆とは完全にはぐれたことになる。
……別々になった時、セントシュタイン城のリッカの宿に集まろう。
いつか決めた約束を、思い出す。
 マルヴィナも名乗り、挨拶を交わす。そして、感謝の言葉をティルに向けた。
素直な気性らしく、少年特有の純粋な笑顔を見せる。
「えへへ、どういたしまして。それにしても、マルヴィナさんって、きれいだね」
「――へっ?」
 面と向かって言われ――自分が割と多くの人々からそう思われていることはやはりまだ自覚しきれていないが――
マルヴィナは、頓狂な声をあげる。もちろん先に述べたように、ティルは十あるかどうかに見える少年。
深読みする言葉ではないのだが……それでもマルヴィナは、その言葉を曖昧ながらにも受け止めた。
そういえば。ティルの歳のことを考えたときに思った。ここまで運んでくれたのは誰なのだろう。
まさかこの少年一人ではないだろう。
マルヴィナがいくら軽いと言えども、少年の力で運ぶことは天使でない限り不可能である。

 がちゃ、ぎぃぃ……と木のきしむ音がした。扉が開いている。その先は外らしい。
扉は一つ。一部屋しかない家のようだ。古めかしいとは思っていたが、予想以上に昔からある家のようだ。
入ってきたのは、いかつい顔立ちに、妙に多いしわと目立ち始めた白髪、口ひげを蓄えた、四、五十代の初老の男。
深緑のシャツというには長い服の上に、黄土色の使い古したベストを纏っている。
ティルの父君だろうか、とマルヴィナは幾分か姿勢を正した。マルヴィナが口を開くより早く、
その男は、マルヴィナを無遠慮に睨んでから「……ようやく起きたか」と低く鋭く言った。
その声の中に含まれた敵意、あるいは、歓迎されない何かに、マルヴィナは少しだけ困惑したように眉を動かした。
「あ、はい、おじさん」
「そう呼ぶなと何度言ったらわかる」
 ティルの言葉への反応にも、同じような響きがあった。親子じゃない……?
マルヴィナはそのまま、会話を黙って聞き続ける。
「……ごめんなさい、村長さん」
 村長。……村長か。静かに、納得する。……長がこれなら、住民はどうだろう。
マルヴィナはなんとなく想像がついて、だがそれでも、家に上げてくれたことへの感謝は述べる。
 だが、村長はマルヴィナの言葉を無視し、あくまで厳しく、冷たく言う――それは命令口調。
「今夜、寄合を開く。紅石の刻(この世界の約午後7時)、教会に来い。それまでならこの村に留まることを許してやる」
 さすがにここまで傲慢に言われると、マルヴィナの性格上言い返したくなる。
だが、今は怪我の身、自由に動けない。下手に反論して新天地でもあるこの大地に放り出されては、元も子もない。
マルヴィナひとりに向けられた言葉でもある。……自分が抑えれば、それで良い。……良いのだ。
「分かりました」マルヴィナは返答する。「けれど……仲間がいます。彼らと連絡を取ることは」
「出したのは滞在許可のみだ。他の者を連れてくることなどなおさら許さん」
「…………」
 なんとなく想像していた答えに、マルヴィナは口をつぐんだ。
 ティルは居心地が悪そうに、先ほどから村長とマルヴィナを上目づかいに交互に見やり……
そして結局は、どこともつかぬ場所に目を落とした。



 夕方近く、マルヴィナは村の外に出てみた。
小さな門、近くにある看板。いかにも不愛想に、そっけなく書かれた『ナザム村』の文字。
川が流れ、井戸があり、こぢんまりとした家々があり、畑があり。
歩き慣れたものにしか通れそうにない小道があり、水車があり、少し綺麗な教会があり、酒場があり、武器屋があり。
そして、血の跡の目立つ桟橋が、あった。マルヴィナは顔をしかめる。どうやら自分はそこに倒れていたらしい。
……その周りの柔らかくなった地面に集中する、数々の足跡。
物見。だが、誰も助けない。本当にあったことが、マルヴィナには容易に想像できた。
住民たちも、マルヴィナを異様な目で眺めてくる。分かりやすく顔をそむける者までいた。
それは、村が余所者を異常に嫌っていることと、
あれだけ死にそうな怪我を負っていた娘が短期間で歩き回れるようになったからだ。
 ウォルロ村で、リッカに助けてもらったばかりのころを思い出す。嫌悪、好奇、不審、侮蔑、恐怖。
それらの、決して受けて気分の良いものではない目を受けたあのころに似ている。
「余所者が。さっさと出てけよ」
 だれかが、ぼそりと、だが聞こえるように言った。
「この村に変な空気を持ち込むな、余所者が!」
「………………………………」
 マルヴィナは反応しなかった。あくまで、しなかったのだ。
理不尽な言葉に、相手かまわず言い返し、正しいと思ったこと、自分の正義を貫いていた頃の面影は、ない。
「……」「……!」「………………」
 ひそひそと、かわされる内緒話、意地の悪い笑声。すべて、余所者の一言で済まされた、娘に対しての言葉。

 けれど、もう辛くない。これより辛いことは、もう経験してしまったから。



「よぅ、アンタ」
 いつの間にか伏せていた顔を上げる。辺鄙な村には珍しいと思っていた酒場の方面からやってきたのは、
体つきの逞しい、筋肉がかなり締まった男がいた。
その肉体を隠すことなく、むしろ自慢するように晒しているのだから、よっぽど自信があるのだろう。
 ……この状況で戦うことは、絶対に避けたい。マルヴィナの近くにかろうじて残っていた剣は、何があったのか
前の白金の剣以上に刃こぼれしていて、どうしようもなかったし、また無事だったとしても
素人は素人である者に刃を向けることはしたくなかった。
 だが、その心配は不要だった。男はマルヴィナを一度ざっと眺めると、挨拶をする。
「……あれだけの怪我負って、もう動けるのか。……俺は武器職人のスガーってんだ。
アンタ、普通の旅人じゃねえな。……俺の創った武器を使いこなす自信があったら、ちょいと来な」
 また命令口調の人間か……と思ったが、マルヴィナは少しだけ笑った。初めて、旅人と認められた。
余所者ではない、ひとりの旅人。……マルヴィナは、素直に相手の誘いを受けた。
好奇や嫌悪のひそひそ話は、驚愕の内緒話と化した。
あの武器職人が、余所者と一緒にいる! いったい何があったんだ……住民は困惑したように互いの顔を見合ったが、
その状況を答えられるものは当然ながらいなかった。