ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人

作者/漆千音 ◆1OlDeM14xY(元Chess ◆1OlDeM14xY

【 断章Ⅱ 】


 ――空へ昇る天の箱舟。
 静かな空気の中に張りつめた、緊迫感。

 マルヴィナは――いきなり現れた、懐かしい師匠に、……絶句、していた。
懐かしさに喜びはしない。会いたかったと涙しない。ただ、硬直し、時を止めていた。

「……しばらく見ないうちに、変わったようだな。どこか、大人びた」
「……イザヤールさまは、お変わりなく」
 久しぶりなのに、久しぶりに会えた大切な師匠なのに。……何故か、人見知りを覚える。
話す言葉を、いちいち選んでしまう。何故。彼に物事を学んできた年月は、
会えなくなってからの年月よりはるかに長いはずなのに。――違う。時の問題じゃない。
嬉しくないわけじゃない。会いたくなかったわけじゃない。むしろ、望んでいたのに。じゃあ、何で――……。
「……世界に散らばった果実を集めていたのはお前だったな、マルヴィナよ」
 マルヴィナは驚いて、肯定した。
……自分に翼と光輪がないことについては、何も言わないのか。それは気づかってのことなのか、それとも――
「……それなら、果実は私が天使界に届けよう。渡してくれないか」
 遂にマルヴィナの肩が、ぎくり、とした。……普段なら。三年前なら―(あぁ、もうそろそろ三年なのか!)―、
ためらいなく差し出していただろう。……けれど、今日は。どこかで、彼を警戒していた。
何故か。何故か、彼が――マルヴィナには、恐ろしく見えたのだ。
 だが――マルヴィナは天使だ。天使であり、彼の弟子なのだ。これだけは忘れない。天使界の理_ことわり_。
 天使は、上位の者に、逆らってはいけない。
渡せと言われた時点で――マルヴィナに拒否権はないのだ。

 ……マルヴィナは、女神の果実を持つ腕に力を込めた。あんなに重かったはずなのに、不思議ともうその重みを感じない。
腕が痺れたから? ……それとも、…………。
頭を垂れるというよりは、顔を伏せて、マルヴィナはひざまずき、果実を差し出した。
七つの輝きに、彼は、心なしか表情を緩めたが、その顔を見ていないマルヴィナは気づかない。
「……さすがだな。見習いを終えたばかりのお前だったら、想像もつかなかった――」
 果実を受け取るために。腕を、少し上げる――
「――――――――――これで」




 刹那、マルヴィナの背筋を、凄まじいほどの邪悪な気配が走った。
目をいっぱいに見開き、唇を震わせる。ひゅっと、喉が鳴った。

 “ ――ご苦労だったなイザヤールよ―― ”

 耳元で囁かれたような、雷のように低く、けたたましい声、
厳かなようであって笑っているような口調が怖気を呼び起こす。

 “ ――約束通り、果実を我が帝国へ届けるがよい―― ”

 はっ……と、彼は答えた。その手が果実に触れた――その手前、マルヴィナは咄嗟に手を引いた。
はずみで、果実がどさどさっ、と床に落ち、箱舟の金色と混ざり合って変わりなく輝いた。
 だが、マルヴィナは。
「…………ぅ……嘘っ…………ま、さかっ…………!」
 見る見るうちに蒼白となってゆくマルヴィナの顔色を見て、彼は、イザヤールは……感情の読み取れない白い目で、
そのまま果実に目を落とした。
マルヴィナは、この三百足らず生きてきた中で、かつてないほどに自分が震えていることに気が付いた。
逆らってしまったこと? 違う、それよりも。今流れ込んできた、『帝国』の名は―――!!
「ま……まさか、冗談、です、よね……・?」
 後退り、固まった表情は、恐怖でかえって唇の端を持ちあがらせている。何言っているんですか、
そんな感じで笑い飛ばす顔を作りたくても、恐怖感が数倍も勝って、こんな表情しかできない。
……マルヴィナのかすかな希望を砕くように、彼は、冷徹に言い放つ――

「私に逆らう気か、マルヴィナ」

 と。



 マルヴィナの表情が歪む、何もできない。下がり続けた足が、遂に三両目への扉にかかった。
……それでも、もうどこも動かせなかった。どんなことがあっても、どんな理由があっても、
マルヴィナには、イザヤールに剣を向けることはできなかった。……たとえ、相手に向けられていようとも。




 容赦は、なかった。

 無防備も同然のマルヴィナは、彼の剣の前に、ゆっくりと頽れる。
傷は一つしかなかった、だが、その痛みは全身を駆け巡り、マルヴィナの動きをすべて封じ込めてしまう。
「…………………………」
 イザヤールは何かを言いかけ――だが、結局口をつぐんだ。
果実が彼の手に移る、マルヴィナはただそれを見ることしかできない、
それでも、それでも、身体の底からあふれる感情、抑えられない思いが喉をとおり、そして―――





「うっ……・・ああああああああああああああああああッ!!!」





 そして、限りの、悲痛と、苦悶の叫びをあげる――……。


   ***


「マルヴィナ!?」
 キルガが、セリアスが反応し、二両目の扉を開ける。絶句する。そこにいたのはイザヤール、
紛れもない自分の仲間の師匠。だが、その手にしているものは。女神の果実、そして――剣。
「な……んで……っ」
 キルガはどうにか、それだけ言った。すぐにでもマルヴィナのもとに駆け寄りたかったのに、
その前に立ちふさがる天使の様子に圧倒されて、近づけない。
後退はしなかったが、その一方で足がその場から動かなかった。
 イザヤールは答えなかった。ただ一言、「……さらばだ」呟いただけで。
 車両の、外へつながる扉が、破壊音を響かせて壊れ、風に呑まれる。
流れ込んだ凄まじい風に二人が怯んだ隙に、イザヤールは外へ飛び立ってしまう。
「な……っ……何で……っ、マルヴィナ、マルヴィナしっかりしろっ!! マルヴィナっ……!」
「俺、知らせてくる!」
 サンディは運転中だし、シェナには万が一と言って一両目に残してある。
だが、最早万が一と言っていられる状況ではない。万が一と言える事態は、二両目で起こってしまったのだから。
キルガが、倒れて苦しげに顔を歪めるマルヴィナの傍らに座り、回復を試みる。マルヴィナは呻き、うっすらと目を開けた。
「キル、ガ……?」
「マルヴィナ、大丈夫か!?」
 愚問だった。大丈夫なはずがなかった。だが、その場でかける言葉が、それ以外に思いつかなかったのだ。

 だが、追い打ちをかけるように、あるいは、イザヤールと帝国のつながりを決定づけるように――それは起こる。
シェナを連れてセリアスが戻ってくる、その時――

「な……何だ、あれっ!!?」

 セリアスが叫び、キルガは彼の視線をたどって壊された扉の外を見て、同じように目を見開いた。
マルヴィナに更なる回復を施していたシェナも、次いでそれに倣い――



「―――っ! バルボロス…………っ!!」
「な、何だよあれ、竜……!? な、何でこんなところに……っ」
 シェナの絞り出すような声は、セリアスの叫びと風のうなりにかき消される。
竜――黒、否、闇の色の鱗を身に纏った、紅き瞳の堂々たる、あるいは邪悪な――闇竜。
そしてその上に跨る―風の抵抗をまるで感じていないようだ―、嫌らしい笑みを含めた、男がいた。
若くはない、だが、まるで年齢が感じ取れない。ひだひだした、奇妙な法衣を羽織っている。妖鳥のような顔つきの男だ。
「ほっほっ、首尾はどうですか? イザヤールさん」
 その男が、身体を仰け反らせるようにして、イザヤールに向く。
「私のお目付け役か、ゲルニック将軍。ご苦労なことだな」
「ホホ、めっそうもない。たまたま用事が重なっただけですよ。
……まぁ、我々帝国があなたをまだ完全に信用していないのも、事実ですがね」
「心配せずとも」イザヤールは目を細めた。「果実は手に入れた」
「ほう……では、次はこちらに手を貸していただきましょうか」
 横に並んだイザヤールを確認し、ゲルニックと呼ばれた将軍はくつくつと笑い、視線を前に戻した。
「ドミールの地を目指します。そして、“空の英雄”を亡き者へ。我が帝国の誇るこの闇竜バルボロスも、
溢れんばかりのチカラに満ちておりますよ……!」
 少しお見せしておきましょうか。ゲルニックは言う。そして、イザヤールの顔色を窺った。
相変わらずの、無表情である。ゲルニックは嘆息して、口早に闇竜に指示を出した。
……闇竜の口から、黒い雷が渦巻き、球となって過たず箱舟を狙い撃つ!!




 がしゃぁぁぁぁぁああんっ!! どこかで、聞いたことのある――箱舟が、襲撃を受けた音が、鳴り響く。
「うっ!!」
「きゃあっ」
 軽いマルヴィナとシェナは、その衝撃で跳ね上げられ、強かに床に背を打ち付けた。
そのままバランスを崩した箱舟が傾き、シェナは壁にぶつかった。だが、マルヴィナは。
開いたままの扉の向こう、つまり――外へ、投げ出されていった。

「マルヴィナぁっ!!!」

 キルガが叫び、手を伸ばす、だがもう間に合わない。必死に彼女の名を呼ぶキルガをセリアスはどうにか止め、
シェナはどうしてよいかわからずにただうろたえる。再び、襲撃。箱舟が遂にその向きを変えた。

 天ではない。いう事を聞かなくなった箱舟は、そのまま地上へ向けて落ちる、落ちる―――――…………。